大池田劇場(小説のブログです) -15ページ目
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友美の神様

         友美の神様
           1
 「もう、お母さんたら、勉強しなさい、勉強しなさ

いって、そればっか。」
 友美は泣きながら家を飛び出てきました。
 今日は友美の誕生日。皆でケーキを食べてプ

レステで遊ぶ予定だったのに。
 「ケーキ食べて少したったら、ピアノ練習しよう

っていうの。」
 友美の友達もみんな帰しちゃったのよ。
 「いくらお母さんと言っても許せないと思わない。」
 友美は近所の神社に駆け込むと、ゲーム用のコ

インを賽銭箱に放り込んで、1人で喋っています。
 「子供には子供のつき合いがあるのよ。」
 勉強だの、良い中学に入らないといけないだの、

そればっか。
 今の私立の小学校だって、友美たくさん勉強して、

やっと入ったのよ。これから遊ぼうと思ってたのに。
 「附属なんだから、適当にやっとけば良いのよ。」
 ピアノだって、結婚するまでにいくらかひけたら

いいのよ。お父さんだって、全然ピアノのことわか

んないじゃん。
 「もういいかげんにして欲しい。私は赤ちゃんじ

ゃない。神様、こんなお母さんを滅ぼしてください

。」
 涙ながらに訴えています。よっぽど腹がたった

ようです。
 「滅ぼしてくれとは、穏やかじゃないな。」 
 急に社の中から、男の人の声がしました。
 ギイィィ、ギイィと木のきしむ音がして、社の扉

が開き、中から白髪で長い白ひげをたくわえた、

おじいさんが顔を出しました。
 「誰よ、あんた。痴漢?」
 友美は驚いて腰を抜かしました。
 白髪のじじいはかまわず、社の扉に両腕をかけ、

えいやっと飛び出してきました。
 「何よ、なんでこんな狭い所に入れるの?うちの

テレビより小さいよ、この箱。」
 小学校3年生の友美でも、入れそうにない。 
 「ほっ、ほっ、ほっ。万国びっくりショーを知らん

のか。」
 やってないって、そんな番組。
 「まあ、冗談はさておき、お前の願いは聞いた

ぞ。実は私はこの神社の神様じゃ。じゃが、お母

さんを殺してくれという願いは聞けん。」
 友美はびっくりしてあわてて言い直しました。
 「本当に殺してくれ何て思ってないわ。でもどう

して私の願いを聞いてくれるの?」
 神社にはお父さんに連れられて何度も来まし

たが、一度も願いを聞いてくれたことはありません。
 「それはな、お前が口に出して願いごとを言った

からじゃ。あまり知られてない話じゃが、神様によ

っては人の考えていることがわからんのじゃよ。

それに人の考えがわかる神様でも、口に出して

言ってくれたり、紙に書いて教えてくれた方が、

ずっと楽なのじゃ。」
 何だ、そんな仕組みになっていたのか。お父さん

は馬鹿だなあ。
 「そうじゃ、昔からの言い伝えや、神主の言って

ることなど、ほとんどがでたらめなんじゃよ。これ

からはワシの言うことを信用するが良い。ところで、

おまえの願いのことじゃが。」
 友美はあわてて手を横に振りました。
 「今のなし、なし。プレステの新型。駄目なら3万

円ください。」
 ほっ、ほっ、と神様は白いひげを撫でた。
 「にせのコインを放り込んでおいて、欲の深い子

じゃ。願いをかなえて欲しかったら3万円持ってお

いで。」
 友美は一瞬考えこみましたが、からかわれてい

ることに気が付きました。
 「意味ないじゃん。」
 「ほっ、ほっ、やっと気付いたか。まあ、冗談はさ

ておき、実は神様は一人一人かなえる能力が違う

んじゃ、ワシには物を与える力はない。ただ、お前

のお母さんに勉強しろ、勉強しろと言わないように

することはできる。」
 そう言うと神様は懐から小さな木の人形を出した。

インディアンのトーテンポールのような形をしている。
 「お前の家に神棚があるじゃろう。その神棚の上

にその人形を置くんじゃ。そしたらお前の願いは叶

う。勉強しなくて良くなるはずじゃ。」
            2 
 「どこ行ってたのよ。ピアノの先生、帰っちゃった

じゃない。」
 お母さんは友美の頬を2回もぶちました。
 「月に何万円払うと思ってるの。」
 そんな金あるなら、新型のプレステ買ってよ、と

友美は思いましたが、言うのは我慢しました。
 「六時から塾でしょ、早くご飯食べちゃいなさい。

また、サボったら食事抜きよ。私もパートに行か

なきゃならないし。」
 友美はムッとしながら、黙々とハンバーグを食

べました。
 「まだ、子供何だから、そんなに怒らなくても。」
 珍しく早く帰ってきたお父さんが、口をはさみまし

た。すぐにお母さんはもっと怒りだします。
 「何言ってるのよ、あなた。私は友美をあなたみ

たいにしたくないの。友美、お父さんみたいに三流

の大学を出ると、毎日残業させられて、同期の京

子さんのお父さんや、明子さんのお父さんよりず

っと給料は安いのよ。」 
 お父さんは頭を掻きました。
 「よさないか、お金の話は、子供の前で。」
 お母さんはやめません。
 「今の私立の小学校だって、私がパートしてやっ

と入れたのよ。これから中学校、高校大学とずっ

とお金は要るし、今のうちに貯めておかないと。住

宅ローンだって大変なんだから。」
 お金、お金とママの頭の中はお金のことで目一

杯になってます。
 「友美、私の子供はおまえ一人。おまえだけが

頼りなんだから。」
 お母さんは泣きまねをして、友美の頭を抱えこ

みます。私は迷惑です。お父さんは後ろを向いて

ナイターを見始めました。こうなるとお母さんが何

を言っても、「ああ、そうか。」としか答えません。
 「ああ、そうだ、あの人形があったんだ。」
 友美は昼間のうさん臭い神様から貰った小汚

い人形を思い出しました。
 神棚へ置こうとしましたが、手が届きません。

椅子の上に登ってやって見ましたが、やはり届

きませんでした。
 「もう、いいや。こんなの。」
 友美はめんどうがりの子なので、神棚に人形

を投げつけました。小さな社にぶつかって、人形

はコロコロと転がりましたが、うまく神棚の上に載

ったようです。
 「やった、これで願いはかなうわ。」
           3
 次の日、家に帰るとお母さんは急に抱きついて

きました。
 「友美、ごめんなさい、私立の中学に行けなくな

っちゃた。」
 お母さんは泣いてます。いつものようなうそ泣き

ではなく、本当に泣きじゃくっているようです。
 「どうしたの、お母さん。」
 お母さんは泣きながら連帯保証がどうの、サラ

金がどうのとわけのわからないことを言ってまし

た。
 その日、怖い顔をしたパンチパーマの二人の男

がやってきて、家にあるお金を全部持っていって

しまいました。
 「どうして連帯保証のハンコなんか押したんだ。」
 珍しくお父さんは怒っているようです。
 「だって、洋子がどうしてもって頭を下げて頼むか

ら。私には絶対に迷惑をかけないって言うし。」
 いつも遊びにくる洋子おばちゃんのことを言って

るみたい。
 「洋子ちゃんには連絡したのか。」
 お母さんはベソをかいてます。
 「したよう。でも電話に出ないし、家も鍵がかかっ

ていて入れないのよ。」
 お母さんはお父さんに抱きつきました。
 「そりゃ、夜逃げしたんだ。うちに自分の借金を

全部押しつけて逃げたんだよ。」
 お母さんは洋子おばちゃんがくれたクマのぬい

ぐるみを、包丁で何度も刺しました。ぬいぐるみの

腹が裂けて、綿が飛び出しています。
 「ちくしょう、洋子のやつ、騙しやがって。」
 お母さんの目は血走って変になってます。
 「まだ、借金はいくらあるんだ。」
 お母さんは五百万くらいと言って、肩を落としま

した。
 「まあ、返せない額じゃないし、二人で頑張って

払おう。」
 お母さんは涙目で言いました。
 「家のローンもあるし、サラ金だから結構返済額

大きいよ。私達も夜逃げしようか。」
 お父さんは優しく、お母さんの髪を撫でました。
 「そんなことしたら、うちの保証人になっている

人が困るじゃないか。洋子ちゃんと同じことをしち

ゃいけないよ。」
 二人で抱き合って泣いてます。友美は何のこと

かわからないし、退屈です。早くご飯が食べたい

なあ。
 「もう、私立の中学には行けないの。」
 お母さんはこくり、とうなづきました。友美は心の

中でバンザイをしましたが、ここぞとばかりに残念

そうな顔をしました。
 「行きたかったなあ、私立の中学。」
 お母さんは友美を抱きしめて泣きました。
 「許して、お母さんをゆるして。」
 友美はお母さんの長い髪に優しく触れます。
 「うん、許してあげる。だから新しいプレステを、

