https://ameblo.jp/shiitake-uranai-desuyo/entry-12237856682.html

うーん、これ今更ながらに
うんうん、その通り。

引き受けなくてもいい
普通の人なら尻込みするような案件を
わざわざ見つけてきて背負う。。

もーやめます!
あほらしいから。

自然とそうなるのでほっといたけど
結果、なんか誤解されたり
馴れ馴れしい関係になったり
しまいにはうんこなげられたりしてきて

ほんと全てあほらしいにつきる

こんな劇場はとっととぶっ壊わしてしまおう

断捨離常に心がけよー!

そして格言をきざめ!

" 知らねーし!"もしくは
" 知ったこっちゃねー!"
自分がかつてそうだったものの記憶というのは

どこか果てしなく細胞に刻まれていて

なぜこんなにも〜なのか?

まるで自動反射的にそうなってしまう。

最近かつて自分がそうだったものの記憶がふとした時に湧いてくる

かつて私は皆の物だった時がある

望んでそうなったわけではないけど

そうなってしまった

そして今世で会うかつての私の主人達が

なぜ今世自分のものにならないのか?

というような態度をとってくる

当たり前に自分のものだったのにというような

そんな波動を感じる

それは愛とかそんな波動とは全くちがい

エゴそのものの所有欲だ

欲しくてたまらない

そう、お金とか地位とかそんなものを欲しがるのと全く同じような感じ

そんな波動

そんなものを向けられてもクソほど嬉しくもない

でも私はかつて欲しがられなければ生きていけないというような状況に置かれていたのだと思う

それこそ、生きるか?死ぬか?

欲しがられないのならば処分される

だから自分の奥をみると

嫌がりながらも生存するために
無意識のうちに欲しがられないと生きている価値がないというような
そんな思い込みをもっている気がする

だからそういう人物を惹きつけるのもある

そんなものがウチにあるのなら
当たり前なんだ

ダブルバインドだ

不思議の国のアリスのクッキーや瓶のように

"私を食べて" "私を飲んで"とラベルがはってあるようなもの

私が貼っているのは
"私を欲しがって"というようなラベル

欲しがられなければ価値がないということはない

それをさらに飲み込んで糧にしてゆく術をつかうこともできるけど

もはや私の中にそんなエネルギーはない気がする


めんどくさいもんな〜

今深層心理にそういうものが刻まれているのだということは理解はするけど

なんかもういらない気がするそのラベル

そのラベルのために寄ってくる男のために悩むのももーまっぴらだし

剥がそうそのラベル

とかく、かつてそうだったものの記憶が
またここ吹き出してきている

ちゃんと観て対処して解いていきたい

別に欲しがられなくていい

必要とされなくていい

気に入られなくていい

自分のまんまでいい

かつて私を所有していたモノたちに媚びなくていいし

それでもちゃんと生きてゆける

もう手放していいんだ

その時の怒りや劣等感や恨みもしっかりと

観て感じて解き放ってやりたい