どんなサイトやアプリでも、「今は悪くなってる」という考え方がいつも存在する
それは簡単に言えるものではない、あくまで一部の人間がそう思ってるだけだ
だけど、そう思うには理由が必要だ
例えば、「使う人が悪くなってる」とか
でも本当に使う人が悪くなったのだろうか?これを決めるにも基準が必要だ
例えば、「質の低い発言が多い」「人が悪い」
特に酷くもなかったら、わざわざ言うまで必要はない
ビリビリ動画って知ってますか?
ニコニコ動画を真似する中国のオタク向け動画サイト、今ではもっと大きくなっている
ビリビリ動画にも「今は悪くなってる」の考えが存在している
ユーザーがよく批判されている
昔では主に質の低い発言が批判される原因になる
だけどビリビリ動画の規模が変わって、問題の本質も変わってしまった
例えば、コメントの通報機能が変わってしまい、どんなコメントが「悪い」のか、基準が全く分からなくなってしまった
それが今、特に直接な罵倒や違法な内容じゃないと通報の成功はなかなか難しいもの、「普通の悪意」なら許されている、管理者は言論の制限がどうでもよくなっている
ユーザーも悪意のある発言は問題ないと思っている、なぜなら現実はそうだから
それなのになぜ「今は悪くなってる」の考えがまだ存在しているのだろうか?
本気でそう思ってない人が多いのだ
「悪い」には理由が必要、彼らの理由は全体問題じゃなく、個人嫌悪だ
無責任な発言をしながら、小さい理由で他人に悪意を向ける、そして嫌いな相手を「ダメなユーザー」だと思い批判行為に参加する
ビリビリ動画のコメント通報機能には「引战」という通報理由がある、意味は争いを起こすこと
争うこと自体を認めたのに、この理由はまだ必要なのか?
それを判断する理由が「主観的」から「客観的」になったのだろう
だけどそれはまるで冗談、通報機能はビリビリ動画の管理者が決めるルールだ、主観客観など存在しない
「客観的」は素晴らしいだと思うが、どんな小さいことでもそこまで言うのはむしろ文化レベルが足りない表現
彼らは「客観的」であることが誇りにしている、なのに言動がワガママだ、実にふざけている
ネットにはネットでのルールがある、だけど現実の悪意や不公を慣れて、それをネットでやっている人がいる