ねっ。」
 お母さんは急に無表情になり、友美の背中を掴

むと、自分の膝の上に乗せ、スカートをめくりまし

た。
 そのまま無言でお尻を打ち続けます。
 「おまえは、金がなくなったのに、プレステ買えと

はなにごとじゃ。」
 いつもより強く打ってきます。
 「やめてえ、八つ当たりだよ。児童相談所に言い

つけてやる。」
 その声を聞くといっそうお母さんは凶暴になりまし

た。
 「こいつ、勉強できんくせに、こんな変な言葉ばっ

か覚えくさって。」
 友美は泣き叫びましたが、明日からピアノのレッ

スンも、塾通いもしなくていいと思うと、嬉しくなりま

した。
            4
 三日後、またお客さんがやってきました。今度は

前のお客さんと違いサラリーマン風の人です。
 「ご主人はいますか、三日前から会社に出てい

ないので。」
 サラリーマンの人はお父さんの会社の部下でし

た。部長に頼まれてお父さんの私物を持ってきた

と言いました。
 「まあ、毎日会社に出ているはずですが。弁当を

持って。」
 部下の人は言いにくそうに言いました。
 「いえ、言いにくいんですけど、出社していません。

実はご主人は大変なミスを犯してしまいまして、い

たたまれなくなって出れないんです。」
 部下の人は残念そうな顔をしています。
 「実は私はご主人と新製品を開発していました。

そして絶対に売れると自信のある製品をついに完

成したのです。それで大口の取引先の会社に資料

をもって説明にいったところ、会議室で資料を紛失

してしまったのです。」
 お母さんはあいた口がふさがりません。
 「取引先はカンカンに怒り、同席していた社長のカ

ミナリが落ちてクビを宣告されたのです。ご主人は

あまりに情けなくて出社できなくなりました。我が社

は大損害を受け、ご主人の解雇も本日正式に決定

いたしました。もちろん会社に多大の損失を与えた

ので、退職金もありません。」
 お母さんは宙を見つめたまま、その場で座り込ん

でしまいました。サラリーマンの人が帰るときも、挨

拶を忘れる程です。友美はあわててバイバイをして

あげました。
 「会社クビになったんだって。」
 お母さんは暗い顔をしてお父さんに尋ねました。怒

る気力もないみたい。
 「ああ、聞いたか。実は毎日職安に行ってたんだ。

これからは駐車場整理のガードマンをやるよ。貧乏

になるけど、なんとかお前のパートと併せたら、生き

ていけるさ。」
 「どうなるんだろうね、私達。」
 お母さんは青い顔をしています。
 二人は抱き合って泣きました。いつまでもいつま

でも抱き合ってます。
 もう、お父さんもお母さんも、いい年をして恥ずか

しいなあ。友美、お腹がすいてるのに。
 次の日、洋子おばちゃんの借金で家のお金が全

部無くなったこと、お父さんが会社をクビになったこ

とを神様に話しました。
 神様は大喜びで、「よし、よし。」と一人で納得し

ています。
             5
 それからお父さんは残業がなくなり、毎日六時に

帰ってくるようになりました。友美とも遊んでくれて、

今はプレステで対戦しています。友美、お父さんよ

り少し強いよ。
 お母さんは忙しくなったので、友美に洗濯の仕方

や料理も教えてくれるようになりました。
 友美は勉強よりも、料理や洗濯といった、頭をつか

わない仕事が好き。ハンバーグも自分で作れるよう

になったよ。お母さんのよずっとおいしいよ。
 嫌いなピアノも習わなくなったし、友達家に呼んで

騒いでも誰も何も言わなくなったし、とっても幸せ。
 それにお父さんとお母さんが全然ケンカしなくなっ

たんだ。お母さんもグチを言わなくなったし、お父さ

んもお母さんの話を聞くようになったみたい。
 友美を置いて二人でどこかに行っちゃうこともあっ

て、時々困るよ。
 友美とっても嬉しくて、そのことを神様に話したの。

そしたら急に神様は不機嫌になっっちゃた。
 「何、それは本当か。」
 口調も前の神様の話し方じゃないよ。目も鋭くなっ

てるよ。
 「うーん、ちと読み違えたか。」
神様は難しい顔をしてひげをなでてるよ。
 「うーん、裕福な時にあれだけ家族がバラバラだっ

たんだから、貧乏になったらもっと仲が悪くなると思

ったんだが。」
 なんか恐いよ、友美の神様。
 「悪いがお嬢さん、あの人形は返してもらうよ。あん

たら一家には必要のないものじゃった。」
 そう言うと神様は急に社の中に消えちゃた。 

 友美、心配になって帰ってから神棚を見ると人形が

消えちゃってる。
 「まあ、いいか、あんな汚い人形。」
 その時のことはそれで忘れちゃった。また、お賽銭

入れれば人形をもらえると思っていたから。
            6
 「資料が出てきたんですよ、奥さん。」
 お父さんの会社の専務っていう人、次の日尋ねて

きたよ。
 「僕の封筒の中に間違って入っていたんだよ。先

方に見せたら大乗り気でね。」
 専務という人は笑いながら何度も自分の頭を叩い

ているよ。変な人だね。
 「ついては現場責任者のご主人に、ぜひ会社に戻

って欲しいという事になってね。いや、ムシのいい話

だと自分でも思うけど。おわびと言っては何だが、そ

れなりのポストと報酬はできる限り出させて貰います

よ。」
 お父さん、京子ちゃんのお父さんや、明子ちゃんの

お父さんより偉くなっちゃうよ。もうプレステできないよ

う。
 友美、思わずお母さんの背中をつっついたよ。
 「何よ、友美。」
 お母さんは満面の笑みで振り向きました。
 「断ってよ。」
 お母さんは満面の笑顔のまま、グーで友美を殴りま

した。児童虐待だよ。
 お母さんはその日たくさんのごちそうを作り、自分で

もたくさんお酒を飲んで上機嫌でした。
 「よかったね、友美。行きたかった私立の中学にも行

けるよ。」
 うちのお母さんは、意地悪です。
 「よかったよ、じゃあお祝いにプレステ買ってね。」
 お母さんは友美の言うことは無視してニコニコ笑って

ます。
 「紀子、居る?」
 玄関で洋子おばちゃんの声がしました。
 「ごめんね、紀子。何度も電話くれたんだね。」
 洋子おばちゃんは泣いていました。
 「うちの旦那の仕事が失敗してね。金策に行ってたん

だ。サラ金の金払ってくれたんだってね。」
 洋子おばちゃんは泣きながら、紙袋から大金を出しま

した。
 「実家の山林をいくらか処分したんだ。ありがとう立て

替えてくれて。」
 洋子おばちゃんのお父さんは金持ちだったみたい。
 「もう子供も連れて、実家で農家をするよ。商売はもう

たくさん。」
 お母さんはもらい泣きしました。
 「いつでも良かったのよ、洋子。信じてたんだから。」
 友美のお母さんは嘘つきです。
 「紀子、私達、友達だよね?」
 洋子おばちゃんはお母さんの手を握りました。
 「もちろんよ、洋子。田舎に帰ったら遊びに行くからね

。」
 友美はお母さんの背中をつつきました。
 「何よ、友美。」
 お母さんは泣きながら、満面の笑みを浮かべています。
 「私のクマの人形返してよ。」
 お母さんは笑いながら、友美の頭をグーで殴りました。
            7
 全てが元に戻ってしまったので、あわてて次の日神様

の所へ行くと違う神様が出てきました。
 髪を二つに分けて結い、耳の所で止めてます。ちょび

髭を付けた変な神様です。
 「神様が変わってる?ああ、ワシの留守中に入り込ん

でいた奴か。」
 今度の神様はめんどくさそうに話をする嫌な奴です。
 「あいつは貧乏神よ。お嬢ちゃんは知らないだろうけど、

先月は神無月といって、日本国中の神様が出雲に集ま

って大宴会を開くんだ。それでワシは留守にしてたんだ

が、その留守中に奴がこの社に入り込んでたんだ。」
 殴りつけて叩き出してやったと、今度の神様は言いまし

た。
 「うちの家は貧乏になっていない?ああ、お嬢ちゃん勘

違いしちゃいけないよ、貧乏神は最初からお金には興味

がないんだよ。貧乏神が好きなのはすさんだ心の人や、

ゆがんだ心の人なんだ。貧乏になると人の心はすさみや

すい。だから貧乏神は人を貧乏にしたり、誘惑したりする

のさ。そのこと自体が目的じゃないんだよ。」
 貧乏神は心が貧乏になることを願っている神様だと、新

しい神様は言いました。
 じゃあ、友美の神様は悪い神様だったの?
 「お嬢ちゃんには迷惑かけたね、お礼にお嬢ちゃんの家

をもっと金持ちにしてやろうか。」
 友美はびっくりして跳び上がりました。
 「それだけはやめて。」
 友美はあわてて走って逃げました。
              8
 あれからお母さんはあんまり勉強をしろって言わなくな

ったし、優しくなったよ。
 お父さんも前より早く家に帰るようになったし、時々遊ん

でくれるよ。
 なんかお母さんは太ってきたし、お腹が大きくなってきて

るよ。もしかしたら弟か妹が生まれるのかな。
 新しい神様はああ言ったけど、友美の神様は、やっぱり

いい神様だったんだ。


ペタしてね

狗神と呼ばれた人達

   

        狗神と呼ばれた人達
           1
 いつのころに気づいたのか忘れたが、物心着

く頃には自分の心の中に犬神が住んでいた。
 ある時、父が言った。
 「おまえは私の子だから教えておくよ。どうも

おまえには私と同じ臭いがしてならない。」
 父親は私の頭をなで回した。
 「おまえにも犬神が住み着いているかもしれ

ない。」
 「犬神ってなんだよ、お父さん。」
 父親は淋しく笑って答えてくれなかった。
 「いいか、犬神に踊らされてはいけない。犬神

を嫌ってはならない。」
 そのことを忘れるな、と父は言った。何のこと

か解らないので何度か意味を尋ねたが、父は

それきり黙ってしまって答えようとしない。
 しつこく聞くと同じ言葉を繰り返した。
 犬神に踊らされるなと・・。
 若いときは犬神を追い出そうと焦ってみた。だ

が無駄だった。犬神の力は強大で追い出すこ

となど出来るものではない。
 犬神から逃げたり犬神を攻撃することは犬神

の思うつぼである。
 犬神への攻撃は犬神に同調していることと同

じことなのだ。
 犬神を利用してその力を自分のものにする。
 人にない力、すなわり犬神の力が自分を助け

てくれるのだ。
 ずっとそう思って過ごしてきた。
           2
 父親は画家だった。外へ仕事には行かず、い

つも自宅で絵を描いていた。
 神経質な人で、いつも何か考え込んでいるよう

な人だった。
 あまり考え込むと無口になり、何をいっても上

の空となった。
 「ああっ。」とか「うん、うん。」とかしか返事をし

ない。
 そして決まって、家の裏に行ってしまうのだ。
 当時、家の裏には古びた小さな蔵があった。
 元は炭だとか梅干しだとかを保存していたらし

いが、今は使わない物の物置になっている。
 そこで大事なお客さんに会っているようだった。
 「誰かきてるのお母さん?」
 私が父親に付いてその蔵に入ろうとすると、母

