みかほんのブログ

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満を持して産んだ四男が可愛すぎるし、みんな一番面白い時かなーと見切り発車してるブログです。

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格言好きな父が前に言ってた。
「孫に好かれなくてもいいんだ。きちんと教えてやらんと。僕は別に好かれなくていいんだよ。」
深い……相変わらず深いい……
と、そのときは感じた。
でも、何か腑に落ちない。ほんとは可愛がりたいけど、甘やかしたいけど、それはしない!ってこと??

私はバランスの取れた人間じゃないし、安定性は0。幼稚園の先生や、完璧な雰囲気のあのママとも全然違う。死にたくなったり生きたくなったり毎日するような人間。でも、ふわっと子供たちを超可愛がって、甘やかしたくなるときがある。それを実行した時の子供と

の雰囲気って、まるで絶頂期の恋人どうしみたいになる。
ふと思い出す。
こんな風に愛されたことがある。遠い遠い記憶にある。もう死んでしまった、ひいじいちゃん。「あんたの好きなものを教えておくれ。好きなものを買ってあげる。なりたいものになりよ。」もう甘やかしまくり。私の書いた巨乳の女の人の絵を玄関に貼ってくれたりした。
それと、もう死んでしまった、ばーば。口は悪かったけど、本当に可愛がってもらったし、ばーばは私を大好きだった。長男が産まれたときは、真夏であろうとも電車にのってやってきた。その時はうるさくも感じたけど、ばーばはそんな風に、自分の感情に正直な可愛らしい人だった。ピアノも最初の車も、振り袖も買ってくれたのは、ばーばだった。
もちろん、今生きてくれてる、ばあちゃんも。私のことを「かわいいあの子」と呼んでくれたり、私が会いに来ると元気が出ると言ってくれる。お腹がすいてないか、寒くないかいつも気にしてくれる。
両親の事は、書くときりがないから、またにする。
とにかく、夢のように愛された。受け入れられた。
子供には、夢のように愛される権利が生まれると同時に与えられてると思う。とにかくただ、可愛いんたと。大事なんだと。抱き締めずにいられないんだと。そう接してもらったことは、心のなかなにずっと残って、時々思い出す。そうやって、例えその時辛くて孤独でも、夢のように愛された事を思い出す権利がある。

父の言うことは正しい。いつも大体正しい。でも、もしも、孫たちの事を、もうどうしようもなく甘やかしたり、スリスリしたくなったときは、思う存分そうしてほしいなと思う。まぁ、もしどうしても、それはできんよ……って感じなら、私がするからいいんだけど。
私を夢のように愛してくれた存在が、子供たちにも居てくれたらって、切ないくらい思う。。