急に寒くなりましたネ....
ご無沙汰しておりましたが、皆様は風邪など引かれていませんか?
先日、私は久しぶりに新店のオープンヘルプで、3日間名古屋の徳重に出張してきました。
今回はホテルと出店場所の距離が、時間にして一時間くらいあったので、毎朝6時起きの就寝が深夜1時過ぎで、いつになくハードワーク。
前橋ほどではないですが、名古屋も結構寒かったです。
ここ最近は、出店に係わる事もほとんどなかったけれど、これがこの会社への最後のご奉公といった気持ちで、力を抜かずに精一杯の動きをして来たつもりです。しかも今回はFC店で、相手先の社員の方も初めての取り組みに一生懸命だったので、正直とても気を使いました。
無事にグランドオープンを見届け、疲れきってホテルに帰る途中、道の脇に一本の大きな金木犀の木があり、今頃花が満開だったのでちょっと驚きましたが、甘く包み込むような香りは、なんだか優しく「おかえり....」と言ってくれている様で、とっても癒されました。
ただ、この金木犀、前橋で咲くものと全く同じ品種なのに、香りが微妙に違うと感じました。
前橋の方は、砂糖菓子のような柔らかい甘さで、名古屋の方は、アプリコットのようなほんの少し酸味のある、フルーティーな甘さを感じる香りでした。土質の違いでしょうか、土地によって香りにも違いがあるようで、私としてはとても興味深かったです。
なんだか日本も、これから春と秋が無くなり、夏と冬の二季になるなんて話しを耳にしたりしますが......
四季を感じられなくなるなんて絶対にイヤだなぁって思います。
実際、今年は秋が短すぎ急激に寒くなって、いつもなら徐々に色づくはずの木々の葉も慌てて色を変えている様子。
前橋を囲む山々でも、やっと色づき始めた紅葉が、のんびりと楽しむ間もなくあっという間に落葉してしまうのではないかと....
四季折々の彩りを、日常的に目で見て肌で感じて育ち、自然の美しさに感性を磨かれてきたと思っている私にとって、季節感が崩れるということは、とても悲しく寂しいことです.....
自然が急激に変化すれば、当然の事ながらあらゆるものに影響が出るし、特に農作物など農家の人にとっては死活問題にもなる。
人も自然の一部、結局は、上手く共存していく術を、自然と見出すことが出来るのだろうとは思いますが...
それでも、今までずっとやってきたことを、何らか変えなければならないという事態に直面した時は、どんなことであれ、多少なりとも苦労を伴うのだろうと思います。..
このところの怒涛のような日々が過ぎ去り、窓の向こうにある赤城山を眺めながら、何があろうと微動だにせず、安定して横たわる姿に、なんだかホッとさせられる気持ちで、そんなことを思っていました.....
私自身は、最近やっといろんな意味で、少し落ち着きを取り戻してきた様な気がしています。
先月は、本当に自分でも珍しく、悩み苦しんだ月でした。
なぜなのか......いざ離職すると心に決めると、本当にそれでいいのかと、まるで試されているかのように、一つまた一つと問題が浮上してくるのです......
こういう時ってそういうものなのでしょうか......正直なんだか訳がわからなくなり、もう暫く残るべきなのだろうか.....
とまで思い始める自分が登場し....
自分が辞めた後、残るメンバ-に降りかかるであろう問題が、頭から離れなくなってしまたのです...
正直なところ彼等にも予測はついているだろうと、勝手に思っていた自分がいました。
ところがそうでもなさそうだという事に今更気付き...
どうせ辞めるんだし、後の事はもういいんじゃない?と、自分に言い聞かせてはみるのですが.....
明らかに、目の前で起き始めている事に見て見ぬふりができない.....
現在の組織はまさにチ-ム型、私は、本来バイヤーであるけれど、商品開発・デザインもするし、物流担当にもなる。そして、ディレクターにもなれば製作アシスタント、販売員にもなる。しかも席がまだあるうちはリ-ダ-という役割....
そして、企業の一人としては必要に応じ、知る人ぞ知るといった感じで、たとえ部外の事であろうと、交渉役にもなれば調整役にもまわる....但しその場合は、あくまで表だって動く事はせず、事が済めば速やかに引き、その部の指揮者の上にも下にも立たない様にする。
それがこの会社での私のポジション...
なぜか黙っていても、聞きたくなくても、関係者や周囲から、社評含め様々な情報を聞かされてきました..
勿論どんな情報であれ、そのまま鵜呑みにすることはせず、そういう時ほど冷静に、あくまで客観的に捉え、マイナスの情報であっても、その場では極力感情を抑えて聞く様にします。(プライベートはそうでもないと思いますけど...)すると、徐々に相手の本質が見えてきて...
まあとにかく、今までもいろんな意味で、人というものを学ばされては来ましたけど......
ここに来て、自分の中に、この会社から離れるという気持ちがあるからこそ、今まで感じなかった些細な事さえも、重く感じ取ってしまうのかもしれません......
基本前向きキャラの私としては、なんとかして、いつもの楽しい気分を取り戻し、せめて社内で自分の周りだけでも明るい空気にしたい...
少し心を落ち着かせ、気持ちの安定を図ろうと、暫く敢えて人との接触を減らし、出来るだけ一人静かに本を読む事にあててみました...
積みっぱなしの本の間から、なんとなくニーチェを引っ張り出し、手に取って読み始め.........
でも、読みながら「うん、そうなのよね..」とか「そう捉えればいいのかぁ..」とか「あぁ分かる気がする..」とか思いながらも、完璧に流し読み....
