今日は訪問看護婦さんが来る日です。
前回看護婦さんにこんなことを言われました。
『伊藤さんの家は幸せだね』 って。
というのも、看護婦さん達と話してる時、むかしの思い出話とかを笑いながらいろいろ話したりするの。
外からみたらどこに余命宣告を受けた人がいるの?って感じ。
そういえば初めて病院で癌告知を受けた時もそうだった。
あまりにも簡単に 『癌ですね。』 って言われるもんだから、
わたしは落ち込んでる父をよそに笑ってしまいました。
母さんも私につられて笑ってた。
正直、あの時は笑うしかなかった。
落ち込むのはわかってた。
だけど、必ず癌になったら死ぬって言うわけではないし。
笑うことで病気がどっかに逃げていってくれないかなぁと思った。
その時の事は父にいまだに言われる。
『こいつらのぉ、わしが癌じゃ言われた時、笑いやがるんで~。』 と。
(笑いながら。)
家で看取るというのも今の時代珍しい事なのかもしれない。
我が家はこれまでみんな家で亡くなっている。
ひいおばあちゃんも、おばあちゃんも、おじいちゃんも。
だから、わたしの中で家で亡くなるのは当然なこと。
だけど、今回母は自信がないといっていた。
母が一人で看病するのではない。
私たち娘も協力して、みんなで助け合っていく。じゃなきゃ無理。
そんなことをお母さんと妹と話して、家で看取ることを決めた。
みんなで協力して、お父さんを見送ろうって。
そして、父自身もいろんな制限が大嫌い。
だから、我が家にとって一番ベストな形だと思う。
人はみんないつかは亡くなる。
いろんな言い方があるけれど、私は魂ってものはあると思う。
肉体には死というのもがあるけれど、魂はみんなの心に生き続けるって。
だから、死はしかたのないものだって思う。
ただ、話せなくなること、触れられなくなること、もう普通に会うことが出来なくなることがさびしい。
だから、涙が出たり、悲しくなったりするんだろうな。
昔、友達に教えてもらった本がある。
『こころのチキンスープ』って言う本。
その中に、『究極の楽天家』 って言うお話がある。
ある夫婦のお話。
その夫婦には3人の息子がいて、真ん中の息子は『究極の楽天家』と呼ばれてたの。
何にしても楽天主義。
その子が7歳の時に、弟が病気で亡くなったの。
お葬式が終わった夜、その子がこういったの。
『僕たちはみんなかわいそうだ。 でも、ほかの人たちのほうがもっと可哀想だね。』 って。
どういう意味か分からなくて、ほかの人って誰の事かお母さんが聞くと、
『弟のことを知らない人たちのことだよ。 ぼくたち、一年半も弟と一緒にいられてラッキーだった。
だって、弟のことをぜんぜん知らないままの人がたくさんいるんだよ。』
って。そして、
『ママ、ぼくたち本当にラッキーだったよね!』 って。
このお話を知った時、結構衝撃的だったなぁ。
さっき、父に 『姉ちゃん』って呼ばれたの。(私は長女だから姉ちゃんと呼ばれてる。)
『何??』 って行くと、 『呼んだだけ。』 だってさ。
まったく~。
だけど、こんなことが嬉しく思う今日この頃でした。