ああ締切3日前なのにstatement of purposeが完成しない


今日は国連大学で高校生向けにプレゼンを行なってきました。テーマはこれまでのキャリアについて。・・・
わたしに語れるほどのキャリアがあるとは到底思えないのですが、「田舎からでてきて東京でがんばってる人」というロールモデルとなれればな~と思ってお話をしてきました。
わたしも大分からでてきて感じることは、やはり東京は地方から見たらかなり遠い存在だということ。ここにくるということは、物理的な面でも気持ちの面でも、かなりのエネルギーが必要。周りに参考例となるような人がいなければ、東京に住むことなんて、まったく実現性に薄いことだと思う。
わたしが両親とも大分県の田舎出身で海外にも行ったことないという家族の中で育ち、東京の大学にいって留学までできたのは、やはり学校の先輩や同じような志向を持つ友達の存在が大きい。だから、「こういう道もあるんだ」と、わたしの僅かな経験が、若い高校生たちの視野を広げるための参考例になっていればいいなと思います。

今回のプレゼンでは、私自身が自分の人生を振り返ることができたので、とてもよかったです。
パワポをつくっているときに感じたのは、「わたしの興味って中学高校から実は変わっていないんだなあ」ということ。もちろん、あとから振り返ってみてわかったことではあるのだけど。
いままでなんとなく選んできた道が線で繋がった感じがして、とてもすっきりした。
楽観的な考えだといろんな人に笑われてきたけど、やっぱりわたしは世界のどこかに「絶対に紛争が起こらない仕組み」みたいなものは存在すると思うし、これからの人生でそれを見つけたいなと思う。そして、自分ならもしかしたらできるんじゃないかというオプティミズムを持っている。どんな問題にも応用可能な処方箋が存在しないことは学部の時に嫌というほど痛感したけど、それでもまだ理想を追いたい気持ちがある。


今学期に入ってほぼ勉強しかしていないのにとても精神が安らいでいるのは、ようやく本来の自分らしい生活ができているからなのだと思います。自分の目指す自分像にはやく本来の自分を近づかせることが出来るよう、たくさん勉強しないといけないなと思う。
加えて、なによりも心強いのが信頼できる友人たちの存在。
どんなに授業で打ちのめされても友達と話すことで笑い話にして「よし明日からまたがんばろう」と思える。いつもありがとう。やっぱり人間1人では生きていけないです。

国連大学ではガーナ人のPhDの人にザンビア人のひとを快く紹介してもらったんだけど
わたしがザンビアに行くという話をしたら
「わーじゃあルサカの隣の県にいる友達に君を空港に迎えにいかせるよ!!」
と言ってくれた。初対面の人にこんな優しさ、日本じゃ考えられないことだよね。ホスピタリティ!


最近気づいたことを箇条書きで
・聞かれてもいない自分の話をべらべらと喋らないこと。自分の話が価値あるものなんて無邪気に思わないこと。自分の話でしか話題を広げられないなんていうのは大変なコミュ障。

・「渡邊さんってあまり人に怒らなさそうだよね」とこの前ある人に言われたのですが、それはわたしが優しいなんていう話ではなく、多分私が人になにかをしてもらうことに全く期待をしていないからなんだろうなあ。他人は基本的に自分たちのことしか興味がないし、自分のためになにかしてくれる存在と思っていないから。。。かわいくないし、もう少し人に頼ることができるようになって、怒ったり失望したりできたら大変健全だなとも思います。

・自分が人に与える印象を完全にコントロールできるようになるまでは、素直でいることが一番手っ取り早くて信頼のおける行動。



今日人生初のIELTS試験(スピーキング)を終えてきました。

よくドラマにでてきそうなふくよかで陽気なアメリカ人女性が面接官だった。試験会場にはムッツリとした仏頂面のおじさんたちがうろうろしていたので安心。チュートリアル動画ではブリブリしたキングス・イングリッシュの面接官ばかりだったのでアメリカ英語であったことも安心。
しかし実際の内容については大変微妙な気がする。

トピックは騒音について。
「これまで騒音を感じたシチュエーションは?」
「どういう職場が騒音を感じると思う?」
「音楽は騒音になると思う?」

うーーーーん今考えるといくつかいいアイデアが浮かんでくるのだけど、全然だめだ。思いついた陳腐な考えを羅列しただけだ。バンド5とかだったら卒倒するわ。なにしろ初受験であったため、全然手ごたえがつかめないからこわすぎる。どうしよう。うう。