親が自分の手を引いて母屋の方へ連れて行っ

てしまう。
 父親はその蔵に入ってしまうと、しばらく出てこ

ない。
 だが蔵の中からはかすかに声がしていた。
 父の声ともう一人、別のものの声だった。
 声の主は野太いしゃがれ声の持ち主で、か

なり年を取った人のようだった。
 ただ二人の会話は、なぜか聞き取れなかった。
 普段は無口な父だったが、その蔵に入ると饒

舌になるようであった。
 時々笑い声などが聞こえたりした。
 私は父と何者かが話している内容が気になっ

て、時々こっそりと蔵の方へ行ってみた。
 しかし、いつも蔵の戸は鍵がかかっていて、中

に入ることは出来なかった。
 入れないと解ると余計に声の主が気になった。
 ある晩便所に行こうと外へ出ると、蔵の戸が開

いていて柿の木の向こうから光が見えていた。
 父が閉め忘れたらしかった。
 声の主を確かめようと近づいて見てみると、蔵

の戸が5センチ位開いている。
 父は戸を背にして座っていた。そして誰かとし

きりに話をしている。
 私は声を殺して、その戸の隙間から覗きこん

だ。
 薄暗い蔵の中で和蝋燭の火がゆらゆらと揺れ

ている。
 蝋燭の光で父の顔は照らし出され、赤く輝いて

いた。
 父の背中越しに、丸椅子が見えた。昔からこの

蔵に置かれている三本足の椅子だった。
 椅子の足が一本傾いでおり、ガタガタと揺れる

椅子である。
 私は目をこらして椅子を見た。その椅子には

誰かが座っているはずである。
 父は盛んに話しかけていた。
 ただ、蝋燭に照らされた古い丸椅子には、居

るはずの野太い声の主は居なかった。
 椅子には誰も座っていなかったのだ。
 樫の木でできた丸い天板には、うっすらと埃

がかぶっているのさえ見える。
 「それでね、○○さん。僕はこう思うんだが

・・・。」
 父は割と大きな声で椅子の主に話しかけてい

る。
 私は恐くなってその場を離れ、布団に丸まって

寝た。
 この家には人以外の者が居る。子供心に、そ

う確信した。

           3 

 実は父の絵はあまり売れなかったらしい。
 父は私に絵など教えながら、よく言い聞かせ

た。
 「いいか、芸術で身を立てていくことは、かな

り難しいのだ。神に選ばれた者のみが、その祝

福を受けることができる。それは努力してどう

なるものでもない。生まれつき付いている神様

の力なのだ。」
 そうして父はいつも愚痴を言うのだ。
 「俺の才能は、おまえ達二人を食わせるのが

精一杯だ。」
 父はいつもサラリーマンになれという。月給取

りが一番良い。芸術などという評価のはっきりし

ないものに溺れては駄目だ。
 「おまえには芸術の才があるが、その力は俺に

も及ばないようだ。これでは到底一家を支えるこ

となどできるものではない。」
 私は貧乏だが父の絵は好きだったので、その

ことばを聞かず父の真似をしてよくスケッチブッ

クに絵を描いたりしていた。
 あるとき、急に平和な時代が崩れる時がきた。
 家にドカドカと借金取りがやってきたのだ。
 どうやら人の良い父が、他人の保証人になって

できた借金らしかった。
 父はその男達に脅されているようだった。
 それから男達は、毎日のように家に来て父を怒

鳴りつけていた。
 私は障子の影から、ビクビクしながら男達を見

ているしかなかった。
 父は元気を無くし、絵も書かなくなって、土蔵の

中で例の人物と何か話して居ることが多くなった。
 そして、ある朝土蔵の横の柿の木で首を吊った

のだ。
 柿の木は折れやすい木で、実を取ろうと登るとよ

く祖母に叱られたものだった。
 柿を取るのを怒ったのではなく、枝が折れて木か

ら落ちるのを心配してのものだったようだ。
 そんな木で首を吊ろうとするのも父らしいが、果

たして枝が折れて落下してしまった。
 命は助かったが落ちたときに頭を打ったらしく、

そのまま意識が戻らなくなった。
 父は病院の中で何かうめき声を上げ続けたが、

ついに正気になることはなく前後不覚で眠り続け

た。
 ある朝、私と母が居るところで父は急に目を開

き、私達を見ると言った。
 「おい、おまえら。」
 明らかに父の声と違っていた。
 父が土蔵の中で話していた相手の声だ。
 あの野太い声の主だった。
 「こいつはいずれ死ぬ。」
 不気味な声だった。
 「コイツが死んだら俺も姿を消すが、世話にな

ったお礼にいいことを教えてやろう。」
 声の主はおかしなことを話し始めた。
 「コイツにも話したが忘れてしまったのだろう。

こいつの祖父、その子のひいお祖父さんだな。

やつは随分剛毅な奴で羽振りも良かったが、か

みさんが恐かったのだろう。女があったのかも

しれんが・・・。そのためちょっとヘソクリをしてい

た。」
 声の主は父の口を借りて話を続けた。

 「土蔵の横に柿の木があっただろう。その下を

掘ってみろ。古い瓶がでてくるはずだ。その中に

幾らかの金目の物が入っている。おまえ達は誰

にも見つからないよう、夜中にそれを掘り出すの

だ。くれぐれも借金取りにみつかってはならない

。」
 そう言うと、それきりぴったり口を閉ざして何も

言わなくなった。
 私はただ怯えるだけだったが、母は神妙な顔

でその言葉を聞いていた。
 果たして夜中に母がその木の下を掘ってみると、

明治時代の一円金貨だの、幾枚かの小判だの

が出てきた。

 この家が昔裕福だったときに貯えられた物だ

ったのだろう。母は誰にも何も言わず、その金を

他の所へ隠した。それを元にして今の住んでい

る家を得たと聞いている。
           4
 父親がなくなったため、私達親子は母の実家近く

に住むことになった。
 母は生活のために外で働くようになり、私は一人

家に残された。
 母は父と違って何の才もない人だったが、その

代わりに働き者で、夜も昼もなしに働いていた。
 学校では私はよそ者の転校生で、最初はちや

ほやされたが、徐々に方言の違いや何かで苛め

られ、運動も不得手だったので孤立していった。
 私は徐々に人と話をしなくなり、学校では空気

のような存在だった。
 むしろ空気になれたらとさえ思った。皆が絡ん

でくるとかえって鬱陶しかった。
 担任の先生は年を取っていたせいか何事も面

倒がる人で、そんな私を放置してそのままにして

いた。
 何年かが過ぎ、私が一人で暮らすことになれた

時に、急にあいつの声が聞こえた。
 「おい、暇そうだな。」
 確かに頭の中で声がした。
 「誰だろう。」
 頭の中の声は返事した。
 「誰という程の物でもない、気にするな。暇だろ

