奈良・都塚古墳
昨日は曽我稲目の墓かもしれない古墳の説明会に4100の人が集まったという。都塚古墳は方墳で40mで段状の葺石塚でピラミットのようだという。ネットを調べたら須恵器と刀子が出土したという。方墳は奈良時代の勝者・出雲のかつての支配者を代表とする古墳形だ。曽我稲目は出雲系だったかよく調べてないが、女帝の推古天皇の墳墓は方墳だ。其れに積石塚は日本では長野市周辺に大きな古墳群が群集し、これは初期の古墳と私は推定している。其れに古墳に積石塚が葺かれたのは(流行ったのは)古墳時代の前期の話で高句麗の墳墓に似ているらしいが、日本でも紀元前の古墳ではないかと私は推定している。でも須恵器が出土し、横穴式石室で金鶏塚とかつては呼ばれ、元旦に金の鶏が啼いたといわれていたというから、金・須恵器・横穴式石室と揃えば信州穂高や埼玉・東松山市辺の円墳が定番だ。方墳であり横穴石室で須恵器の出土と言うことには違和感を感じる。円墳で須恵器出土で横穴式石室ならそのまま率直に受け入れられるので、何か歴史上の誤魔化しの匂いが出ている感覚がある。
しかし円墳で金の鶏と横穴式石室といえば聖徳太子系の祖先に当たる。飛鳥時代に聖徳太子は方墳の女帝推古と藤原氏に封じ込められ天皇と言う支配階級から退かされた種族だ。面白そうな飛鳥・奈良時代の世代交代というか・主導権争いの真実の古代史が詰まっていそうで楽しみだ。そして古事記だったか日本書紀に土木工事ばかりしている女帝がいて「気違いみたいに土木工事をしている」と評判悪いと書かれていたと思うが、この天皇が元々円墳だった墳墓を方墳に変えたのではないだろうか。と推定する。するとこのピラミット型都塚古墳が方墳なのに円墳的内蔵構造の横穴式石室で須恵器を出土しその上金の鶏伝承が残る不思議も明解に答えが推定できる。元明天皇だったか基地外のように土木工事をしたという伝承も外形だけでも円墳を方墳に改築しなければならなかった元明天皇?の心情が理解できる。今日はこの辺にしておきます。