最近ペーパーの山に追われつつ色々と考えることが多くてツライ。


ひとつは留学について。
理由①経済的なイシュー
ダブルディグリーの場合学費は自費で捻出せねばならん。そこで頼りになるのが奨学金。
しかし、学部の成績が悪いからなのか、計画書がわるいからなのか、出した奨学金団体(3つ)にボロボロと落とされまくっております。
悲しい気持ちよりなにより、わたしに推薦状を書いてくださった先生方に申し訳ない気持ちでいっぱい。。。。

できれば学位取得留学をしたいのだけど、このままでは学費を捻出できそうにない。。。
まだいくつか奨学金団体はのこっているとはいえ、どうなることやらです。がけっぷち
交換留学だとお金の心配しなくていいんだけどね。。。。。。

理由②学位の種類について
ダブルディグリーの落とし穴はどちらも同じ種類の学位(Master of Public Policy/Administration/Affairs)ということ。
海外の大学院を卒業したという名目が欲しければ、それは意味があるのだろうけど。
どうせ二つ学位をとるならば、デュアルディグリーとしてConflict StudyとかLawとかIRとかEcon(死んでも無理だけど)とかの学位をとるほうが専門性がenhanceされて可能性がグンと広がるよね、と思ったりもする
うーーーーん

そして私ね、1月末から研究でザンビアにいくんですけど。
①ビザの申請②accommodation③各種予防接種④現地での研究⑤マラリア
と怖いことが沢山待っているよーーーーー。いやーーーー。


つくづく自分が世界に対してあいまいな知識でのうのうと暮らしていることに申し訳なくなる毎日です。
インターンの課題やってリーディングやって寝よう。。。

先日、23歳になりました。

カテキョ先の女の子(めちゃめちゃいい子)とお話していると、年をとるにつれて心の中に浮かんだことをパッと言えなくなってしまったなあと思います。

「この場にふさわしいことを」「なにか思慮深いことを」「相手を喜ばせることを」という風にぐるぐると思いをめぐらせてしまって、結局通り一遍のことしか口に出せなかったり。
本当はいろいろと頭の中では考えているんだよ、ということを知ってもらえたらどんなにいいかと思うけどね。



タイトルは今思い浮かんだことについて。
「はなしことば」と「かきことば」、言葉遣いや話しの運び方が違うのは当たり前。
でも、話す内容についても違うなということに気がついた。

文面に自分の思いを落とし込む時は、誰が見ても理解できるように、理路整然と丁寧に説明を尽くす。それが、読む人にとって一番わかりやすく、親切な方法。
でも、対人で話している時は、それでは相手を巻き込めない。

「今日こういうことがあってこう感じてこう行動したんだよね」
と、自分の思いを順序良く説明しきってしまったら
「そうなんだ」
という反応しか相手からは得られない。

そうではなく、事実だけを述べる。そうすれば、相手はその事実について自分で判断をする。その反応に基づいて、話しを運ぶ。

例えば
書きことばコミュニケーション

自分「今日自転車で走ってたら自転車とぶつかっちゃったんだよね。相手は赤信号だったし、私は悪くないんだけどね」

相手「そうだったんだ。災難だったね。。。」


話し言葉コミュニケーション
自分「今日警察いったんだよ(事実1)」

相手「え!なにがあったの?」

自分「自転車とぶつかっちゃって(事実2)」

相手「なにそれ、どうしてぶつかっちゃったの」

自分「向こうが赤信号で突っ込んできたんだけど(事実3)」

相手「それ自分は悪くないじゃん!大変だったね」


こういう風に、言葉足らずなくらいで事実を述べていくと、恣意的じゃなく自分の言いたいことがいえるし相手を巻き込んだコミュニケーションになるので、自分も相手も気持ちよくていいです。

しかし、話し言葉コミュニケーションに頼りすぎていると、思慮が浅くなってきてしまいます。
これからは、言葉少なに生きつつ、これからは書く作業もこなして、思いを膨らませることもしていこうと思います。

ささ、いまからレポート→インターン先の課題→レポート→ゼミの課題。。。
めまぐるしくいろんなことがありすぎるので一週間前のことがずいぶん昔のことのように感じられます。

人間として扱ってもらえるように勉強しますさようなら