う?話し相手になってやる。」
 そいつは時々出てきて自分に話しかけてきたが、

特に何の害もあるわけでなかった。
 わたしがいろんなことに悩んでいるときに、返事

をしてくれるだけだった。
 何か特別な知識があるわけでなく、特別な能力

があるわけでもなく、ただ私の考えに返事してくれ

るだけの存在だった。
 そいつが何者かは判らなかったが私は犬神と

名付けた。
 幼児期に父が話をしていた犬神とイメージが重

なったからだ。
 父はコイツと話をしていたのだと初めて気づい

た。
「お父さんの犬神とは違うようだ。」
 父の犬神はもっと威厳があり、頼れるような存

在だったような気がする。
 「おまえの父の犬神と私とは別個の存在だ。私

は若い犬神で経験も何もない。犬神の力は取り

付いた者と同じ年数で徐々に経験を積み、高まっ

ていくものなのだ。」
 犬神はそう答え、私は理解した。
 最初の頃の犬神はそういった存在で、特になん

の害があるわけでもなかったので、まだ若くて小

さかった自分は心を許してしまった。                  

           5
 中学・高校と自分は変わらず一人だったが特に

困ったことはなかった。
 学校では苛められたが、犬神が居たのでなんと

か耐えられた。
 犬神は別に特殊能力があるわけでなく、悪い奴

らを追い払う力もなかった。
 単に相談相手になってくれただけである。
 痛い思いをするとねぎらってくれたりした。
 私は学校の成績だけは良かったので、馬鹿な奴

らを心の底で見下していた。
 そのことが彼らの反感を余計に生んでいることを、

まだ若い私には気づかなかったのだ。
 犬神の存在が疎ましくなってきたのは、丁度その

ころだった。
 私はその時、校舎の裏に呼ばれて不良共に殴ら

れていたが、急にその時意識を失った。
 後で誰かに聞いた話であるが、急に私は別の人

間の声色になり、無抵抗に殴られていたのが反撃

し始めたというのだ。
 「いい加減にしろ、この馬鹿共。犬神に向かって

何をする。」
 私は一番弱そうな者に向かって執拗に攻撃し始

めた。そのやり方が尋常ではなかったという。
 普通人間同士の喧嘩なら、ある程度の加減という

ものをするものである。相手を殺してしまおうとか、

相手に大けがをさせようとかしないものだ。
 私の攻撃は執拗に相手の弱点を狙うもので、もう

少しで失明させてしまうところであったらしい。とても

人間のすることでなく、獣のそれであった。
 無理に引きはがされてなんとか治まったが、この

時から自分は人から逆に恐れられるようになって

しまった。
 切れると何をしてかすか判らないということで・・。
 もとより孤立していたから、人が恐れようと怖じけ

ようと関係なく、そのままの生活を続けるだけだった

が、今度は自分を差別するようになってきた。
 何かわけのわからない霊的なものが憑いている

奴、近づくと危ない奴という噂が広がり、皆が避けて

通るようになった。
 犬神は警戒して皆の前ではその姿を見せなくなっ

たが、私にしては迷惑な話であった。
 私は犬神を責めた。
 「勝手なことをするな。こんなことするなら出てい

ってくれ。」
 「済まん。しかしあまりに度が過ぎていたので・・。

おまえが痛いように、私も痛いのだ。」
 犬神は私の言うことなど聞くわけもなく、そのまま

居座った。
            6
 そのまま大学へと進み、成績優秀だった私は銀行

や公務員試験を受けた。
 父が言っていたようにサラリーマンの道を目指した

のである。
 人間関係の苦手な私は私企業では敬遠されたけ

れど、公務員試験では特に問題性を指摘されること

もなく、事実就職してからも自分の仕事を淡々とこな

した。
 能吏であったといってもよい。
 ところが毎日の執務をこなして行く上で、なんとなく

物足りないものを感じるようになった。
 これはどういったことだろう。何か満たされないも

のがあるのでは、自分の内から湧き出るものを押さ

えきれなくなった。
 「親父の血だな。」
 犬神はそう分析した。
 どうも創作欲といったものだろう。創造性のない仕

事を繰り返す内に、その欲求が高まったのである。
 「絵でも描くか。」
 油絵を初めて見たがどうにも満たされない。下手で

はないのだが、父が書いていたのと明らかに違う。
 「おまえは俺のレベルにさえ届かない。」
 父の言っていたことが今更ながら判った。親はこの

才能を見抜いていたのだ。
 そのままもやもやと鬱屈した日々を過ごしたが、あ

る朝すっきりしていることに気づいた。
 何かを成し遂げたような爽快感がある。
 その原因が判った。朝になると机の上に原稿が載っ

ている。
 よく見ると小説だった。
 「おまえが書いたのか。」
 犬神は「そうよ。」と自慢して答えた。
 芸術的センスは皆無だったが、そこそこ読めた。犬

の書いたものだからこんなものだろう。
 「私の才能は文芸だったのか。」
 父の犬神とは種類が違っていたのである。
 私は犬神に時々話かけてアイデアを話した。犬神

はそれに答えて至らぬ点や新しいアイデアを提供し

てくれた。
 土蔵で見た父の犬神とは相談の仕方とか違ってい

たが、それは犬神の種類の違いなのだろう。
 そうして議論が煮詰まると、いつの間にか犬神が

文章にしてくれていた。
 私が寝たときに書いてくれているのである。私はそ

のことが恐ろしいことに繋がることに、その時全く気

づいておらず、ただその成果品を見て喜んだ。
 よく考えれば眠ったときに体を乗っ取られていたの

である。
 「犬神に踊らされるな。」
 私は父の警告をその時すっかり忘れていた。
            7
 やがて私は見合い結婚した。
 人から阻害された私は、人生の伴侶を見つけること

が難しいだろうと思ってはいたが、職業が良かったの

とまじめが勤務態度が評価されて妻を得ることができ

た。
 最初の内はうまく行っていて、私達は仲良く生活して

いたが、やがて妻は不安を訴えるようになった。
 「この家にはもう一人の住人が居る。」
 私は犬神の存在に慣れていたので、うっかりとその

ことを話してしまった。
 「ああ、それは犬神だろう。」
 昔から居るんだ、とつい口に出してしまった。
 「いっ、犬神。」
 妻は深い知識はなかったようだが、その名を聞いて

驚いたようだった。
 犬神が何者なのかを知らないようだったが、差別の

対象になることは知っているようだった。
 元々うちは以前に住んでいた所では、近隣に犬神

憑きの家だと知られていたが、住所も変わったことで

あり妻には内緒にしていたのである。
 私は「しまった。」と思い、それきり犬神のことは口に

しなくなった。
 しかし、妻が犬神の存在を知るのは時間の問題だっ

た。犬神が私の寝てるときに勝手に出てきてしまうから

だ。
 妻は最初は私が何かの冗談で、演技をしていると思

っていたようだ。
 だが話をしているうちにそれが全くの別人であり、人

ではないものだと気づいたという。
 最初に犬神は何かの原稿を持ってきて、それを懸賞

に出せという。出せば金になるはずだと。
 妻は言われるままに応募すると、小さな文芸賞だが

佳作になったという通知が来た。
 数万円程度の金が送金されてきた。
 また、あるとき妻が新聞を読んでいると犬神がポケッ

トの中から3千円出してきて、
 「今日は日がいいから宝くじを買いに行け、但し行く

前に道の途中の道祖神様に饅頭を供えることを忘れ

てはならない。」
 と言ったという。変な話だと思いながら饅頭を買って

その通りにすると、果たして100万円の宝くじに当た
った。
 その他、何か金の絡むことで犬神に相談すると悉く

適切な回答があり、勿論外れることも多かったのだが、

自分達で判断するよりは遙かに的中率が高かった。
 また、犬神はよく妻の考えていることを当てたという。
 たとえば、「今、ケーキが食べたいと思っているな。」

とか「新しい秋物の服を買いに百貨店へ行こうと思って
いるな。」とか「ヘソクリを10万ほど貯めているだろう。」

とか突然変なことを言いだしてくるという。
 もちろん的が外れていることもあるが、大体はあって

いて妻はとても不気味がった。
 犬神は心の中が読めると信じている。 
 そういった悪戯の類で済んでいるうちはよかったのだ

が・・・。
 ある時から妻は私の顔をまともに見なくなった。
 何か隠し事をしているように思えたが、問いただしても

答えてくれなかった。
 ある時、その理由がわかった。妻が傷だらけになって

ボロボロの衣服を着て私の横に座っていたからだ。
 私はすぐにことの成り行きを理解した。
 犬神は妻を襲おうとしたのだ。妻が抵抗してモップで

殴ったので、犬神が気絶して私が目覚めたのである。
 「おい、犬神。」
 「いや、すまん。すまん。奥さんがあまりに色っぽかっ

たのでな。」
 「済まんで済むことじゃないだろう。私の中から出て行

け。」
 二人で口論になったので妻は目を丸くした。
 「出てけと言っとるだろうが。」
 犬神は知らん顔をした。
 「それはできん。俺に死ねということだ。」
 嫉妬に狂った私は、その時にとんでもない行動に出

た。
 車のキーを持って飛び出したのだ。
 「おまえが出て行かんと言うならこうするまでだ。」
 私は自動車を運転し、近くの林道を登ると崖の前に

車を停めてこういった。
 「出て行け、もうたくさんだ。」
 「何をしようというのだ、馬鹿な真似はよせ。」
 私は自動車を崖の上ギリギリまで近づけた。
 「出て行かないと言うならこの崖から飛び降りるまで

だ。」
 犬神は恐怖の声で言った。
 「やめろ、そんなことは何も意味のないことだ。おま

えは俺の正体を薄々知っていたはずだ。」
 犬神は叫んだ。
 「俺は、おまえなんだ。」
 そうとも、と私は相づちを打った。
 犬神は俺なのだ。分離など出来るはずはないのだ。
 私はゆっくりと車を動かした。
 「そんなことしたら、おまえも死ぬぞ。」
 私は小さく笑って言った。
 「ああ。でも、おまえも死ぬんだろう。」
 犬神を憎んではならない。犬神を嫌ってはならない。

犬神を追い出そうとしてはならない。父の言葉が一瞬、
頭の中をかすめた。
              8
 「昔から言われている犬神憑きなどというのは、迷信

ですよ、奥さん。」
 気が付くと病室で妻が精神科らしい医師と話している。
 私は眠ったふりをしていた。
 「ご主人は何か若いときにひどい虐めとかに遭われ

たようですね。それで人格が分裂してしまった。」
 多重人格という奴である。私は本やパソコンなどで

既にその知識を得ていて、自分がその病気であること

に気づいていた。父の病気は違ったようだ。
 犬神(精神疾患)が違うのである。
「私は犬神が大嫌いでした。」
 妻の話では犬神はスケベで、つまらない冗談ばかり

下卑た奴だという。普段の主人のように上品で理性的

な人ではないと。
 医師は笑って答えた。
 「犬神もまたご主人なのですよ。」
 私の中の抑制された感情だという。そういえば私は、

妻にいつも抑圧的な態度で接していた。理性的と言え

ば聞こえはいいが、つまりは他人行儀で心を許してい

なかったのだ。
 「心の中を言い当てたり、予言をしたり不思議な力を

使いますが。」
 妻には犬神がまだ神だと見えるのだろう。
 「ご主人の隠された能力が発現しているのでしょう。」
 単なる洞察力だという。
「失礼ですが奥さんは非常にわかりやすい性格をして

います。ご主人の中の幼児性が心の中を言い当てた

りして喜んでいるのです。予言は単なる勘でしょう。」
 いちいち驚いたりして興味を示すと、調子に乗って余

計にやるようになると医師は説明した。
 言ったことが当たっても無視したり、わざと逆のことを

言ったりしたら、徐々に言わなくなるのではないかという

話であった。
 「科学の発達する以前では、精神病のことをよく説明

できなった。なぜか判らないがそういった不思議な現象

がある。突然性格などが変わり行動もおかしくなる。そう

いった現象を、昔の人は自分たちの疑問を納得させるた
めに犬神が憑いたとか、狐が憑いたとか考えたのです。」
 犬神憑きの家は婚姻とかで差別された。遺伝的に精

神病になりやすい家系があると考えたのであろう。
「そういった犬神憑きの家は経済的に裕福な家が多い。

人はやっかみもあり、あの家は犬神を使ってお金を稼い
でいると妬んで噂したのです。」
 私の家は近隣から犬神憑きと言われ、私自身も犬神

が憑いていると思いこんでいた。それが病気を発病する

きっかけとなったのかも知れない。
 「そんなことが本当にあるのでしょうか。犬神が憑く家

系など?」
 医師は精神疾患は遺伝的要素はあるものの、それは

DNAの偶然の一致によるもので、予測などつくものでは
ないと答えた。
 また百年以上前にそんなことがあっても、それから

婚姻を何度も何代に渡って繰り返しているのであるか

ら、 同じ血統など維持できるはずはないのだ。そんな

ことを言い出したら、全ての人間にその可能性があるの

である。
 「事実は違います。百姓は生まれた子供の数だけ農

地の確保できないので、盛んに間引き、現代で言うとこ

ろの子殺しをしたのです。障害を持つ子は真っ先にやら

れたでしょう。食うや食わずの家もそうだった。割と裕福

な家だとそういう子供が生き残れただけです。」
 殺すに忍びない子を家で遊ばせたり、ひどい場合は

座敷牢や蔵に閉じこめたりした。施設や病院のなかっ

た時代ではそうするしか道はなかったのである。
 犬神憑きとよばれた人達は、単に謂われのないこと

を噂され、差別された人々であった。たとえて言えば

学校でのクラス内の虐めを、村単位でやっていただけ

なのである。
              9
 この事件があってから犬神は、なりを潜めてしまった。
 私は事件を振り返ってみて、こう思うことがある。
 「犬神は偽の神であったが、もし本当の神がいるとした