心が反応していないのがわかる...
なんだろう、この空虚な感じ...
なるようにしかならないと思いながら、淡々と過ごしていた10月のある日の夕方
ミ-ティングを終えてデスクに戻ると、置き去りにしていた携帯に着信の文字。
既に一時間は経過していました。
落ち着いて話したかったのでそのまま即帰り支度をし、駐車場へ.....
勿論、この存在を忘れる訳はないのだけれど、そういえば、もう随分と長いこと声を聞いていない様な..何年も経ってしまった様な気さえする......たかが10日ちょっとなのに...
その前の電話の時、前日の夜が遅かった私は、有休ということも手伝い、基本は早寝早起きだけどその日はお昼近くまで眠っていて、目が覚めていない状態で出てしまい、しかも、かなり自分勝手な一方的な会話をして、機嫌を損ねさせてしまったようで.....
それに、例え夜が遅くても朝は早く起きて仕事をする人、
ちょっとだらけ過ぎじゃない?..とも思った様子..すぐに気づいてメールで謝ったけれど時すでに遅し、私からしない限り当分は連絡して来ないかも...と。
そうは思いながらも、余りにあれこれあり過ぎて、私自身が精神的に疲れていたせいもあり、自分からする気力もなくしてしまっていたのです。
考えてみれば、この人以上に理解度が高く、私が素直に本音を言ってしまえる人は、ほぼいないと思うのですが.....
愛車の運転席に落ち着いたところで、一息つき、コールバック......
急ぎの用だったとしたらゴメンネと思い、遅くなった事の言い訳をしていると
「特に何って訳でもないけど、どうかなぁと....」と、そんな感じで...
何かを察したのか、そうでなければ私の性格上、あまり放って置いても....とでも思って電話をくれたのでしょう...
それでも、まずは溜まっていた私の話しを、遮る事もせずに一通り聞いてくれて...
ある程度話せて満足した私は、落ち着いて今度は聞く側になり、その声に対して自然と相づちを打ったり、笑ったり........
するとなぜか、どこか身体の一部のささくれていたところが、徐々になめらかになっていく様な....そんな感覚....
何かが充填されていく様な安堵感...
もしかして、私の本能が求めていたものは、これだったのかと....
空虚感を埋められるもの.......
ニーチェの残した知性溢れる言葉より、たった一人の声の響きと、たわいもない会話.....
毎日、どれ程の人と話し、声を聞いているか分からないのに....
いずれにしても、無意識に必要としているもの..私にとってなくてはならない、特別な存在であるという事に変わりない....
ただ、あまりに本能的というか....ほんとに......なんて単純な私......
なんとなくそう思ってしまいました...
でも、それから改めてニーチェの本を開くと.......
彼は、こんな言葉を残してくれていました.....
「......知性はわたしたちが生きていくのを助けてくれるが、私たちは知性を悪用することもできる。知性はその意味で便利な道具と同じだ。
そしてわたしたちは、本能を動物的なもの、野蛮なものとみなしがちだが、本能は確実にわたしたちの生命を救う働きだけをする。本能は大いなる救済の知性であり、誰にでも備わっているものだ。
だから、本能こそ知性の頂点に立ち、最も知性的なものだと言えるだろう。」....と
ニーチェにも、なんだかやっぱり、ちょっと救われた気がします.....
そう....このところの私は、心ではなく、頭で考えてばかりいたように思うのです。
早く答えを出さなきゃ....前に進まなきゃ....と、まるで何者かに追われているかのように....危うく自分を見失うところだったかもしれない......
素直に感じるままに....という、本来の私とはあきらかに違っていた......
いずれにせよ、周囲の空気も少し静けさを取り戻しつつあり、自分にとって何が必要で、今は何をすべきかが、また冷静に感じとれるようになってきた気がしています。
少し先延ばしにしようとしていた新たな課題への取り組みも、そろそろ始めようと思っています。
やっぱり私らしく、本能に導かれるままに、自分の感覚を信じて、丁寧にやっていけたらいいと....
また暫くは、開かれる事もなく、本と本の間に埋もれるであろうニーチェの本の中から、単純に私の記憶に残った言葉を......
「感覚や官能を、下品だとか、不道徳だとか、偽りだとか、脳の化学的反応にすぎないとか言って、自分から無理に遠ざけてしまわないように。わたしたちは、感覚を愛してもいいのだ。感覚はそれぞれの程度で精神的なものになるし、人間は昔から感覚を芸術化し、文化というものをつくってきたのだから。」
そして
「劇場や美術館のような巨大で立派な施設を造れば造るほど、そこからより大きな文化がぞくぞくと生まれてくるわけではない。道具や技術を多彩にそろえればそろえるほど、豊かな文化の条件や基礎が築かれるわけでもない。
文化を生むのは、心だ。ところが、役人や商人がむらがっては文化を発展させる手段と名付けたものを持ちより、かえって文化を破壊させる危険度を増大させている。今はこういう時代だが、文化の本質が物や手段だという考え方に対して、わたしたちは強く抵抗していかなければならないだろう。」
そう....たとえどんな状況におかれようとも、私自身は、心を亡くす様な生き方だけはしたくないと思います。
次回のブログには、きっと進行形になっているであろう「新たな事」についての報告ができたらいいなと思います。
これから寒さも厳しくなってきそうです。皆様も風邪などにはくれぐれもお気をつけ下さいね。
それではまた(^_-)☆
