はたからみて、「うわ、この人やるじゃん!」って思われる人には2種類あるとおもう。
どうゆうことかというと、努力家か、天才かってこと。天才っていうのはポテンシャルの高い人。
自分でいうのもなんだけど、私は基本的にポテンシャルに頼ってきた。
だから例えばテストで良い点をとったり、運動会で良い成績を残したりしても、うれしいけど、なんとなく真のよろこびではないように思う。
一方努力家の人は、最初は目立たないし、低学年においては(勉強面では)ガリ勉とか、(負の意味での)負けず嫌いとかいわれちゃったりして、よくおもわれなかったりする。
でも大学三年になったいま、ようやく気付いたのは、天才肌の人は努力しないと心から良い思いはできないだろうし、努力家の人は少しばかりのポテンシャルがないと報われなかったりするんじゃないかって・・・。
私は決定的に努力が足りてない。完全に父と母が与えてくれたこの体と脳のもともとの力に頼り切っている。
でもよく考えると、それってめちゃめちゃもったいないことなんじゃなかって思う。
だってせっかくちょっとばかり素敵なポテンシャルを与えてくれたのだから、それを磨かなくてどうするんだよ!
人間って人それぞれみんな何かしらに関する潜在的な能力を持っていると思っているんだけど、
たとえば、私の妹は数学めちゃめちゃ苦手だし、お金の計算とかですら危うい。
でも、コミュニケーション能力とセンスは完全に長けているとおもうし、今の私ではかなわない。
~賞をとったとか、オリンピックで功績をのこしたとか、めちゃめちゃテレビでてる人とか、
そういう人っていうのは人生のある時点で自分のポテンシャルに合った何かと出会って、
さらに努力によってそれを磨いた結果なんじゃないかって思う。
金子みずすの詩の中で、「みんなちがって、みんないい」って節があるけど、ほんと、そうだなって最近感じる。
私はいつの時点でそれにであうのか、はたまたもうすでに出会っているのかもしれない。
でもそれってわからないから、何に関してもとりあえず精一杯努力してみれば見えてくるんじゃないかなって思うから、せっかく生きてるんだからたくさんの経験をしたい。
「いきてるだけでまるもうけ」
がんばろう。