このところ、若者の傷害事件がよく取り上げられますね。
その度に何か心を救ってあげられるきっかけがあれば・・・と感じます。
私は教師になりたくて、中学・高校の頃、どんなことを考えていたのか、
感じてたか覚えていよう記録しておこうと、ノートに書き留めていました。
実際こうして30そこそこの大人になってそのノートを見返すと、
本当に他愛ない、かわいい悩みばかりですが、
当時の私には一大事だったわけで、馬鹿にはできません。
大人は生活する為のお金や、仕事などについて悩み苦悩しますが、
同じように人間関係や恋愛などで若者も、悩み苦悩する。
それはどちらの方が切実だとか重いとか比べられるものじゃない。
どちらも真剣なんだから。
私が高校の時保健室登校気味になったとき、先生が教えてくれた詩。
若者だった私は、この詩に何かを見いだせたみたいです。
今何かを思う若者、誰か1人の心に届いたらいいなと思いここに紹介します。
「人間のうた」 深沢 義旻
「うそをつくな」と、おれは言わない。
大事なときにうそをつかなければいいのだから。
大事なときとは、自分を不幸にするかどうかというときだ。
「くそまじめにやれ」と、おれは言わない。
くそまじめにやって損をすることが多いからだ。
だけど、やらなければならないときは、どんなにつらくても、苦しくても、やりぬかなければならない。
それは、自分をだめにするかどうかというときだ。
「ケンカをするな」と、おれは言わない。
つまらないことでしなければいいのだから。
つまらないケンカとは、みにくい感情の剥きだしのことだ。
そこからは、なんにも生まれてはこないのだ。
だから、ケンカはつとめて避けるがいい。
だが、始めたら、相手の息の音が止まるまでやめてはならない。
「だれとでも仲よくしろ」と、おれは言わない。
ほんとのなかまと仲よくできればいいのだから。
ほんとのなかまとは、
手をにぎりあい、肩を叩きあいながら、
自慢話ができる相手のことだ。
「まちがいや失敗をするな」と、おれは言わない。
大事なことをまちがえなければいいのだから。
大事なことで失敗しなければいいのだから。
まちがいや失敗をおそれてはならない。
おれが言う大事なこととは、
二度と起ち上れない自分になるかどうかということだ。
意志と体力で支えきれなくなるかどうかというときだ。
他のまちがいや失敗は、星の数ほどあったにしても、
少しもこわがることはない。
まちがいや失敗から正しく学んでいく限り、自分を高めていけるからだ。
まちがいや失敗を一つもしない人間は、
結局、なんにもしなかったやつなのだ。
「いつも正しくあれ」と、おれは言わない。
神様にも動物にもなれるのが人間だから。
正しく美しいものに感動するが、悪いことをまねるのも人間だから。
喜びと悲しみを同時に受けとめることができるのも人間だから。
いつ、どんなときにも、
うんと喰って、うんとたれて、うんと眠るがいい。
そしてまた、力を合わせて働こう。
「親に心配かけるな」と、おれは言わない。
心と体が丈夫なやつほど、何かをしないではいられないやつなのだ。
そうである限り、なにかどこかで、親に心配かけるにちがいないからだ。
思いっきり勇ましく生きてゆけ。
幸せは、祈って待っているものじゃない。
戦いとっていくものだ。
自分の弱さと醜さを克服していくときに得られるものだ。
自分を大切にできない限り、どうして人を大切にすることができようか。
自分を大切にすることが、同時に多くの人々を大切にすることになる生き方。
それは、人間にだけできるのだ。
そのことが、人間として生まれてきた者の義務であり権利なのだ。
そのように生きていったとき、
おれたちのまわりに人間が発見され、ほんとのなかまもできるのだ。
そのことが、どれほど切なく悲しく苦しくても、
その道が、どれほど嶮しくきびしいものであったにせよ、
歩き続けていかなくてはならないのだ。
雨が降っても、曇っていても、
見ろ
あの雲の上には太陽がある。