ら・・・。」
 神は意地悪で、もし人よりぬきんでた力があるとしたら、

何かの犠牲を強いたのではないか。
 芸術的に向くような優しい繊細な心は弱さともろさを、

共に併せ持つものだったのだ。この弱い心があるから
こそ、人が出来ない才能を発揮できる。諸刃の剣だっ

たのだ。
 「私の場合、それは中途半端だったが・・。」
 苦笑した。小説は一向に売れそうにない。犬神が書い

たものよりひどくなった。
 元よりそれで食べているわけではないのだからそれで

いい。犬神の力になど頼らなくていいのだ。
 親父は犬神の力をよく使い、上手に利用したけど、そ

の反面私よりずっと弱い人だった。
 犬神を無視する。すなわち心の中に犬神がいても気

にしないようにする。捕らわれない心こそが大事だった

のだろう。
 いつの間にか犬神はおとなしくなり、気づいたら出て行

ってしまっていた。


ペタしてね

影法師

          影法師
            1
 「フォーティ・ラブ。」
 ボールはフェンスを高々と超えて草むらに入っ

た。
 「あんたっ・・て。」
 私に睨み付けられて健二はおどおどしている。
 「何度言ったら解るの!ラケットはすくい上げる

ものじゃない。」
 目の前で思いっきりラケットを振ってやった。殴

られるとでも思ったのか首をすくめる。
 こういう所がイライラする。
 「金魚すくいじゃないんだからね。」
 どうしてもラケットが下からでてしまい、すくい上

げる癖が抜けない。ボールは野球のフライのよう

に高く上がってしまい、軽くフェンスを越えてしまう。
 「いいこと、今日、五回目なのよ。五回目。」
 練習にも、なりもしない。
 「あの、どうしたら。洋子さん。」
 まだ、おどおどしている。
 「早く取ってこんか、アホ。」
 私に怒鳴られてダッシュで草むらに駆けていっ

た。
 そのまま10分くらいはかえって来ない。私はイ

ライラして片づけを始めた。
 「どうしたの?帰るの?洋子さん。」
 またビクビクしながら健二が尋ねてきた。
 「ふん!」と答えてやる。
 「おまえとは、金輪際テニスなどせん。」 
 私の剣幕に驚き、転がったボールなどアセアセ

と片付け始めた。
 「早く来いよ。」
 自分のラケットだけ持って車に戻る。ドジな健二

は不器用に荷物を整理していた。
 「どうしてこんな奴と、あたしが・・・。」
 理由ははっきりしている。前の彼氏と顔がそっく

りだったからだ。
 最初は私の方から声をかけて誘ったのだ。
 身長はやや低かったが、前の彼、英治と顔がう

り二つ。
 前カレには相手の方から別れを持ち出され、そ

のショックに沈んでいた時だったから、健二の出

現は驚きだった。
 悪いけど前カレの代用品として、健二と付き合っ

てやることにした。
 健二が誰とも付き合ったことがないのが驚きだっ

た。こんなに整った顔をしているのに・・。
 でも、すぐに理由が分かった。
 恐ろしく、鈍くさいのだ。
 「いつまで待たせるの。」
 なかなか車に戻ってこない。
 「ボールが1個見つからなくて・・・。」
 草むらに探しに行っているときに、ボールの1個

を判りにくい所に隠しておいたんだけどね。
 こんな虐めもしたくなってくる性格である。
 私が悪いんじゃないよ。
 「なんだよ、このおっさんみたいな運転。」
 英治は私が怯えるほどの乱暴な運転だったが、

健二の運転はトロトロと亀が這っているような走り

方をする。
 国道へ出るまでに時間がかかる。
 「だってさ・・・。」
 情けなく言い訳をする。こういう所が英治とは全

然違う。
 まあ、安全であるのだが・・。
            2
 「まってよう。」
 健二が情けない声を出して私の後をついてくる。
 両手に私の荷物を一杯に持っている。
 英治なら絶対してくれなかったことだが、この点

は私の利益になるから大目に見よう。
 「なんで買い物に行くのに、いちいちスケッチブッ

クだの、デジカメだの持ってくるかな?」
 片方の手にスケッチブックなんか抱えているか

ら、余計に動きが鈍くなる。
 「だってさ・・・。」
 健二の説明では、歩いているときにどんな珍し

い物を見かけるかも分からないからだという。
 詩だの、絵だのといったものばかり書いている、

暗い奴である。
 私が一個持ってあげたら楽なのだろうけど、勿

論そんな重い物はか弱い私には持てるわけがな

い。

 たとえスケッチブック一冊でも、私にはかなり負

担になるのだ。
 だいたい美人のあたしがこんな野暮ったい奴と付

き合ってやってるんだから、これ位は当たり前だろ

う。
 服のセンスなんか、放っておいたらジャージばっ

かり来てるような奴である。
 私がコーディネートして、前カレみたく合わせてあ

げないと、恥ずかしくて一緒に歩けない。
 仕草も英治に合わせるように調教してある。
 「それ違う、前の英治ならこうしたよ。」
 髪の分け方など、いちいち細かい指図をしてやる。
 だいたいこうしないと髪などとかさない。
 「英治君は英治君で、僕は僕だと思うけど・・。」
 「やかましい!」
 ピッシャリ!
 口答えすると平手打ちを食わせてやる。
 すぐに涙ぐんでくるので余計にいらつく。
 「ほら、早く来い。英治ならもっと早く歩いたぞ。」
 殴られるのであせって小走りに駆けてきた。
 っと、思ったら荷物を落とした。
 「何やってる。私の大事な荷物なのに・・・。」
 せっかく健二に買わせた服である(付き合ってやっ

ているのだから、ボーナスとか入ったときは要求して

当然。)、汚れたりしたら大変だ。
 「ごめんなさい、すぐに拾います。」
 そんなことをやっていた時である。
 駅前の公園の方へと、背の高い男がスタスタと歩い

ている。
 忘れられない、見覚えのある格好だ。
 「エ、英治。」
 確かに彼だった。
 私は胸の高鳴りを覚えた。
 「ちょっと、用を思い出したから。あそこの公園で待っ

てなさい。」
 さすがに健二には本当のことは言えず、その場をフ

ラフラと離れた。
 そんなことをしても仕方ないのだが、後を付けて見た

くなったのだ。
             3
 「なんでだろう。歩いてるなんて珍しいな。」
 きっと車を修理に出したか、車検なんだろう。
 後を付けると駅前で電話をかけていた。
 少しイライラして声を荒げているように見える。
 やはり男っぽい。
 そのまま地下鉄へ入っていく。どこへ行くか判らない

ので一区間だけ買った。降りた時に精算すればいい。
 英治は地下鉄に乗ると、人を押しのけるようにして素

早く座席に座った。
 いきなり携帯を出して通話を始める。
 周りの人がどう見てようと関係なかった。そうだ、こう

いう人だったんだ。忘れていた。
 「今、移動中だ。ちょっと待ってろ。」
 怒鳴りつけるように電話をきり、携帯用灰皿を取り出

して、あろうことか煙草を吸い始める。
 隣でマスクをしたお婆さんが咳き込んでいるのに、見

て見ぬふりである。
 「本当に気づいてないのかも。」
 周りの人のことなど全然見ない人だった。
 英治は二駅先で降りるとスタスタと歩いていく。
 私は見失わないように注意して、十メートルくらい後を

尾行した。
 ちょっとストーカーっぽいけど仕方ない。彼の住んで

いる所を知らなかったので、この際だから見つけてお
きたかったのだ。住んでいるところさえ掴んでおけば、

あとの機会はいくらでもあるはず。
 「ごめんなさい。子供が熱出して・・。」
 小さなスーパーの前で五歳くらいの幼児の手を引いた

若い奥さんが居た。
 「えっ、何。どういうこと。」
 えっ、これってまさか。
 あんな大きな子供がいるの?聞いてないよ。
 もしかして騙されてた?遊ばれてただけ?だから結婚

を切り出した途端に別れ話に・・・。
 英治は「ちっ。」っと小さな舌打ちをした。

 「勝ってたんだからな。」
 パチンコの最中だったのだろう。
 「病院は私の運転では・・・。」
 奥さんは必死に弁解しているようだった。英治はひった

くるように車のキーを取った。
 「車、どこに置いてある。」
 「スーパーの駐車場に・・・。あっ、ちょっと待って・・。」
 大きな荷物を抱え、病気の子供の手を引いた奥さんを

尻目に、スタスタと先に行ってしまう。
 奥さんはおどおどしながら付いて行く。
 「これは私だ。」
 いつも彼の行動に怯えながら、ビクビクしながら付いて

いく、数年前の私の姿だった。
 テニスをしているときだって、私がヘトヘトになるまで左

右にボールを振って弄んで、転んでケガをしても笑って

いた、あの男の奴隷だった私だ。
 私はなぜそのことを忘れていたのだろう。
 どうして彼のことを美化していたのだろう。
 もし運が悪ければ、あの奥さんの代わりを、今は私がし

ていたのだ。
             4
 ショックを受けて放心状態の私は、しばらく地下鉄のベ

ンチでボーっと座ったままになっていた。
 「そうだ、健二。忘れてた。」
 知らない間に3時間くらい経っていた。
 まあいくら彼でも、怒って帰ってしまっただろう。
 しかし、いくら何でもそのまま家に帰るのは気が引けた

ので、駅の公園に戻ってみることにした。 
 「どうして待っているのよ。」
 暗くなり始めた駅の公園のベンチで、寒そうに健二が座

っている。
 馬鹿だよ、この子。 スケッチブックの紙が散らばっている。
 きっと待っている間に、公園に来ていた子供たちにせが

まれて、絵を描いたり、折り紙を折ったりしていたのだろう。
 「大切なスケッチブックを・・・。」
 いつも小脇に抱えているスケッチブックが、ずいぶん薄

くなってしまっていた。
 「いいんだ、絵はまた描けばいいし・・。」
 そういって健二は優しい微笑みを返した。 
 私は愚かだった。
 幸せになる宝物はもう持っていたのに、今気づいた。
 自分の大切な宝物を、毎日泥をかけて磨いていたのだ。
 急に自分の瞳が涙で濡れていくのを感じた。
 「何を泣いているの?ぼく、何か気に障るようなことをし

たかな?」
 私は泣き顔を見られたくなくて、横を向いた。
 空を見上げないと涙がこぼれ落ちてくる。健二に申し訳

がない。
 「なんでもないよ。なんでもないのよ。あなたのせいじゃ

ない。」
 「泣かないで、僕も悲しくなる。」
 私の髪を撫でながら、自らも涙声になっている。
 こんな優しい気持ちがアイツにあっただろうか。
 私は今まで何を見ていたのだろう。
 健二の手を取り、思いっきり抱きしめた。
「さあ、影法師さん。もうお役目は終わり。光の世界へ出

