11月もすでに後半
急に寒くなりましたネ.... 
ご無沙汰しておりましたが、皆様は風邪など引かれていませんか?


先日、私は久しぶりに新店のオープンヘルプで、3日間名古屋の徳重に出張してきました。


今回はホテルと出店場所の距離が、時間にして一時間くらいあったので、毎朝6時起きの就寝が深夜1時過ぎで、いつになくハードワーク。


前橋ほどではないですが、名古屋も結構寒かったです。


ここ最近は、出店に係わる事もほとんどなかったけれど、これがこの会社への最後のご奉公といった気持ちで、力を抜かずに精一杯の動きをして来たつもりです。しかも今回はFC店で、相手先の社員の方も初めての取り組みに一生懸命だったので、正直とても気を使いました。

無事にグランドオープンを見届け、疲れきってホテルに帰る途中、道の脇に一本の大きな金木犀の木があり、今頃花が満開だったのでちょっと驚きましたが、甘く包み込むような香りは、なんだか優しく「おかえり....」と言ってくれている様で、とっても癒されました。


ただ、この金木犀、前橋で咲くものと全く同じ品種なのに、香りが微妙に違うと感じました。


前橋の方は、砂糖菓子のような柔らかい甘さで、名古屋の方は、アプリコットのようなほんの少し酸味のある、フルーティーな甘さを感じる香りでした。土質の違いでしょうか、土地によって香りにも違いがあるようで、私としてはとても興味深かったです。



なんだか日本も、これから春と秋が無くなり、夏と冬の二季になるなんて話しを耳にしたりしますが......


四季を感じられなくなるなんて絶対にイヤだなぁって思います。


実際、今年は秋が短すぎ急激に寒くなって、いつもなら徐々に色づくはずの木々の葉も慌てて色を変えている様子。

前橋を囲む山々でも、やっと色づき始めた紅葉が、のんびりと楽しむ間もなくあっという間に落葉してしまうのではないかと....


四季折々の彩りを、日常的に目で見て肌で感じて育ち、自然の美しさに感性を磨かれてきたと思っている私にとって、季節感が崩れるということは、とても悲しく寂しいことです.....


自然が急激に変化すれば、当然の事ながらあらゆるものに影響が出るし、特に農作物など農家の人にとっては死活問題にもなる。


人も自然の一部、結局は、上手く共存していく術を、自然と見出すことが出来るのだろうとは思いますが...


それでも、今までずっとやってきたことを、何らか変えなければならないという事態に直面した時は、どんなことであれ、多少なりとも苦労を伴うのだろうと思います。..


このところの怒涛のような日々が過ぎ去り、窓の向こうにある赤城山を眺めながら、何があろうと微動だにせず、安定して横たわる姿に、なんだかホッとさせられる気持ちで、そんなことを思っていました.....


私自身は、最近やっといろんな意味で、少し落ち着きを取り戻してきた様な気がしています。

先月は、本当に自分でも珍しく、悩み苦しんだ月でした。
なぜなのか......いざ離職すると心に決めると、本当にそれでいいのかと、まるで試されているかのように、一つまた一つと問題が浮上してくるのです......


こういう時ってそういうものなのでしょうか......正直なんだか訳がわからなくなり、もう暫く残るべきなのだろうか.....

とまで思い始める自分が登場し....


自分が辞めた後、残るメンバ-に降りかかるであろう問題が、頭から離れなくなってしまたのです...


正直なところ彼等にも予測はついているだろうと、勝手に思っていた自分がいました。


ところがそうでもなさそうだという事に今更気付き...


どうせ辞めるんだし、後の事はもういいんじゃない?と、自分に言い聞かせてはみるのですが.....



明らかに、目の前で起き始めている事に見て見ぬふりができない.....


現在の組織はまさにチ-ム型、私は、本来バイヤーであるけれど、商品開発・デザインもするし、物流担当にもなる。そして、ディレクターにもなれば製作アシスタント、販売員にもなる。しかも席がまだあるうちはリ-ダ-という役割....

そして、企業の一人としては必要に応じ、知る人ぞ知るといった感じで、たとえ部外の事であろうと、交渉役にもなれば調整役にもまわる....但しその場合は、あくまで表だって動く事はせず、事が済めば速やかに引き、その部の指揮者の上にも下にも立たない様にする。

それがこの会社での私のポジション...


なぜか黙っていても、聞きたくなくても、関係者や周囲から、社評含め様々な情報を聞かされてきました..


勿論どんな情報であれ、そのまま鵜呑みにすることはせず、そういう時ほど冷静に、あくまで客観的に捉え、マイナスの情報であっても、その場では極力感情を抑えて聞く様にします。(プライベートはそうでもないと思いますけど...)すると、徐々に相手の本質が見えてきて...

まあとにかく、今までもいろんな意味で、人というものを学ばされては来ましたけど......


