飯島 夏樹
ガンに生かされて

以前から買ってはいたけど手につけられなかった本。


今日、読み終えた。



飯島夏樹さんは、肝細胞癌。



余命宣告よりも半年も長く生きた。



最近私は、余命宣告ってなんなんだろうって考える。



余命宣告を受けたからといって必ずしも宣告どおりになくなるわけではない。



あくまでも統計の話。



飯島夏樹さんは、『命は神の領域』といっていた。


『人が生まれるのも奇跡なら、天に上るのもまた奇跡。』



神様が、お父さんに 『お疲れ様!』 ってGOサインをだしてくださるその日がいつやってくるのかはわからない。


けど、そのときの事を今考えられる。



世の中にはいろんな事が起こる。


今日、エレベーターの不具合ではさまれて亡くなった高校生のニュースを見た。


誰がその子が今日亡くなるって想像できてただろう。


あまりに突然過ぎる死。



父の癌が分かって今日まで、何度も 『もしお父さんがなくなったら』 って考えてきた。


だから、これまで父との時間を意識してきた。



こうやって、一つ一ついろんな準備ができて、


今までたったら話せなかったような話が出来て、


おたがいに死を意識しながら毎日を大切に出来て、



考え方を変えると、ラッキーなんじゃないかなって思う。


どんだけやっても後悔はすると思うけど、



自分の中で努力できること、自分の中でやりたいことはまだまだ出来るし。



だから、ラッキーだと思う。



余命宣告を受けて、家族の中で隠し続けながら当たり障りのないように最期を過ごす人たちもいる。


病院でスパゲッティー状態になって、


医師や看護師に家族なのに会ったりしゃべったりする制限をされてしまうのも絶対に嫌。



好きなように生きる父を見ながら、これまであったいろんな事を一つ一つ許せるようになった今が、


私の人生の中で一番居心地のよい家庭環境にあると思う。



私は、高校生くらいから父のことが嫌いになった。


ギャンブルばかりして、家に帰ってこない父のことが嫌いになった。



アルバイトをしてためたお金も全部父のギャンブル代に流れていった。



顔を合わせばお金をせびってくる父が大嫌いだった。



本当に殺したいって思ったことも2回ある。



区役所に離婚届をとりに言って、


お母さんに頼むから書いてってお願いしたこともあった。



いろ~んなことがあったなぁ。



父が包丁を振り回した事もあった。



けど、今までのいろんな事ってホントたいしたことじゃないんだなぁってつくづく思う。



だけど、そう思えるのもきっとお母さんのお陰だろう。


どんなにワガママな父でも、どんなに迷惑な父でも、お母さんはお父さんのいい所をしっかり愛してた。



ギャンブルさえなければ最高な父。



人を喜ばせることが大好きで、とにかく他人にはよく尽くす。



お父さんがお酒を飲んでいる席では笑いが絶えなかった。



自分のことより人の為に行動することが多い父。



そんな父のことを一番分かってるんだろうな母は。


お母さんのことは、ブログに何度と書こうと思ったけど、


大きすぎて、偉大すぎて、文章に出来ない。



苦労するのを分かっていながらその道を選んだお母さん。


周りから何度も離婚を勧められても首を立てに振らなかったお母さん。



そんなお母さんがいたから、今こうして父は幸せな終末期(ターミナル)を迎えられてる。


そして、私も父の終末期に寄り添えてる。



ん~やっぱり、お母さんは偉大だ。



お母さんが父の最期の時まで倒れずにより添えられるよう、私はサポートしなくちゃ。



なんだか、今娘として色々考える。


母をサポートしつつ、娘として父によりそいつつ、家族としておばあちゃんの様子を気遣いつつ、



私が一つにまとまらない。



だけど、それでいい。



私が、私ってものをしっかりもってしまってたら、きっと周りのことに気を配る余裕なんてないだろう。



自分がこうしたいって言うものはある意味必要ない。



おばあちゃんも、血圧が高くて、ゾウさんの足で、ひこずりながら店番してる。


おばあちゃんもいたわってあげなきゃ。



お父さんにばかり目が行ってしまうけど、おばあちゃんだって爆弾抱えてるんだもん。




考えが一つにまとまらなくてもいいんだ。



その日その日に必要なことに、一つ一つ対処していけられたら。




あれ~飯島夏樹さんの事書いてたつもりが、話が脱線してしまった。


ま、いいか。




お父さんも寝たことだし、私もねようかなぁ。