*妄想話です

 

少々発酵した「嵐家族妄想」、

ついついエピソード的なものを織り交ぜてしまうクセがありますが 非リアルです

 

内容、特に工房のお仕事についてはかなり勝手に作ってしまっています

一個人の勝手な妄想、とご笑読くださいませ

 

 

 

 

 

*その父 智

 
 
 
 
 

チン、と控えめにお鈴を鳴らし 小さな仏壇に手を合わせる。

 

 

今年最初のぶどうだよ。

緑のぶどうは とーちゃんも大好きだったから、仲良く食べてくれよ。

 

 

 

 

なぁ、かーちゃん、

かーちゃんが突然逝った時

まだ保育園だった潤も この夏とうとう二十歳になる。 早いもんだ。


兄弟3人、それぞれに立派に育った。

顔も 性格も 全然似てないが(幸か不幸か俺にもちっとも似てねー)

それがかえっていいのか、この年頃の男兄弟にしてはかなり仲良く、力を合わせてやっていると思う。


親の欲目を差し引いても、3人3様 賢くて強くてやさしくて、気持ちのいい男だよ。

 

 

 


俺が継いだ頃には かーちゃんの心配の種だった工房も、ようやく軌道にのった。

 


松兄ぃもぶっさんも、もういいオッサンだが(んなこと言うと『歯磨きでいちいちえずくような お前に言われたかねー!』と怒られる。ま、確かに俺もオッサンだ)

今 ますます脂の乗った現役だ。

ふたり、ぴったり息の合った 無駄ない動きで見事な仕事をする。

 

経営が安定したお陰で、以前みたいな無理な大口注文なんかは控えられるようになって。

そのぶん 二人らしいダイナミック かつ繊細な作風で 好きなものを作ることに時間を使ってもらえている。

 

力強くて しかも生活にそっと寄り添うような、昔ながらの温かみを感じさせる 兄さんたちの噐には、固定ファンも多い。

本来ならとっくの昔に独立を勧めるべきだっただろうが。

 二人から切り出されたら 止められないけど、そうでない限り 俺の方から持ちかけることはしないと決めている。


甘えてるっちゃ まぁその通り。

でも、兄さんたちは もうすっかり家族と同然だから いないと絶対寂しいし。

最大限 自由にやってもらってるから 許してよ。

 

 

 

 

俺は 相変わらず、好きなものを自分のペースで作っている。

自分でも 職人として、というより 大人として 一社会人としてどうかと思う時もあるけど。

ここを無理すると俺の場合、とにかくいろいろ支障をきたしてしまうから。

周りも時々ぶーぶー文句をいうけれども、結局は見守って 好きにさせてくれている。


少し前まで、盆・暮れの年に2回だけは 経理を手伝ってくれてたかずに
『お盆前に あと10個 、オヤジの好きなものでいいから作れ。そうしないと仏壇に水菓子も買えねえぞ!』 『餅代稼げーーー! 年末までに10個だーーー!』 …なんて 季節の風物詩みたいにケツを叩かれたのが なんだか懐かしい。

 

 

 

 

かずは ぶつぶつ嫌がるポーズをしながら、就職した今も 『ほかにできるヤツ、いないだろーが』と なんだかんだ経理の手伝いを続けてくれている。

 

就職先は うぇぶ関連ってやつで、具体的に何をしているのかは 説明されても俺にはあんまり詳しいことはわからないが、

『高いぞ』と言いながら作ってくれた うちのホームページや 通販の受注システムは、そんな俺から見ても きれいで分かりやすい いい仕事だと思う。

不定期にアップする「工房にっき」は 工房の様子を斜めの視点から 時にシニカルに、しかし愛情たっぷりに切り取っていておもしろい、と とても評判がいいらしい。

 

 

 

 

翔は、割と早い時期に 自分が継ぐのはここにとってベストじゃない と判断したようだった。

長男である責任もさることながら、何より小さいころからこの工房が大好きだったので 勇気のいる決断だったんじゃないかと思う。

 

でもそれからというもの、とても清々しい顔をして 一層勉学に励み。 やがて『俺ね、オヤジたちが創り出すこの日本の伝統を、もっと広く日本中 いや、世界中に広めたいんだ』と夢を語るようになった。

 

