こんにちは、都希(つき)です。
『そこに愛はあるんか
』
という某CMのセリフを
夫が時々口にすることがあるのですが
よくよく考えてみると
愛って何
意味を調べると
「人を慈しむ心」や「いたわる心」だとありますが
『じゃあ具体的にどういう行動で、人はそれを愛と感じるのだろう
』と思うし
それも純粋なものでないと
愛とは呼べない気もするし
ある人にはそれを愛と感じても
ある人にはそう感じられないかもしれない・・
考えるほど頭がこんがらがってくる
『愛してるよ』と言うのは簡単だけど
ほんとうの愛を理解した上で
その深いところまで触れられている人がどれだけいるのか・・
そもそもほんとうの愛って何だろう
人から「愛」を感じて
それを受け取ることはできるけど・・
ますます頭がこんがらがってくるので
このへんでやめておきます
ただ、夫の言う「愛」というのは
今ここにいる自分(夫)にもっと関心を向けてほしい
ということなんだなと
私は勝手に理解しています。
夫に対して家族の反応があっさりしていたり
私が自分のやることに夢中で夫の話を聴く余裕もなくなっているときなど
夫への関心が薄れているときに
『そこに愛はあるんか
』
とよく言われている気がしますから。
愛はあるんか
って
私にまるで愛がないように言われるのは
あまりいい気持ちはしませんが(笑)
夫もかまってほしいときがあるんだと思うと
『気づかなくてごめんね〜
』という気持ちにもなります
ところで
一緒にいるのが当たり前になると
とくに物珍しさもなく
お互いに関心がなくなってくるというのは
よくある話だと思います。
まだ子どもが小さいころは
『今日はこんなことができたよ』
『お友だちとこんなことをしたよ』と
成長の喜びを共有できたりしますが
それもなくなってくると
いざ二人になったときに
何も話すことがなくて
愕然
とすることもあるかもしれません。
だけど普段から
相手に少しでも関心を向けていたら
それだけで違ってくると思います。
『夫(妻)が私に関心を持ってくれないのに
なんで関心を持たなくちゃいけないの
』
『夫(妻)が関心を持ってくれたら
私だってあの人にもっと関心を持つのに
』
夫婦だからこそ
変に意地を張ってしまったり
こう思っているのは自分だけかもと
傷つくのが怖くて
ついそんな考えになることがあるかもしれませんが
『相手が〜してくれたら、自分も〜してあげる』
という考え方は
自分から幸せを遠ざけてしまうようなもの。
これこそ『そこに愛はあるんか
』という問いかけが
ぴったりな気がします。
生涯を共にする伴侶だからこそ
ただなんとなく一緒に暮らしたり
意地を張ってかわいげがなく暮らすよりは
素直に相手がやることに関心を持ち(干渉とは違う)
そこから自分にできることがないか考えたり
一緒に喜びを感じられることを作っていくほうが
より前向きに
楽しく暮らしていけるのではないでしょうか
子どものころ
自分から友達に『あそぼ』と言うだけで
ワクワクするような世界が開けたように。
あとは、喜び、発見も分かち合っていけたら
幸せはもっと深まりそうですね。
『いっしょに食べようや
』
最後まで読んでいただき
ありがとうございました![]()
「幸せに気づくメッセージ」は
リキュー(Ameba)とココナラから
お届けしています![]()
![]()
日だまりメッセージ(オリジナル)![]()
ルーンリーディング
傾聴+ルーンリーディング![]()
✤インスタグラム✤
https://www.instagram.com/tsuki.sun
「イラストメッセージ」や「野山さんぽ」など
日常の中でステキ
と感じた
自然の風景を中心に載せています





