再入院をした当初は、すぐ帰ってくるんだろうなー、誕生日は一緒にお祝いできるかなーって思ってた。なぜか楽観視をしてた。
実際はそんなこともなく、結局誕生日はお見舞いに行き、『おめでとう』を言ってもらった。
母は吐き気がおさまらないらしく、吐き気止めを注射する日々。当然食事なんてとれない。点滴のみで栄養を補っていた。
4月に入り、また父から『話がある』と。
イヤな予感しかしない中、夕食後に話を聞いた。
『お母さん、先生に自分の病状のことを聞いたそうだ。自分の体が今どうなっているのか、今後どうなるのか。先生は医者として、嘘をつくわけにはいかないから、正直に…つまり、治ることはないっていう話をした。それで、本人の心が折れちゃったんだろうなあ。最近はもう、早く楽になりたい、早く楽になりたいって、口を開けばそればかりで。それで、先生に教えてもらったんだけど、緩和ケアっていうものがある。それをしてほしいって言ってる。積極的ながんの治療はせず、痛みや苦しみを緩和してもらうように。』
要約すると、こんな感じ。
緩和ケアとは、その名の通り患者さんの痛みや苦しみを緩和してくれるところ。
吐き気が酷い日々を送る中で、治りませんって言われて、絶望したんだと思う。何のためにつらい治療に耐えてるのか?治らないのに。って。それなら少しでも楽になりたいって思った結果のことだった。
母の希望は、起きていると体がつらいから、睡眠薬を投与し続けて常に寝ていたい、というものだった。
その話を聞いてから、初めて母のお見舞いに行った日。
私の顔を見るなり、母は号泣した。
泣きながら、話をしてくれた。
やっぱり呂律はあんまり回っていなくて、ゆっくりだけど、大切な話。
緩和ケアをしてもらうこと、ずっと眠ったままになること。
それから、私への感謝の言葉。
子育てが楽しかったこと。
兄は早くに結婚してしまったから、その分私が一緒にいてくれて嬉しかった。と。
泣きながら、そう言った。
とにかく私も泣きながら、ただひたすら、頷くことしかできなかった。
目の前で泣かれ、父に聞いた話がようやく現実味を帯びてきて、私の頭の中はぐちゃぐちゃで。私が伝えたいことは、この時何ひとつ伝えられなかった。今でも、後悔。