言葉通り 着々と努力を重ねて、今は商社で海外を飛び回っている。

『10年 死ぬ気で頑張って、スキルと人脈を作ったら 江戸硝子だけじゃなく 日本の職人技を大切に取り扱う会社を起こしたい』と 新たな目標を語る目はきらきらしている。

出張のたびに スーツケースから溢れるほどのおみやげを買ってきては 『やっぱり家はいいなぁ』なんて言って、みんなに にこにこ配っているよ。

 

 

 


工房の仕事を継いだのは、意外なことに潤だった。

 

潤は… 器用な方では決してなかった。

かーちゃんも覚えてるだろ? あの保育園から意気揚々と持って帰ってきた粘土細工。

いや 何に見えたかはともかく、あれは味のカタマリで 俺は大好きだけどね。

父の日に描いてくれた絵も繊細でやさしいタッチだったな。ふふふ。


でも潤は繊細な上に、熱くて折れないハートを持っているから。

自ら生み出すだけが仕事ではない、と考えついて プロデュース、という新たな道を切り拓いた。

 

一般に向けて「一日体験教室」なんていうのを始めたのも潤のアイデアだった。

『こんなあっちぃ仕事、やりたがる人なんてそんなにいるかね?』

と半信半疑な俺たちを説き伏せて ふたを開けてみれば、かずのホームページでの宣伝も功を奏して大盛況。

今ではよその工房でも みんなやるようになった。

経営を安定させる大きな軸になったし、裾野を広げるきっかけにもなった。

 

翔がホームページの翻訳をしてくれたお陰で、近頃では海外からのお客さんも多い。

うちの工房に外国語が飛び交ってるなんて、不思議な感じ。

でも ここに来るひとがみんな、楽しそうに汗をかき 満足そうな笑顔で帰るのを見ていると しあわせな気持ちになる。

 

 

 

 

そして 雅紀。

うちに顔を出すようになったあの日から、もう何年たつんだろう。

18年、そろそろ19年か。

 

初めは こんな茶髪でチャラそうな ひょろひょろの子、人当たりはいいけど すぐに音をあげて辞めてくに決まってる、と思っていた。

でも違った。

 

雑用も にこにここなすから すぐに兄さんたちにも可愛がられた。

何をやらせても とにかく全力で、全力が服を着てるみたいなヤツで。いつでも汗だくで。

額にびっしり吹き出した汗を 思わず俺の首のタオルで拭いてやると、ちょっと照れたように くふくふ、と笑った。

 

 

大きな息子か、弟のつもりでいた。

でもかーちゃんの葬式のあと、途方に暮れる俺をいつもさりげなく助けてくれるようになった雅紀の存在は。

母親と早くして離れることになった息子たちを、穏やかな愛情で見守ってくれたその存在は。

 

なくてはならない大切な人になっていた。

ずっと隣にいてくれないと、この先の俺の人生 色を失ってしまうだろう。

雅紀さえいてくれれば、どんな困難があっても 笑って暮らせる気しかしないんだ。

 

 

 

 

この間とうとう、一緒に暮らさないかと告白してみたよ。

 

『こどもたちが…』と目を伏せたが、ノーとは言われていない。

俺は 大丈夫、わかってもらえるまで何度でも話すから、とそっとくちづけた。

 

 

今日はいよいよ息子たちに自分の気持ちを打ち明けるつもりだ。

 

さすがに驚くだろうが。

翔も、かずも、潤も、雅紀が大好きだから。いつかわかってくれると思う。

 

 

それに、潤も成人するこれを機に そろそろみんな独り立ちしてもいいんじゃないかと思っている。

俺が頼りないせいか、いい歳になっても 誰一人 家を出ようとしない。

 

3人ともモテないはずはないのに (しょっちゅう女の子たちが家や工房の回りをうろうろ待ち伏せしてた)

彼女らしい彼女を連れてくることがなかったのも気になっている。

母親のこともあって、結婚とかそういうのに トラウマを持たせてしまったのかもしれない。

 

休みの日も みんななんだかんだ家で集まっていることが多いし、

出掛ける時も デートだ、なんてそわそわしているのを見たことない。

 

これは外に目を向けるいい機会かもしれない。

かーちゃん、力を貸してくれ。

 

 

俺はもうひとつ、ちんと鳴らして 仏壇を離れた。

 

 

 

 

 

 

*読売の暑中見舞い、涼し気な笑顔でしたね

ナツいアツを乗り切る清涼剤

…なんとかきれいな画質で手に入らないものかしら