ブログアップが出来ずに既に三カ月が過ぎた。読者の皆さんからは「どうした、どこへ行った、失踪か?」などの声が聞こえてきそうだ。

もとより浅学非才の筆者。アイコンの意味やプログラムなど知ろう筈もなく、細く長く十数年にわたって書き続けてきただけである。

長くお世話になったSXBLOGにおさらばして他の無料ブログに乗り換えようとしたが昨今のブログは機能が増え、併せてコマーシャルが入り込んで化石のごとくの筆者には立ち向かう相手ではないと感ずること多々である。

 

先刻上越妙高駅西口の♨に出かける。

西口連絡通路から妙高金谷山を見てびっくり。西内展望回廊から北側半分はまるきり見えないのである。東急とか東横とか分からないが大きなマンションかビジネスホテルが3棟もできつつあり、きれいな西側の山並みはついぞ見ることはできなかった。本駅に景観条例が適用されたか否かは分からない。本駅の売りは他の駅にはない自然に溶け込んだビルのない自然と一体感のある新駅の姿であった筈。

 

この頃の学校は忙しい。8月末から既に授業は始まり、9月に入ってからは高学年の体験学習はオンパレードである。6日から翌7日までは6年二クラスの防災キャンプがあった。毎年のことながら学校で地震災害に遭ったらどう対応するのか、避難所となる学校だが職員と児童だけでは心もとない限りである。

当日は一部保護者のサポートはあるものの共助・公助の支援は期待できない。

未完の体ながら大きな児童は、筆者などとは大違いの力を持っている。車椅子の人や高齢者、妊婦さん、骨折した人のサポートをしながら行動を共にしていた。

下の写真は本日の午前8時に起きた余震を受けて、校舎3階に避難し、津波の迫る中で命を守り、生き延びる方途を考え、ヘルプのサイン作っているところである。

 

次にこのヘルプのサインを外に向かって提示し、外部からの救助を待つことにしたという。

大きな声、大きなボデーアクションが効を奏してくれることを祈った。

 

 

下の写真は校舎南側から妙高山系を望んだところである。まさか直江津海岸から深く入り込んだ南高田地区まで津波が押し寄せてくるとは考えられないが、想定外の災害が多い昨今、まさかに振り回されることなく臆病になることの大切さも学んだ防災キャンプであったようだ。