ここに来て、自分の中に、この会社から離れるという気持ちがあるからこそ、今まで感じなかった些細な事さえも、重く感じ取ってしまうのかもしれません......



基本前向きキャラの私としては、なんとかして、いつもの楽しい気分を取り戻し、せめて社内で自分の周りだけでも明るい空気にしたい...


少し心を落ち着かせ、気持ちの安定を図ろうと、暫く敢えて人との接触を減らし、出来るだけ一人静かに本を読む事にあててみました...



積みっぱなしの本の間から、なんとなくニーチェを引っ張り出し、手に取って読み始め.........



でも、読みながら「うん、そうなのよね..」とか「そう捉えればいいのかぁ..」とか「あぁ分かる気がする..」とか思いながらも、完璧に流し読み....
心が反応していないのがわかる...



なんだろう、この空虚な感じ...


なるようにしかならないと思いながら、淡々と過ごしていた10月のある日の夕方



ミ-ティングを終えてデスクに戻ると、置き去りにしていた携帯に着信の文字。



既に一時間は経過していました。


落ち着いて話したかったのでそのまま即帰り支度をし、駐車場へ.....



勿論、この存在を忘れる訳はないのだけれど、そういえば、もう随分と長いこと声を聞いていない様な..何年も経ってしまった様な気さえする......たかが10日ちょっとなのに...


その前の電話の時、前日の夜が遅かった私は、有休ということも手伝い、基本は早寝早起きだけどその日はお昼近くまで眠っていて、目が覚めていない状態で出てしまい、しかも、かなり自分勝手な一方的な会話をして、機嫌を損ねさせてしまったようで.....

それに、例え夜が遅くても朝は早く起きて仕事をする人、
ちょっとだらけ過ぎじゃない?..とも思った様子..すぐに気づいてメールで謝ったけれど時すでに遅し、私からしない限り当分は連絡して来ないかも...と。

そうは思いながらも、余りにあれこれあり過ぎて、私自身が精神的に疲れていたせいもあり、自分からする気力もなくしてしまっていたのです。


考えてみれば、この人以上に理解度が高く、私が素直に本音を言ってしまえる人は、ほぼいないと思うのですが.....


愛車の運転席に落ち着いたところで、一息つき、コールバック......



急ぎの用だったとしたらゴメンネと思い、遅くなった事の言い訳をしていると


「特に何って訳でもないけど、どうかなぁと....」と、そんな感じで...



何かを察したのか、そうでなければ私の性格上、あまり放って置いても....とでも思って電話をくれたのでしょう...


それでも、まずは溜まっていた私の話しを、遮る事もせずに一通り聞いてくれて...


ある程度話せて満足した私は、落ち着いて今度は聞く側になり、その声に対して自然と相づちを打ったり、笑ったり........


するとなぜか、どこか身体の一部のささくれていたところが、徐々になめらかになっていく様な....そんな感覚....


何かが充填されていく様な安堵感...



もしかして、私の本能が求めていたものは、これだったのかと....


空虚感を埋められるもの.......


ニーチェの残した知性溢れる言葉より、たった一人の声の響きと、たわいもない会話.....

毎日、どれ程の人と話し、声を聞いているか分からないのに....


いずれにしても、無意識に必要としているもの..私にとってなくてはならない、特別な存在であるという事に変わりない....



ただ、あまりに本能的というか....ほんとに......なんて単純な私......


なんとなくそう思ってしまいました...



でも、それから改めてニーチェの本を開くと.......


彼は、こんな言葉を残してくれていました.....


「......知性はわたしたちが生きていくのを助けてくれるが、私たちは知性を悪用することもできる。知性はその意味で便利な道具と同じだ。

そしてわたしたちは、本能を動物的なもの、野蛮なものとみなしがちだが、本能は確実にわたしたちの生命を救う働きだけをする。本能は大いなる救済の知性であり、誰にでも備わっているものだ。

だから、本能こそ知性の頂点に立ち、最も知性的なものだと言えるだろう。」....と


ニーチェにも、なんだかやっぱり、ちょっと救われた気がします.....



そう....このところの私は、心ではなく、頭で考えてばかりいたように思うのです。

早く答えを出さなきゃ....前に進まなきゃ....と、まるで何者かに追われているかのように....危うく自分を見失うところだったかもしれない......



素直に感じるままに....という、本来の私とはあきらかに違っていた......



いずれにせよ、周囲の空気も少し静けさを取り戻しつつあり、自分にとって何が必要で、今は何をすべきかが、また冷静に感じとれるようになってきた気がしています。


少し先延ばしにしようとしていた新たな課題への取り組みも、そろそろ始めようと思っています。



やっぱり私らしく、本能に導かれるままに、自分の感覚を信じて、丁寧にやっていけたらいいと....


