赤城南麓陶遊ロードB

赤城南麓陶遊ロードB

陶芸
誰もやったことのない模様積技法を考案し作品作りに励んでいます。

 今世界的に注目を集める縄文時代、やはり長かった旧石器時代に於いて、土器を作る

ことを覚え、その土器に縄目模様が施されていたことから縄文土器時代を省略し縄文時

代としたようです。

狩猟、植物採取を主に移動生活から栗やドングリを栽培する定住生活へと変化したとさ

れます。

 

土器が発明された当初を草創期(約4000年間)とされ、移動生活をしながら数週間から

数か月間土器を作り利用しながら生活をしていた集団に定住を始めた集団とに別れ、全

国各地で類似する土器が見つかっていることから、土器を交易品としていたか、製造技

術を教える者がいて、それぞれの場所で土器が作られるようになったようです。しかし

何処から土器が作られ始めたかは分からないようです。

 

赤城山を取り巻くように、中腹から裾野に掛けて沢山の縄文時代遺跡が発掘されていま

す、その中の一つ渋川市北橘町上箱田の道訓前遺跡で発掘された同遺跡を代表する深鉢

焼町類型土器は高さ62㎝と大型です、重さも20キロを超すと思われますので、長距離移

動は困難ですので、此処で作られ、此処で使われたものと思われます。

 

この遺跡出土土器は、此処で作られた道訓前類型の他、三原田類型、五丁歩式、焼町類

型、阿玉台式などがあります。

土器を見て感じることは、土器の製造は女性が担っていた様に思えます、その理由は耳

飾りにあります、男では考え付かない模様が見いだされ、実用化していることなどから

です。

 

男でも作った物もあったと思われますが、男は集団で狩りの為山野をめぐっていたと思

れます。

只夜は狼や魔物から家族を守るため焚火は絶やすことが無かったように思われその周囲

に造った粘土作品を置くことによって焼くことが出来た様に思います。

 

赤城山南麓の縄文冊子表紙

上段左端は草創期、左から2番目~3・4と早期、

中断左端は前期、中断真ん中に中下段右端が中期

下段左端は前期、真ん中が中期

道訓前遺跡出土の代表する土器

 

 

 

 

1月降水量0ミリで、2月に入って7日、予報では日中から雪予報でしたが、日が暮れても降りませんでした。

夜中の2時に目が覚め窓から外を見ると雪景色になっているのが分かりましたが、又寝て午前6時ころに起きて30分後新聞を取りに外に出たところ、未だ粉雪が降っており、積雪量は13cmでした。

その後道路の除雪が行われ、午後1時ころには道路の雪は解けて乾き始めていました。

何れにしても久し振りのお湿りですので、インフルエンザが若干落ち着くと良いと思います。

雪は午前8時ころにやんで、同9時ころには薄くなった雲から太陽がぼんやり見えてきました。

午前7時道路の雪

玄関前の様子

玄関上の屋根の積雪状況

車庫の屋根の積雪13cmでした。

午後0時30分の赤城山

思ったより白くなっていませんでした。

等倍

西の榛名山は未だ雲が懸っていましたが、赤城よりさらに白くなっていない様でした。

 深鉢 中期中葉 焼町土器 (道訓前遺跡)
焼町土器は道訓前遺跡のシンボル的存在になっている知名度の高い土器で、海外や国内各地の展覧会に貸し出されることが多く、英国ロンドン市にある大英博物館で、大英博物館と文化庁が主催した企画展「土偶 THE POWER OF DOGU」が開催され、その展示資料のひとつとして、「道訓前遺跡出土品」のうち1点が選ばれた。
  また、この企画展は、大英博物館での展示後に東京国立博物館で帰国記念「国宝土偶展」として開催され、好評を博したとあります。
高さ75.5cm。


焼町土器は、粘土紐の貼り付けによる立体装飾を主な特徴とする、縄文時代中期を代表

する土器です。焼町土器の中でも、この土器は非常に大型で文様装飾が豊かな土器です。

口縁にはリング状の突起が付いており、器面全面に粘土紐の貼り付けによる曲隆線と沈

線文が施されています。胴部には人体を模したような文様が施されています。手を広げ

るような文様、手を上げるような文様の繰り返しは、この土器の最も大きな特徴の一つ

です。(説明パネルより)
 

道訓前遺跡は赤城山麓の緩やかに南西に伸びる台地(標高320メートルから330メートル)

に立地しています。
発掘調査は旧北橘村教育委員会が平成8年度・平成9年度に行い、本遺跡が縄文時代中期

中葉から後葉にかけての大規模な環状集落であることが判明しました。調査面積は

約3,400平方メートルで、全体の4分の1に相当し環状集落の南西部分にあたります。
 

縄文時代中期中葉から後葉の竪穴住居跡40軒、土こう264基を検出しました。
この遺跡で出土した深鉢 中期中葉 道訓前類型は、新潟の火焔型土器の鶏頭冠突起と似

た形の4単位の突起を持ちます。こうした土器は、長野東部から群馬にかけての地域で出

土し、道訓前類型と呼ばれています。
 

道訓前類型の突起と初期の火焔型土器の突起を比較すると、道訓前類型の時期は大木8a古

段階で、最も初期の火焔型土器とほぼ同じ頃です。よく言われるように火焔型土器を模倣

したとは断定できず、逆に火焔型土器のモデルになった可能性もあります。
 

深鉢 中期中葉 道訓前類型 (道訓前遺跡)


この土器の用途は、恐怖の存在であった雷を具現化し、祭事に用いたのではないかと

思うわけです。

赤城山は夏場入道雲が発達しやすく、夕方になると激しい雷雨となります。現代であれば

天神・雷神として神格化していますが、古代にあっては稲光にゴロゴロと大音響が轟、時

にバリバリ、ドッカンと直近の落ち、家屋や木々が燃え、人の命さへ奪う、姿なき恐ろし

い悪魔のような存在であったと思われます。

 

得体の知れないものを具現化し、当時の精神性から得体の知れないものを鎮まって貰う

為、供物を入れたり、時には煮たものなどを祭事を執り行う場所に置いて祈ったのでは

内かと思うわけです。

 

更に発展させて祭事に用いた土器が火焔型土器ではないかと思います。

火焔型土器の4箇所の立ち上がりは入道雲、ギザギザは稲妻、丸い形は音、渦巻は風

下部の立て模様は雨との見方で、雷を具現化した祭事器の様に感じるものです。

 

得体の知れない恐ろしいものに、気に入ってもらうための諸造作によって、素晴らしい

芸術作品となって、各地各場所で今で云う祈祷が行われたものかと。

自分が陶芸をやっていて、作品を作るうえで見てもらうための表現を如何にするか、どの

様に表現するかなどを考えますので、古代人とほとんど変わらないように思うわけです。

 

群馬県埋蔵文化財調査センター(渋川市北橘町下箱田)

廊下窓に展示してある火焔型土器のデプリカ