# 適応(9)諸君、時には敢えて不適応になろうじゃないか。それが文脈からの自由というものだよ。 約16時間前 webから
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適応(8)一つの文脈における不適応が、別の文脈では適応となることがある。だからこそ、失敗や迫害を恐れてはいけない。不適応と適応の汽水域の中にこそ、香ばしい生の脈動がある。 約16時間前 webから
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適応(7)適応が文脈依存であることを忘れると、安易に人を序列化しようとする。最高の適応は、点数をつけられない。文脈が固定化できないのだから、順番のつけようがないのである。 約16時間前 webから
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適応(6)最高の適応は、文脈に依存しない。どんな状況でも、柔軟に対応できる。あるいは文脈を創り出すことができる。それが最高の知性であるはずである。科学の隆盛は、ここに起源がある。 約16時間前 webから
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適応(5)「中心」の論理に合わせ、そこに仲間入りしたいと過剰適応する「周辺」の人がいる。自分はメンバー入りしたとばかりに、まだの人を見下し、差別する。学者コミュニティに多く見られるから気をつけると良い。「中心」の人は大らかで、心が広い。 約16時間前 webから
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適応(4)談話している時は、その相手に適応するのが人間としての礼儀、真心である。そのことで新しい自分が生まれることもあるし、発見もある。そして、その人にサヨウナラをしたら、広い世界の中に戻っていけば良い。 約16時間前 webから
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適応(3)受験は過酷な適応の文脈である。とにかく合格しなければ仕方がないのならば、割り切って適応すればよい。そして、受験が終われば、きれいさっぱりその文脈から離れてしまえば良い。いつまでも入試の成績がどうのこうのと言っているのは愚の骨頂である。 約16時間前 webから
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適応(2)日本人は、空気を読むという。それは自由と創造性の面から見れば愚かだが、日本の社会の中では、見事な適応である。逆に、日本の社会に不適応な人が、より広い文脈で見れば自由と創造性を発揮する。 約16時間前 webから
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適応(1)一見、愚かに見える行為も、実は何かに対する適応であることが多い。それでは、愚かさとは何か、賢さとは何か。この世界の「適応」の多様性に目を向けなければ、見きわめることはできぬ。
転記
世の中にどれだけ、スーツを着こなせて
綺麗なお酒の飲み方を出来る大人がいるだろうか。
それどころか、大人になることを問う人が
どれだけいるのか。
大して仕事の責任さえ取れないくせに
ヌケヌケと大人面する人間の多いこと。
「世の中、そういうものなんだよ」
「考えすぎだよ、もう大人なんだから割りきらなきゃ」
全て、稚拙な言い訳である。
自らの思考の浅さを大人というブラックボックスに
放り込んでいるだけである。
上記の二言に似たような言い回しで、
指摘を受けることの多い自分だが、今はもう悩まない。
以前は、「俺もまだまだ若いのか。若気が至るのか」と
悩んでいたが、「大人」のつもりの彼らの馬鹿さ加減に
気付いてからは、茶番なんぞ演じてなるものかと思っている。
「大人」という線引きさえ捨ててしまいたい。
人間の区分にあるのはただ、
線引きとか社会的概念に頼らずに生きるか、
勝手に小さな線引きした枠の中で悦に入るか、
それだけだと思っている。
「俺は家族のために会社で耐えているんだ」と
思っているサラリーマンには、うんざりする。
いい大人が、自分の人生を社会とか家族のせいにしなさんなと。
