小説の魅力 | シネフィル女子の日常

シネフィル女子の日常

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自分がすすめた小説を、人が興味を持って読んでくれるというのは喜ばしい照れ
   


大学の頃、夏目漱石の『こころ』を読み、女友達に貸したところ、その子と次に会った時に、「『こころ』から漱石に見事ハマって、もう何冊か読んだわ。」と言われ、なかなか嬉しかった記憶がある。



また、ある合コンで、私が宮本輝の『錦繍』を読んだ、と一人の男子学生に話したところ、一週間後に会った時、「読んだよ。良かった。」と言われ、これまた嬉しかった覚えがある。



この男子学生の名前は忘れてしまい(これマジで)イニシャルにし様もないが、京大生だったので、以下、そいつを「京大」とする。(←もはや大学名のみの扱い)



丁度その頃、卒論のテーマを、オスカー・ワイルドと三島由紀夫の比較文学にしようと考えていた(教授に「ワイルドと誰かを比較したいなら三島がええんちゃうん。『仮面の告白』読んでみたら」と言われた為)私は、三島作品に手をつける前であった。



そして、三島の『仮面の告白』ってどんな感じなん、とその京大に尋ねたところ、「あれはなぁ……ちょっとおかしいな。」と言い出し、さて、どんなものか、と思い『仮面の告白』を手にしたのが、私が三島作品へ傾倒する始まりだった。



『仮面の告白』は、それはもうすごかった。何でもっと早く三島由紀夫を読まなかったのだろう、と、それまでの時間を勿体無く感じたくらいであるゲッソリ



三島由紀夫は本気で天才なんじゃないか、と思った。



私が何故そう思ったのかについては、書き出すと長くなるので省くが、簡潔に言うと、極めて客観的で半ば自嘲的でもある、そして完璧過ぎる三島の文章に、むちゃくちゃ惹かれてしまったのだ。←結局書いとるやないかい。



中でも、『金閣寺』と『太陽と鉄』が大好きなのだが、どちらかと言えばやはり、『金閣寺』が私の中で一番である。
誰でも、死ぬまでに一度は読んだ方が良い作品だと、勝手に思っている。



そう思っていて去年、知人にオススメの小説は何か、と聞かれ、すかさず『金閣寺』を挙げたところ、「今読んでるのが終わったら読むわ。」と言ったので、数ヵ月後に再び会う機会があり聞いたところ、全く読む気の無い感じに変わっていた。
  


そして私は、これからはもう二度と、人に小説をすすめるのはやめよう、と心に決めたのだった。←何の決意やねん。



話を大学の頃に戻そう。別に本の趣味が同じだからといって、気が合うとも限らない。その京大とは、あまり気が合わなかった。小説や美術の好みが合っても、生き方、考え方等は合わなかった。



むしろ、京大の知り合いだった別の京大生(ややこしいわ)Mとは気が合い、その友情はまだ続いている。



趣味は合っても人間的に合わない……その逆もまた然り。むちゃくちゃ気の合う映画サークルの先輩Dさんとは、本や映画の趣味は合わなかった(映画サークルなのにw)。



しかしDさんとはほんとに気が合った。とにかく笑いのツボが合いすぎた。5人くらいの飲み会で私がボケて、Dさんが標準語で的確に突っ込む、という、最早二人漫才で、その飲み会は成り立っていた。



その場にいた親友のHが、「Dさんと二人でラジオ番組出てほしいわー。むっちゃおもろいやろなあ。」等と言ってきたが、残念ながらラジオ出演への夢(←夢やったんかい)は叶わなかったえーん



その飲み会は、私とH、Dさん、Dさんの友人Sさん、Dさんの友人もう一人、の5人のメンバーだったのだが、問題はDさんのもう一人の友人だった。これも名前を忘れたのだが(マジで)、確か法学部だったので、以下、法学部とする。



この法学部がまた、私の大嫌いなタイプだったのである。おそらく腹の底にはかなりどす黒いものを抱えているのに、とにかく偽善的であり、笑いが解らず、場の空気が読めない、と、もう散々であったチーン



また、法学部の言葉は、全て無難なところに帰着する種類のものであり、そこには一般論しかなかった。その言葉は、法学部自身が考え出して発した言葉ではないのが明らかで、中身がすっからかんであり、全く重みが無かったのだ。



親友Hも法学部を苦手だった様で、何でDさんの友達なんやろうな、と疑問を口にしていた。



ある日、法学部の部屋に集まって飲もう、という話になった。部屋に入り書棚に目がいった私は、「本が沢山ありますね。(←何このバカな感想w)」と言った。法学部は「うん、小説好きだからね。」と答えた。



その書棚には、主に江國香織と、石田衣良
の小説が並んでいたのだった。



江國香織はまあいい。高校の頃よく読んだけど『すいかの匂い』が印象的。←微妙な立ち位置。



しかし……石田衣良とは……?(´・ω・`)
「石田衣良好きだからねー。」法学部は言った。



これはもう、石田衣良が好きな方がいたら先に謝っておきたい。



私は石田衣良が嫌いである。
も~う、小説の内容の薄っぺらさが何とも言えず、嫌い。
テレビに出演した際の、上から目線の物言いも、嫌い。



この点では映画サークルの後輩、F君 と話が合った。毒舌のF君は、「石田衣良は作家じゃないですよ。え?シネフィルさん、あいつの事、作家だと思ってたんですか?あれは単なるコメンテーターですよ。」等と、もうボロクソに罵っていた。
ちなみに、F君は安部公房が好きだった(私は読んだことないけど)。