ておいて。」


ペタしてね




道 陸 神

          道陸神
            1
 「あんたのお兄さん、また庚申さんの所をウ

ロウロしてるよ。」
 理恵が指をさして笑う。
 お兄ちゃんは気付いてないみたい。
 「何してるの。このごろずっとじゃない。」 
 近所の人が気味悪がってると、教えてくれた。
 無理もない。一目で役人とわかる青いユニフ

ォームを着ているのだ。
 「さあ、ねえ。」
 何をしているか、私は知らないのだ。聞いた

所で守秘義務とか何とかで教えてくれたためし

がない。
 「今度聞いといてよ。お母さんが知りたがって

いたんだ。」
 何よそれは。
 「自分で聞けばいいじゃない。だいたい、あん

ただって顔見知りの癖に。」
 理恵の家もこの辺で、近所なのだ。
 「だって、嫌よ。アレだし。」
 アレってどういうこと。友達でも少し腹が立つ。
 「気持ち悪いんだもん。」
 その言葉を聞いて我慢ができなくなった。

私は理恵の二の腕を掴むと無理矢理お兄ち

ゃんの所まで引っ張っていった。
 「おにいちゃん。」
 声をかけるとびっくりしたように振り向く。
 「なんだ、有希か。」
 大きな右目がギロリと睨んだ。
 左の目は動かない。いつも黒い眼帯をして

いる。片目がつぶれているから。
 「理恵が聞きたいことがあるんだって。」
 理恵は急に私の後ろに隠れて背中を叩く。
 「やあよ、ない。ない。」
 質問を言おうとしない。
 お兄ちゃんは不機嫌な顔をした。子供と

遊んでいる暇はないという顔だ。
 「お前達、学校は。」
 もう10時になっている。
 「終わったよ。」
 正確に言うと早引きしたのだ。
 高校は単位制だから、単位さえ取ればあ

る程度出席すれば卒業できる。私達のよう

な勉強できん組は、いない方が進学組の邪

魔をしなくていいのだろう。先生は何も言わ

ない。
 「まじめに行けよ。」
 お兄ちゃんは県職員だが教員ではないの

で別に叱りはしない。役人の世界では自分

の縄張り以外は関心がないらしい。
 「行ってるよ。それよりお兄ちゃん、理恵の

お母さんが聞きたいことがあるんだって。」

 お兄ちゃんは複雑な顔をした。
 「吉田さんとこの子だね。お母さんが何か

言ってたのかい。」
 理恵は黙って首を横に振った。
 「でも、残念ながら教えられない。貴方の

家には関係のないことだから。」
 何で意地悪するんだろう。
 「お兄ちゃんがそこで何してるのかって聞

いてるだけじゃん。」
 お兄ちゃんは黙って庚申さんを見ている。
 「昼日中から中年男が、仕事しないで庚申

さんの近くをウロウロしてたら、誰だって変に

思うわよ。」
 お兄ちゃんは黙ったまま難しそうな顔をし

て、何かの図面と庚申さんを見比べている。
 「返事くらいしろ。」
 平手で背中を思いっきり叩いてやり、理恵

と二人で逃げた。
 「いいの?痛そうにしてたよ。」
 理恵は可笑しくて仕方ないという顔で笑い

ながら走った。
 「いいのよ、どうせ追いつけやしないし。」
 無視されて、少しすねてるのが自分でも判

る。
 理恵は、「あいかわらず仲がいいわね。」と

私達二人のことをからかった。
 お兄ちゃんが理恵に話をしない理由は後に

なって判った。言えない理由があったのだ。
            2 
 「健二君が何してるのかって。」
 うちのお母さんは理由を知っていた。
 「今、土木事務所に居るからね。道を見てた

んだろう。」
 町の人はみんな知っているらしい。
 「吉田さんも関心があるんだろう。自分の土

地でも引っ掛からないか。」
 お父さんは新聞を読みながらそう言った。
 「いやだ、お父さん。うちの家より吉田さんの

家の方が、あの道より遠いよ。」
 お母さんは笑って、お父さんの肩を叩いた。
 「村井さん所は補償でかなり儲けたらしい。

家も立派になって。」
 最近引っ越していった、村井米穀店のことを

言っているらしい。
 「店なんかほとんどやってなかったのに。や

っぱり営業していると、補償の額は大きくなる

のかしらね。」
 お母さんは羨ましそうだった。

 理恵のお母さんが聞きたがっている理由が

わかった。次は誰が補償の金を貰うか関心が

あるのだ。マダム達の噂のネタにしたいらしい。
 「まあ、健二君も大変だね。近所だし。」
 お父さんにはどうでもいいことみたい。
 「お兄ちゃん、遊んでいるわけじゃないんだね

。」
 「当たり前でしょ、この子は。失礼なことばか

り言って。それにもう高校生になったんだから、

隣の健二君のことをお兄ちゃんというのはやめなさい。」
 前にスーパーで、娘さんとどんな関係かと言

われてから、お母さんは機嫌が悪い。
 「まったく、年頃になったんだから。少しは気

を付けなさい。縁談にも支障が出るわ。」
 だってお兄ちゃんは、お兄ちゃんじゃない。

そりゃ、たしかに「隣の」は付くけど、私にはお

兄ちゃんであることに変わりはない。
 両親が共働きで寂しかった私は、隣の家に

いつも入り浸って育ったのだ。
 「あんなことがあってから、お母さん達の態

度が変わった。」
 私はぶすりとそう言ってから、黙々と夕食を

食べた。
 「やあね、何言ってるの。この子は。」
 お母さんは作り笑いをして、洗い物を片づけ

だした。
            3
 隣のお兄ちゃんは片目だった。
 足もわるかった。
 いつもびっこを引いていて、走れなくなってい

た。
 元からそうじゃなかったらしい。
 小さいときに遊んでもらった記憶では、元気

に近くの公園で走っていた。古い写真にはまだ

小さかった私とお兄ちゃん達兄姉が写っている。

とても元気そうにしていた。
 私はよく覚えていないが、お兄ちゃんは交通

事故に遭ったらしい。
 お兄ちゃんのお母さんと、お嫁にいったお姉

ちゃんが泣いていた。
 しばらく姿を見せなかったが、再び会った時

に私は泣いたという。
 お母さんの話では別人になっていたという。

怖くて私は泣いたらしい。今はなんとも思わな

いのに。
 顔にも大きな傷跡が付いている。
 「何かお兄さんて小さくなったね。」
 私は彼にそう聞いてみたことがある。
 「本当、バカだな、おまえ。しばらく会わないう

ちにお前が大きくなったんだよ。」
 もともと背は低かったらしい。小さい私には大

きく見えたのだ。
 今はお兄ちゃんのつむじが見える程、私の方

が大きくなった。
 やがて、お姉ちゃんは鳥取にお嫁に行き、

お兄ちゃんのお母さんも亡くなって、母子家庭

だったお兄ちゃんは一人っきりになった。
            4
 お盆になるとお嫁に行ったお姉さんが帰って

くる。
 知らない内に言葉のアクセントがおかしくな

っている。米子弁だそうだ。
 来るたびに子供も増えているようで、お姉ち

ゃんは幸せそうにしてる。
 「お兄ちゃんは何もしなくて。」
 お姉ちゃんは大きなお腹を抱えて部屋の掃

除をしたりして大変そうだ。
 可哀想だから私も手伝ってあげる。
 「家を汚くするのはいいけど、仏壇だけは。」
 仏壇とお墓だけはきちんとしないと親戚に叱

られるそうだ。
 「こんなんじゃ死んだお母さんに悪いから。」
 お姉さんは永代供養にしたいと言っていた。

よく判らないけどそうすると法事とか楽になる

そうだ。
 本当は米子に位牌を持ち帰りたいらしいが、

旦那さんの手前、できないらしい。
 「早く結婚してくれないとね。」
 掃除の間、一日中グチをこぼしている。前は

こんな人じゃなかったのに、段々とうちのお母

さんに似てきてる。
 「いつまでも夢ばかり追ってるから。」
 夢って何のことだろう。お兄ちゃんの夢なんか

聞いたことがない。
 「ねえ、お姉ちゃん。お兄さんの夢って何。」
 お姉ちゃんは困った顔をした。
 「言うと怒られるから。また、今度ね。」
 それきりお姉ちゃんは口をつぐみ、二度とその

話題には触れなかった。
              5
 「ねえ、洋子いる?」
 背の高いお姉さんだ。少しトウがたっているけ

どかなりの美人。
 庭のダリヤをいじってたら、声をかけられた。

うちの庭じゃないけど、お兄さんは

 手入れをしないから、うちの家が借りて花を植

えている。
 「どなた。」
 私はおずおずと返事をした。
 何かやたらでかいのだ。私も女の子としては

大きめな方だけど、一回りは違う。美人でスタ

イルよくてスラリと背が高い。何か黙って立って

いても他を威圧するような雰囲気がある。
 「あなた有希って子でしょ。」
 彼女は私を見てニッコリと笑った。
 「健二から聞いてるわよ。」
 私の方はあなたを知らない。なぜ、お兄ちゃん

のことを呼び捨てにするのだろう。
 「私は保健婦の泉。あなたのお兄さんとは高

校からの友達なの。」
 それでか。同級生なのだろうか。
 「それで、洋子は。」
 洋子はお姉ちゃんの名前である。
 「帰ってます。呼んでくるわ。」
 おねえちゃんはあわてて出てきた。
 「いずみぃ、元気そうじゃない。」
 小柄なお姉さんとは大人と子供程の身長差が

ある。
 「あんた、会うたびにおばさんになるね。」 
 私でも思ってても言えないことをズケズケと言

う。
 「あんたこそ、オールドミスが板についてきたわ

ね。新人いびってるんじゃないの。」
 二人で悪態つきながら抱き合っている。よほど

仲がいいらしい。
 二人は高校の時の同級生らしい。お兄さんは

二人より二歳年上だ。
 お姉さんは実家の悪口や子供の話を始めた。
 こうなるととまらない。泉さんは適当にあいづち

を打っている様子。
 「泉は、いい人いるの。」
 ひとしきり自分のことをいってから、初めて相手

のことを聞いた。
 「まだまだだよ。変な奴ばかり寄ってきて。」
 泉さんの何気ない一言で、お姉さんの顔が急に

曇った。
 「中で話そう。言いたいことがあるんだね。」
 お姉ちゃんはそう言って泉さんの手を取り家の

中に入っていった。
             6
 私は急に暗い顔をしたお姉ちゃんが気になった。
 泉さんが帰ってから、それとなく聞いてみた。
 「はあぁ、困ったわよ。」
 お姉ちゃんの顔はふさぎ込んでいる。
 「何か、言われたの。」
 あの女の人の性格では何かきついことを言ったの

