初めまして! 憂憂と申します。

  

 このようなブログを見に来てくださったということは、不登校に関する悩みなどを抱えている人が多いと思います。

自分が助けることはできないですが、これを読んで助かってくれると嬉しいです。

 

今回は自分がどんな人生をおくってきたのか書きたいと思います。

 自分は中学1年一学期から約5年くらい不登校になりました。

理由は部活で人間関係が上手いかなかったのと、英語の授業でついていけなかったからです。

 部活はハンドボール部でそれ自体は面白かったのですが、人間的に合わない人が同期にいて部活に行くのが次第に億劫になってきました。

 英語はローマ字読みしかできない状態で、授業で何を言っているのか分かりませんでした。

特に英語が読めず、英語で話す事が出来なかったので、英語の授業があるたびに死にたい気持ちが芽生えていました。

 それでも、とりあえず夏休みまでは学校に行って、夏休みが終わったら不登校になるか考えようと計画していました。この頃は1週間に1度休んでいました。

 そして不登校になりました。

母親は不登校でもよいと言ってくれたのですが、母方のおばあちゃんとおじいちゃんが大反対して大変だったのを覚えています。

母が見方だったのはまだ恵まれていました。

 それから何もせずに半年くらいして、このままだとヤバいという気持ちが出てきて焦りが生まれフリースクールを探しました。(主に母)様々な所を無気力に見学に行ってriseというフリースクールに入りました。

この頃はフリースクールに対する希望と、自分と社会に対する絶望が混ざって気持ちがぐちゃぐちゃでした。

フリースクールは好きな時に勉強や遊びができ、結果として友達もできて楽しかったです。自分は勉強が大嫌いだったので必要最低限しかしませんでした。

同じ中学の不登校だった子が後から入ってきてびっくりしたのを覚えています。

中学2年くらいから中学の先生が家に来て、時々でいいから中学に来てほしいという訳のわからない提案をしてきました。この頃の自分は何をとち狂ったのか断らず、週に2回昼から別室登校することになりました。

最初のほうは先生が部屋に来て勉強をしていたのですが、1カ月くらいすると来なくなりました。最初のほうは勉強していたのですが、途中から図書室に行きラノベを借りてきて別室で読むようになっていました。

今思うに、学ラン着るルールを不登校に適用するのはナンセンスだと思います。

この頃の自分はメンタルが化け物で、不登校なのに修学旅行だけ行くという頭のおかしいことをしていました。今思い返してもなぜ行けたのか不思議です。

高校受験は惨敗でした。

フリースクールの先生もかなり応援してくれたのですが,それまでの積み重ねが全くなく絶望的な戦いでした。

行きたい高校はすべて落ち,自己PRを書いて受かる県立の通信制高校に入学しました。

 

とりあえず中学はこんな感じでした。

高校以降は今度書きたいと思います。

 

今回は自分という人間を知って欲しかったので自身の過去を書きましたが、不登校で将来どうなるのか?などは書いてみたいと思っています。

もし少しでも共感してくれるところがあったら幸いです。