そんな思考は、加藤智大と変わらない。
そういう人間に限って、また「殺人はよくない」とか
「やっぱり、大学出て会社に入って働かなきゃ」などとほざく。
同じ穴のムジナである。
何かに仮託して、それ自体を生きることを放棄している。
じゃあ聞くが、立派なリーマンの課長さん。
決算数値の分析ばかりして資料を作るだけのお前の作業が、
加藤の車の塗装チェックと何が違うかを説明できるのかと。
意図のない作業は、仕事ではない。労働だ。
全体性がイメージできていない。
残酷だが、その資料を基にして会社の戦略を導いて
収益改善まで持っていかなければ駄目だろう。
作業に埋没しているだけで、社員面するなと。
加藤智大を弁護するつもりはないが、
彼と大して変わらない存在なのに、生まれた時代が
違うだけでまともな人間面している連中には腹が立つ。
総中流の幻想にうつつを抜かして、
世間的な立ち振る舞いを生きることにすり替えてきただけなのに、だ。
加藤だって時代が違って、
普通に大学を卒業して、会社に入っていれば
彼らのようにはなれていたと思う。
話が長くなったが、大人などいない。
世の中にどれだけ、スーツを着こなせて
綺麗なお酒の飲み方を出来る大人がいるだろうか。
それどころか、大人になることを問う人が
どれだけいるのか。
大して仕事の責任さえ取れないくせに
ヌケヌケと大人面する人間の多いこと。
「世の中、そういうものなんだよ」
「考えすぎだよ、もう大人なんだから割りきらなきゃ」
全て、稚拙な言い訳である。
自らの思考の浅さを大人というブラックボックスに
放り込んでいるだけである。
上記の二言に似たような言い回しで、
指摘を受けることの多い自分だが、今はもう悩まない。
以前は、「俺もまだまだ若いのか。若気が至るのか」と
悩んでいたが、「大人」のつもりの彼らの馬鹿さ加減に
気付いてからは、茶番なんぞ演じてなるものかと思っている。
「大人」という線引きさえ捨ててしまいたい。
人間の区分にあるのはただ、
線引きとか社会的概念に頼らずに生きるか、
勝手に小さな線引きした枠の中で悦に入るか、
それだけだと思っている。
「俺は家族のために会社で耐えているんだ」と
思っているサラリーマンには、うんざりする。
いい大人が、自分の人生を社会とか家族のせいにしなさんなと。
そんな思考は、加藤智大と変わらない。
そういう人間に限って、また「殺人はよくない」とか
「やっぱり、大学出て会社に入って働かなきゃ」などとほざく。
同じ穴のムジナである。
何かに仮託して、それ自体を生きることを放棄している。
じゃあ聞くが、立派なリーマンの課長さん。
決算数値の分析ばかりして資料を作るだけのお前の作業が、
加藤の車の塗装チェックと何が違うかを説明できるのかと。
意図のない作業は、仕事ではない。労働だ。
全体性がイメージできていない。
残酷だが、その資料を基にして会社の戦略を導いて
収益改善まで持っていかなければ駄目だろう。
作業に埋没しているだけで、社員面するなと。
加藤智大を弁護するつもりはないが、
彼と大して変わらない存在なのに、生まれた時代が
違うだけでまともな人間面している連中には腹が立つ。
総中流の幻想にうつつを抜かして、
世間的な立ち振る舞いを生きることにすり替えてきただけなのに、だ。
加藤だって時代が違って、
普通に大学を卒業して、会社に入っていれば
彼らのようにはなれていたと思う。
話が長くなったが、大人などいない。
「目から鱗」の出ないという詰まらんストレス。
脳がグルグル回る様に目から鱗落としたい、いやむしろ落とさなければならない。
年間摂取量の平均値のゆうに五倍は目から鱗出さないと帳尻が合わない。
鱗を落とす何か見過ごしてるのか、沸点が高いのか、そもそも鱗落とす出来事そのものが無いのか。
とかくこの世や人が詰まらんのは、自分が詰まらん人間だからだ。
詰まらん人間たる所以は詰まらん物にしか接触できないからか。鶏が先が卵が先か
脳がグルグル回る様に目から鱗落としたい、いやむしろ落とさなければならない。
年間摂取量の平均値のゆうに五倍は目から鱗出さないと帳尻が合わない。
鱗を落とす何か見過ごしてるのか、沸点が高いのか、そもそも鱗落とす出来事そのものが無いのか。
とかくこの世や人が詰まらんのは、自分が詰まらん人間だからだ。
詰まらん人間たる所以は詰まらん物にしか接触できないからか。鶏が先が卵が先か