かも知れない。
 「こればかりは親友の頼みでもね。」
 つらそうな顔が見ていて痛々しい。
 「何か私に話をして楽になるなら言ってよ。」
 急にお姉ちゃんは目を輝かせた。誰かに言いたく

て仕方がなかったらしい。
 「じゃあ、聞いて。でも絶対にないしょだよ。」
 お姉ちゃんと泉さんは昔からの友達で、よく家に

遊びに来ていたらしい。そのころのお兄さんはケガ

をする前だから、身体も元気で活発な性格だったよ

うだ。
 今でもそうだが結構冗談も言って面白いし、友達

として泉さんは三人で付き合っていたらしい。
 でもだんだんお兄ちゃんの方がその気になってき

て、猛烈にアタックするようになったという。
 それから泉さんは家にあまり来なくなったようだ。

やがて大学進学で住所も別々になり、二人は何の

関係もなくなったのだが、何の偶然か同じ職場で

働くことになった。
 「絶対、健二は私のことを追ってきたのよ。」
 泉さんはそう言っているという。
 また、現在も猛烈にアタックしているというのだ。
 「そう言われても仕方ないしね。」
 お姉さんはそのことを悩んでいるという。
 「でも、私からは言えないよ。本当に好きみたい

だから。」
 それとなく拒否の返事を妹から伝えて欲しかった

らしい。お姉ちゃんは気の毒で言い出せないようだ。
 「なんか、格好悪い話だね。私から見ても無理目

だと思うよ。」
 身体の大きさも違うし、相手はかなりの美人だよ。

相手が悪いよ。
 「もう何年もなの。だから結婚しないんだ。夢を追

っているから。」
 お兄ちゃんの夢とはこのことだったんだ。
             7
 一応私のようなサボリ魔でもクラブには所属してい

る。これでもバレー部員だ。背が高かったから誘わ

れたという噂もあるけど。
 3年生が引退して今日はその打ち上げに、追い出

しコンパをお好み焼き屋でやった。男子がビールを

注文したので、少しもらって飲んだ。
 「いけない、酔ってる。」
 頭が痛い。自分でも顔が赤くなっているのが判った。

このまま帰るわけにはいかない。
 「庚申さんのところで休んでいこう。」
 庚申さんの横にはバス停があり、ベンチが置かれて

いた。
 庚申塚と大きな字でかかれてあり、お供え物や花が

いつも供えられている。
 私は急に眠気が出て、そのまま居眠りしてしまった。
 「お嬢さん、風邪ひくよ。」
 腕を揺すられて起きた。知らない顔したお婆さんが

いる。
 「顔が赤いよ。」
 いいのよ、これはと言って、またまぶたを閉じた。
 半開きの目で見ると、お婆さんは庚申塚を掃除して

いる。かなりお年を召した方で、背中が大きく曲がり子

供のように小さかった。
 「毎日、花を上げているのはお婆さんだったんだ。」
 お婆さんはニッコリと笑った。
 「私だけじゃないよ、この神様にお供え物をする人は

たくさんいるんじゃ。」
 ふ~ん、そうなんだ。小さいときはこれは誰かのお

墓だと思っていて、神様だとは知らなかった。
 「ずいぶん好かれている神様なんだね。」
 お婆さんはニコニコしながら、答える。
 「そうだよ、これは今は庚申様と呼ばれているけど

本当は道陸神(どうろくじん)といって道の神様なん

じゃ。」
 おばあさんの小さいときは今よりずっとこの町は小

さくて、ここは集落のはずれだったらしい。

 「道陸神は道祖神とも言って、道の神様なんじゃ。村

に病気や災いが入らないよう、この辻で守っておられ

る。」
 おばあさんの話では悪い病気や災害、悪い運という

のは道から運ばれてくるという。
 昔は病気は他所の旅人が持ってくることが多かった

だろうし、戦争も町ごとに行われたから辻は大事だっ

たらしい。犯罪者も街道の辻からやってきただろう。
 庚申さんは身体の中の虫が、庚申さんの日にお尻

の穴から出て、天帝にその人の 悪事を報告し寿命

を縮めるのを封じる神様で、本当は道陸神とは違う神

様である。
 「いつの間にか話が混じってしまい、元々あった道陸

神と同じに祭られたのじゃ。でもそれはそれで良い、み

んなに喜ばれるのは道陸神様も嬉しいだろうから。私

らの小さい時はここに祠があって、小さい子供が集ま

って賑やかだった。」
 寿命を縮められないように眠らなかったから、大っぴ

らに夜更かしができたらしい。
 「どんな神様だったんだろうね。」
 私は少し興味を持った。
 「それが、足の悪い、小さな神様なんじゃ。」
 旅人が道陸神の前を通ると、急に痛い足が痛くなく

なるという。
 「人の足の痛みを肩代わりしているうちに、自分の足

が悪くなってしまったのじゃ。」
 だからいつも足を引きづっているという。人の足のこ

とを心配しているうちに、自分の足が悪くなったという。
 「また、目が一つ目なんじゃ。」
 道陸神は目の神様でもあるため、拝んでくれる人の

目の痛みを、自分が代わってあげようとした。みんなの

目を直そうとしているうちに、とうとう自分の片方の目が

見えなくなってしまったという。 

 「目薬やワラジが備えてあるじゃろう。」
 これは道陸神に助けてもらった人達が今度は道陸神

様の足が良くなるように、また目が良くなるように祈って

供えるという。
 「へえ、とってもいい奴なんだね。」
 見た目が悪いけどとってもいい人らしい。
 「この道陸神がこともあろうに神様の中で一番美人の

弁天様に恋をした。」
 道陸神は弁天様に猛烈に求愛したらしい。
 「弁天様は嫌がって逃げてしもうた。」
 弁天様は道陸神が追ってこれない池の周りや離れ

島など、足の悪い人がいけない所に住んだという。
 「それでも道陸神が追いかけていくと、丸太の橋を架

けてそこを渡ってこいと言うたそうじゃ。」
 道陸神が喜んで渡ろうとすると丸太がクルクル回って

落ちてしまう。弁天はその様を見て笑ったという。
 「へええ、足の悪い人にわざわざ渡れない橋をかけた

んだ。」
 なぜか急に目に涙が溜まってきた。
 「それで、その様子を見て喜んだんだ。」
 なぜだろう、涙がひと筋ほほを流れた。
 「なんて悪い神様だろう。人の不幸を笑うなんて。な

りたくてそうなったんじゃないのに。みんなの痛みを和

らげようと思って、自分の身体を犠牲にしたのに。こん

なに人に慕われてるのに。」
 お婆さんはニッコリと笑ったままだ。
 「嫌だったならはっきり嫌といえばいいんだ。わざわざ

道陸神が来れない所に行くのは陰険だよ。」
 お婆さんは私の右手に手を置いた。
 「あなたは優しい子だねえ、そんなに涙を溜めて。」
 私は照れ笑いをした。
 「バカだね私って。昔話なのにね。そんなことは実際

にはないのに。」
 お婆さんは私の右手に両手を合わせて、目で示した。
 「昔話のことじゃあないよ。あなたにはあれが見えない

のかい。ほら、あそこにいる片目でびっこの男。あれが

道陸神様だよ。ここで何か調べものをしてる時に、車に

はねられたのさ。事故が多いこの辻の、道を広げようと

してるんだ。」
 お婆さんの示した方向には、隣のお兄ちゃんがいた。  
              8
 「おい、有希。こんなとこで居眠りするなよ。」
 気が付くとお兄ちゃんが来ていて私の肩を揺すっている。
 「あれ、おばあちゃんは。」
 辺りは薄暗くなっている。
 「おばあちゃんなんか、最初から居なかったぜ。」
 おかしいな、確かに手を握られた感覚があるのに。
 顔のほてりも冷めたので、フラフラと寝ぼけたまま家に

帰った。
 停留所で醒ましたかいがあって、お母さんには気付か

れなかったみたい。
 「変なお婆さんにあったんだよ。」
 その話をするとお母さんは真っ青になった。
 「庚申さんの横に小さな地蔵さんがあったでしょ。」
 お母さんの話では前に老人性痴呆の人が毎日夜中の

2時に庚申さんを掃除していたという。痴呆だから夜昼が

わからず、夜眠れないのでこっそり家を抜け出し掃除をし

ていたようである。
 「あそこは三叉路で見通しが悪いから。」
 当時は外灯もなく暗かったし、誰もあんなとこに人が居

ると思わないから、夜の仕事をする人に自動車ではねら

れてしまったという。
 「きっと、そのおばあさんだよ。」
 私は頭の中が真っ白になってしまった。
 「ひええぇ。」
 そのまま気を失った。
                9
 「夢なんてものは人間の記憶の中から見させるものさ。」
 お兄ちゃんは笑って相手にしない。
 「きっとお兄ちゃんにお礼が言いたくて出てきたんだよ。」
 あれから怖くて庚申さまの前が通れない。
 「じゃあ、いい霊だな。まあ、たぶんその話は、有希が昔

聞いた話の中から出てきたんだ。本人は忘れている意識

が蘇ったんじゃないか。だいたいその昔話はおれも聞いた

ことあるぜ。」
 そういうものだろうか。まあ、礼を言われた本人がそう言

うし、気にしないんだからそんなものかも知れない。少し

気が楽になる。
 それからしばらくして、お兄ちゃんの家の庭をいじってたら、

また泉さんが来てお姉ちゃんと立ち話を始めた。
 「そうなの、京都に出るの。少しは近くなるね。」
 泉さんは京都に転勤することが内々に決まったらしい。
 「まあ、こんな田舎町にいつまでもいてもね。少しは人生

を楽しまないと。」
 お姉ちゃんは羨ましそうにしている。
 「あたしなんか旅行もできやしない。」
 泉さんは笑ってお姉ちゃんの大きなお腹をなでている。
 「予定外に仕込まれちゃったからね。」
 やっと、上の子が小学生になったばかりなのにと、ぼや

