和泉清は西成区のあいりん公共職業安定所に向かっていた。時間は午前4時になろうとしていた。
あいりんの職業安定所では
毎朝、業者が日雇いの工事現場の仕事をする作業員を集めていた。
日雇いの仕事は早いもの勝ちで
早く行かなければ定員オーバーで仕事にあぶれてしまう。
雇用保険受給者なら仕事にあぶれても手当がもらえるが和泉清は雇用保険受給者ではなかった。
そればかりか健康保険、年金も払っていなかった。
去年の2028年に年金支給年齢が68歳に引き上げになってからは年金を払わない人が今までよりさらに多くなった。年収が300万円越えていて払わない人は税務署からの指導と警告があり、それに従わない場合は財産の差し押さえが行われた。会社員の場合、給料の差し押さえも行われた。
西成のゲストハウスに移り住むまで九州出身の和泉にとって西成は今まで見たことのない街だった。
テレビで見た南米のスラム街に似ていると思った。
住んでる人も南米のスラム街の人と同じように貧しい人で溢れていた。薄汚れた服装で覇気がない人を多く見かけた。
西成は基本的に男の独身労働者が多く住んでる町で、みんな安い宿で寝泊まりしていた。その日の仕事にもありつけないと路上で寝たり炊き出しの世話になることになる。そのような労働者の町なので町全体に負の雰囲気がしみついてるため普通の人が近づきにくかった。
西成に住み始めてからは週に二、三回日雇いの仕事に行き他の時間は自由に過ごした。
最低限の生活費だけ稼いでそれ以上は働こうとはしなかった。
今日は4日ぶりに日雇いの仕事を探しに来た。
4時前にセンター前に着くとバンの車が並んでいて
バンの前で労働者を集める手配師が声を出しながら人を集めている。
現場の場所等細かい詳細はバンに貼っている張り紙に書いてある。気にいれば手配師に声をかけOKをもらえればバンに乗って仕事現場に連れて行かれる
慣れてない頃は張り紙に場所に市内と書いてて大阪市内に連れて行かれると思って行ってみると京都市内や堺市内に連れて行かれる事があった。行きは車まで送ってもらえるが帰りは電車で自腹でかえらなければならないのでできるだけ近い大阪市内のほうがよかった
誰でも現場に連れて行ってもらえるわけではない。業者はできるだけ若い労働者を集めたがるので
20代、30代の日雇い労働者が優先的に連れて行かれる。
和泉清は今年で41歳になる。
工事現場の仕事以外に福島で働く放射能の除染作業員も募集していた。
この仕事は最低でも一ヶ月は福島で住み込みで働かなければならない。
2013年の東日本大震災以後は西成から多くの労働者が放射能の除染作業するため福島に出稼ぎに行った。2029年になった今でも除染作業は終わらず続いていた。
終わるのにまだ10年以上はかかると言われていた。
その日は結局、仕事は見つかったが大阪市内の仕事ではなく京都市内のマンション建設現場に車で連れて行かれ帰りは電車で帰ってきた。帰りの電車の中でオリンピックの頃は大阪市内の仕事が楽に取れたと思いだしていた。
2020年東京でオリンピックが行われる数年前の頃も東京が建設ラッシュになり多くの労働者が西成から東京へ出稼ぎに行き、その期間は大阪の建設作業員が人手不足になり、その間は仕事にあぶれることはなかった。
オリンピックが終わってからは
何割かの人間は福島のほうへ行き
放射能の除染作業員になったが、
それでも多くの人間が西成に戻ってきて日雇いの仕事にするようになった。地震が起こってから最初の数年は放射能の影響は20年後に人体に現れるという説を信じて、それなら別に構わないと考えて多くの労働者が福島に行ったが
地震から5年以上経過すると
多くの労働者が癌になりはじめた。
それでも政府や研究者は放射能と癌の因果関係はないと言い続けた。
あいりん地区のゲストハウスに戻ってきたのは20時頃になった。