石田衣良を好きとはねー、と思った私は、それまで抱いていた法学部への嫌悪が、決定的になるのを感じた。←単純やなw



だがある日、その法学部に、紅葉狩りに誘われてしまったのである。



「わー、法学部、シネフィルの事気に入ってるんちゃうん。ええやん、法学部、外見悪くないやん。性格は残念やけど。」とHは言った。



無理……あの人と二人で会うとか……拷問に近い、と思った私は、法学部に「せっかくだから、みんなで行きませんか?」と提案した。



その後、法学部は飲み会に来なくなった。Dさんと友人Sさんは、「あいつ、シネフィルちゃんにフラれたって気にしてたよ。」等と言っていた(いや別にふってないし。告白もしてないのにフラれたとか言いやがって、プライドの高い野郎め。←こんなのと二人で会わなくて良かったな~法学部)。



その後しばらくして、法学部が後輩の女の子から告白され、付き合い始めたので、彼はますます飲み会に来なくなった。



本当に申し訳ないが、法学部のいない4人の飲み会は楽しかった。法学部が解る程度の笑いを提供しなくても済むし、色々、やり易かった。



共に彼氏、彼女のいない寂しい男女4人がクリスマスに集まり、不毛な会話を交わしたりしていた。そんな感じで私は全く冴えない大学時代を過ごし、結局彼氏も出来なかったという悲しい事実だけが残った笑い泣き



まあ、DさんもSさんも、それほどまでに私とHが法学部を嫌っていたという事は、全く知らないままである。



この様に(どの様にだよ)、ごく稀に、本の趣味が合わない人と、人間的にも根こそぎ合わない、というパターンは存在する。でも私は、本の趣味なんて関係ない、その人自身の人格がどうかという事だから!!と、希望を捨てていない。←何の?



実際、全く読書をしないという人でも、気が合う人は沢山いた。(まあでも読書をしないっていうのと、本は読むけど好みが異なるっていうのとは……何かまた違うんだよなあ……)



ところで、作家同士でも、合う合わないというのはあるらしく、特に、三島由紀夫の太宰治嫌いは、その顕著な例ではないだろうか。



以下は、特に有名なエピソードである。



「煙草」や「中世」が掲載されたものの、それらに対する評価は無く、法学の勉強も続けていた三島だったが、作品が雑誌掲載されたことで何人かの新たな文学的交友も得られ、その中の矢代静一(早稲田高等学院在学中)らに誘われ、当時青年から熱狂的支持を得ていた太宰治と、太宰理解者の亀井勝一郎を囲む集いに参加することにした。



三島は太宰の〈稀有の才能〉は認めていたが、その〈自己劇画化〉の文学が嫌いで、〈愛憎の法則〉によってか〈生理的反撥〉も感じていた。



その酒宴に漂う〈絶望讃美〉の〈甘ったれた〉空気、太宰を司祭として〈自分たちが時代病を代表してゐるといふ自負に充ちた〉馴れ合いの雰囲気を感じていた三島は、この席で明言しようと決めていた〈僕は太宰さんの文学はきらいなんです〉という言葉をその時に発した。



これに対し太宰は、虚を衝かれたような表情をし、「きらいなら、来なけりゃいいじゃねえか」と顔をそむけた後、誰に言うともなく、「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」と言った。



気まずくなった三島はその場を離れ、それが太宰とのたった一度きりの対決となった。

Wikipediaより



何故、三島は太宰を嫌っていたのか?この場合の嫌悪は、同属嫌悪と羨望を含んでいたのではないか、と私は勝手に考えている。
  


精神的な脆弱さを全面に出した太宰の文章に対して、人間の強靭さに囚われた三島が拒否反応を示したのも、無理はなかろう。



太宰は、堕落していく自身をそのまま放置し、自らを向上させようという気が無かった。そして、その弱さを文学にしていたのである。



太宰の文学には、運命に抗わない無気力さと、退廃的な美しさがある。彼も彼の作品も、いつも自然で、あるがままであり、それがそのまま魅力となったのだ。



対して、三島はかなりストイックであった。完璧を求め、常に自分を俯瞰し、向上しようとしていた。自らの文学においても同じ姿勢であった。

 

しかし、やはりそうした生き方は疲れてしまう。三島は、本当は太宰と同じ弱さを持っていた。大宰の文学の中に、自分の弱さを見出だし、忌み嫌い(同属嫌悪)、同時に、ありのままをさらけ出せる大宰を羨望の目で見ていた(潜在的に)。



以上の様な事から、三島は太宰を嫌っていたのではないか、と私は極めて勝手に解釈している。



私は三島好きではあるが、太宰が嫌いではない。三島には三島の、太宰には太宰の魅力がある。それは比べるものではなかろう。



小説とは、本とは、不思議だ。読む人間の思考に影響を与え、その影響が周囲の人々に伝染したりする。

 

そうかと思えば、その影響に反発する者もいる。



だからこそ、面白い。



だからこそ、飽きない。



映画はまたこれ、違うんだよな……(遠い目)ちなみに大学時代、映画の趣味が合う人とは出逢った事が無い。映画サークルに所属していたのにも関わらずww
  


で、映画は……



いや、まあここで更に、私が映画についてバカみたいに語り出したら、夜が明けてしまうし、何で語ってしもたんやーゲローという恥ずかしさから死にたくなること間違い無し、なので、この辺にしておこう。