いていた。
 「でも、ねえ。あんたに言うのもなんだけどさ。」
 泉さんは嫌な顔をした。お姉ちゃんも何を言われるか判

ったらしく、暗い顔をした。
 「健二も京都に来るんだって。」
 泉さんはケラケラ笑った。
 「まったく、いい加減にしろよなって感じ。」
 お姉ちゃんはつらそうな顔をしている。
 「そりゃ、好いてくれるのは嬉しいけどね。」
 泉さんは長い髪を掻き上げてみせた。
 「いくら何でも私とじゃ、釣り合いが・・・ 。」
 突然、泉さん綺麗な頬に汚い泥が「べっちり。」と付いた。
 「きゃああ、何これ。」
 気が付くと、私の右手に泥の固まりがあった。我慢でき

なくなって投げてしまったのだ。
 「いい加減にしろ。」
 一度堰を切ってしまうと、後は抑制が効かなかった。さら

に洋服めがけて投げてしまった。
 「少しくらい綺麗に生まれたのが何だ。」
 庚申のお婆さんの話がフツフツと頭に蘇ってきた。この

人が傲慢な弁天なんだ。
 「お兄ちゃんはいい人なんだ。お前なんかに相手にされ

なくても、判る人には判るんだ。」
 さらに続けて髪を狙って投げた。
 「やめなさい、有希。」
 あわてて間に入ったお姉ちゃんにも投げてしまった。
 「この子は、お兄ちゃんのことが、好きで、好きで。」
 何を言ってるの、お姉ちゃん。そんな気なんかないよ。
 「だから許してやってね、泉。勘違いしているだけなんだ

から。」
 勘違い?何のこと。何言ってるんだろう。
 泉さんは泥だらけになり、泣きながら帰って行った。服も

化粧も台無しである。こんな屈辱を受けたのは初めてだろ

う。
 「ざまあみろ。」
 私も泥だらけになってたが、何かをやりとげたような爽快

感があった。
 「何やってんの、後で泉にあやまんなよ。」
 お姉ちゃんが身重の不自由な体でよたよた私に近づくと、

ぴしゃりと頬を叩いた。
 「私は、何も悪いことなんかしてないもん。」
 ふくれ面で横を向いた。
 誰があんな奴に謝るものか。
              10
 それから数年の時間が経ち、私も少しだけ大人になっ

た。
 お兄ちゃんは京都に出てしまい。隣の家は静かなままだ。

二人が帰ってきた時に喜ぶように、いつも私が花を植えて

いる。
 お兄ちゃんが出ていってしばらくすると、あの危ない三

叉路は、両側に舗装の付いた大きな広い道の十字路にな

った。
 庚申塚は少し移動したけれど、社も少し立派になり、今

も花が絶えないでいる。お地蔵さんも元気だよ。
 この夏には彼氏と言える人ができた。まだまだ頼りない

男だけど、当面はこの人で行こうと思っている。
 あの昔話を思い出して考えるのだけれど、神様の恋愛

事なんてのを、人間の時間の感覚で、判断してはいけな

いのではないのだろうか。
 だって相手は神様だよ。数千年・数万年生きるんだ。人

の物差しでふられただの、上手くいったなどと、図れるも

のじゃない。人間程度の小さな脳みそで、判断したらだめ

だったんだね。
 きっと、弁天様は彼氏に甘えてたんだね。愛を確かめた

かったのかも知れない。きっと道陸神の方もそれが判って

たんだ。
 これはあたしには確証があるね。保証して言えるよ。
 どうしてそんなことが言えるって?だってあたしには証拠

があるもの。
 今、あたしの手元には、「私達結婚しました。」と書かれ

た、片目の小さな男と大柄な 美人が一緒に写った年賀

状が、来てるのだから。



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海神の怒り

          海神の怒り


 その島は貧しく、冬になって海が荒れると漁ができな

いため、海の底に居ると言われる海神に子供を捧げた。
 その年も、次の年も、その次の年も時化で漁ができ

ないため、村人はなくなく子供を生贄に捧げ続けた。
 元々貧しい村だったので、毎年海が荒れ続けると、と

うとう生贄に捧げるような子供がいなくなってしまった。
 海はずっと荒れ続け、このままでは村の全員が飢え

死にしかねないような状態となった。
 村の人々は相談して今度は娘を生贄に捧げることと

した。
 村で一番美しい娘に因果を含め、綺麗な服を着せ、

化粧をさせて、お別れの祭りを開いた。
 祭りの最中、急に誰かが気づいて浜の方を指さした。
 鎧姿の武者が海から上がって、真っ直ぐにこちらの方

に向かってくる。武者の顔は白いしゃれこうべになって

いる。
 これが海神かと、皆は恐れ平伏した。
 村長が海神の前に進み出た。
 「毎年、毎年、子供を捧げ続けたために、村では子供

が居なくなってしまいました。今から代わりに娘をあなた

の所へ使いに出すところでした。」
 海神は刀を抜くと、物も言わずに村長の首を刎ねた。
 転がった村長の首を見て、村の人々はてんでに争っ

て逃げた。
 海神はカモシカのように脚が早く、村人は追いつかれ

て、次々に首を刎ねられた。
 ある家では主人が軒先に立ってこう言った。 
 「待ってください。家には山仕事で足を折った女房が居

ます。逃げることができません。私が犠牲になるので女

房は助けてください。」
 海神はその者の首を刎ね、玄関の戸を蹴破ると、中に

居た女房の首を刎ねた。
 やがて村人は島のはずれの崖の上に追いつめられた。
 皆、てんでに命乞いや言い訳をしたが、海神は何も言

わず村人の首を刎ね続けた。
 最後に残った村人が海神に問うた。
 「私たちは、毎年、あなたに生贄を捧げ続けたではない

ですか。どうしてこんなむごいことをするのです。」
 海神は、高々と刀を振り上げながら、初めて口を開いた。
 「毎年、毎年、この日になると子供の死骸を社に放りこ

みやがって。腹に据えかねたから、この村の大人は残ら

ず切ることにしたのだ。」
        
 

 よい子のみなさんへ
 

人に贈り物をあげる時は、その人が本当に喜ぶかどうか、

よく考えてから渡しましょう。



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救助基地

           救助基地
              1
 「船長、メインエンジンの調子がおかしい。このままで

は航行不能になります。」
 航海長が血相を変えてブリッジに飛び込んできた。

このままでは宇宙の塵になる。
 「この天体で本船を係留できる宇宙ステーションは

ないか。」
 航海長は難しい顔をした。
 「残念ながら。」
 何ということだ。これでは物資の輸送どころか、生命

の危険さえあるではないか。
 「ただ、ナメック星人の無人救助施設があります。有

料ですが。」
 星間条約により、航海上一定の救助施設は備えなけ

ればならないことになっている。
 「仕方がない。ナメック星の救助基地に針路を取れ。」
 ナメック星人は宇宙一、金に汚いと言われる人々で

ある。積み荷の違約金や使用料のことを考えると頭が

痛いが、この際やむを得なかった。
 宇宙船はフラフラと走行しながらも、やっとその救助

基地に着き、私も胸をなでおろした。
              2
 「食料が3日しかないだと。」
 料理長の報告に皆が色めきだった。
 「修理に時間がかかれば飢え死にしますよ。」
 機関長の話では思ったより破損がひどく、航路に復帰

するまでにかなり時間がかかるらしい。
 「艦長、大丈夫です。この基地は救助設備が完備して

いるはずなのです。食糧も水もあります。」
 航海長は資料を見ながらそう説明した。
 ところが乗員総出で基地内を捜索したのだが、施設内

は宿泊・娯楽用施設は完備していたが肝心の食糧を探

すことはできなかった。
 「ナメック星人もやることが抜けている。食糧がなけれ

ば救助基地の意味がないだろう。」
 欲張りのナメック星人にしては迂闊である。恐らく、前

に泊まった宇宙人が食糧を食い散らかし、その後に補

充していないのだ。
 「それに、この銀色の家具類は何だ。」
 全ての机や椅子が銀色に輝いている。
 「欲張り星人だから成金趣味なんだろう。」
 空腹で隊員達は気が立っており、口々にナメック星人

の悪口を言った。
 おまけにどういうわけか備品の一つ一つに値札が付い

ている。
 「しかし備品の値段にしては安いな。」
 欲張りの宇宙人にしてはひどく良心的な値段だ。宇宙

飛行士に机を売ろうという神経は理解できないが。  
 「これは机の使用料じゃないか。」
 誰かがそう言い出した。それならむしろ高い値段である。

そんなもので金を取ろうというならやはり噂通りの宇宙人

である。
 「人の弱みにつけ込みやがって。」
 何というあくどいやつらだろうか。
               3
 15日後、食糧の不足は深刻な状況になっていた。もは

や宇宙船の修理どころではない。腹がへって動けない。
 「船がこっちに向かって来ています。」
 助かった。皆が喜びの声をあげる。
 船は、ナメック星人のものだった。たぶんこの基地をメン

テナンスする船なのだろう。
 「わが星の宿をご利用いただきありがとうございました。

早速料金のお支払いをお願いします。」
 いきなり商談である。
 私は食糧がなくて困ったことを抗議した。
 「失礼ながら、私どもナメック星人はいつも最高のサービ

スを提供することに努めています。料金が高い、がめつい

などといわれのない中傷を、心ない宇宙人から受けること

はありますが、私共の請求額はあくまで最高のサービスに

対する正当な報酬であると考えております。」
 慇懃無礼な物言いである。
 「そのようなことを銀河系を代表する紳士の星である地球

人の皆様が、おっしゃるとは思われません。また、食糧は十

分すぎる程にご用意しております。」
 ナメック星人は銀色の机に手をかけた。
 「説明書をよくご覧になられましたか。輸送費用の削減の

ため、この薄い銀色の金属。あなた達の星の言葉では、銀

紙というのでしょうか。これを剥がすと、備品も壁も非常用

の食糧になっていることを。」
 基地そのものが、お菓子の家だったのだ。
 「よもや、こんなおかしな成金趣味の机や椅子を、我々ナ

メック星人が常時使っているなどとは、思ってはいなかった

でしょう?」
 机に値札が付いていた理由が、今わかった。



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