また暫くは、開かれる事もなく、本と本の間に埋もれるであろうニーチェの本の中から、単純に私の記憶に残った言葉を......



「感覚や官能を、下品だとか、不道徳だとか、偽りだとか、脳の化学的反応にすぎないとか言って、自分から無理に遠ざけてしまわないように。わたしたちは、感覚を愛してもいいのだ。感覚はそれぞれの程度で精神的なものになるし、人間は昔から感覚を芸術化し、文化というものをつくってきたのだから。」


そして


「劇場や美術館のような巨大で立派な施設を造れば造るほど、そこからより大きな文化がぞくぞくと生まれてくるわけではない。道具や技術を多彩にそろえればそろえるほど、豊かな文化の条件や基礎が築かれるわけでもない。
文化を生むのは、心だ。ところが、役人や商人がむらがっては文化を発展させる手段と名付けたものを持ちより、かえって文化を破壊させる危険度を増大させている。今はこういう時代だが、文化の本質が物や手段だという考え方に対して、わたしたちは強く抵抗していかなければならないだろう。」


そう....たとえどんな状況におかれようとも、私自身は、心を亡くす様な生き方だけはしたくないと思います。


次回のブログには、きっと進行形になっているであろう「新たな事」についての報告ができたらいいなと思います。


これから寒さも厳しくなってきそうです。皆様も風邪などにはくれぐれもお気をつけ下さいね。


それではまた(^_-)☆

朝夕の空気、空に浮かぶ雲の形、月の輝き...

およそ一月遅れの金木犀の甘い香りに、ようやく秋の気配を感じる今日この頃です....



9月はブログもアップできずに終わり

長いことご無沙汰しておりました_(._.)_



皆様お元気にお過ごしでしょうか?





私は、あれやこれやと、自ら進んでバタバタしているといった感じです。



自分なりの決断をしてから、気付けばもう二ヶ月が経過し、退職日までの数ヶ月間、有給消化で、まる一月分はお休みできるというのに、結局は中途半端なお休みしか取れない状況です。





それにしても、この二ヶ月間は、仕事もプライベートも、なんだかとても濃い感じで、書きたい事は山ほどあるけれど、既にまとまらない..というのが正直なところです。





でも、先日、久しぶりに同級生10人で飲み、小学時代からの友達である歯科医のKOUSEIから「そろそろblogアップしないとだろー!結構まめに見てんだぜ..」とクレームが...f^_^;



なので、思い付くままに..



9月は、展示会に始まり、平日は東京との往復が多く、地元では同僚の送別会、有休日は今後の為に動き..同僚の結婚式には欠席する替わりにお色直し用のブーケをプレゼント。

数日後、本人はもとより、なぜか知らないはずの出席者達からも、すっごく素敵なブーケだったと大好評、喜んで頂けた様で何よりでした。



と、まぁこんな感じで、30日の東京出張を最後に9月も無事終了。




そしてカレンダーをめくり...


10月1日、父の命日でした。



私の中の父は、白髪混じりのウェーブヘアーを指先でかきあげながら、好きな作家の話しや、まだやり遂げていない夢の話しを、カモシカの様な細く綺麗な脚であぐらをかき、晩酌しながら熱く語る、61才の姿のまま、永遠に年老いる事がありません。



特別何かしたわけではないけれど、この日は父の素敵だったところを思い出し、心の供養をしました。




最近、父のやりたかった事が、なぜか自分のやりたい事にも繋がり、父はこういう思いだったのかと気付き始め、今生きていてくれたら..と、残念に思う事も時々あります。





父は自由人で、家族は勿論苦労もさせられたけれど、同時にとても尊敬できる人でもありました。「常に必要なことは自分で一から学ぶ、それを人にも与える事ができて初めて自分の宝になる」父からよく聞かされた言葉です。





父は学生時代、バスケと剣道をやっていて、その影響からか、私が小学1年の時、近くにあった剣道の道場に通いたいと、母に何度もせがんだところ「女の子なんだからもっと違う事して..」と、なぜかエレクトーンを買い与えられ、結局通わせてはもらえませんでした。



それでも、バスケに関しては、小学時代からミニバスのチームに入り、膝を壊すまで夢中になってやっていたことを思い出します。





父は封建的でもあり、逆らう母と弟に手を挙げる事はあっても、私には、亡くなるまで一度も手を挙げた事がありませんでした。

考えてみれば、私は父に対して、逆らう事もなかったからだと思います。





亡くなる間際、父の前では常に笑顔を見せていた私に、普段通りで、父からは特別な言葉を聞く事は何もありませんでした。



でも本当は、当時色々なダメージを被っていた私の事をとても心配していて、「娘には幸せでいて欲しいと、心から願う様に話していたょ..」と、後にお見舞いに来て下さっていた方に聞かされ、その場で涙が溢れてしまった事も思い出しました。



私もまだまだ一つ一つ学びを増やし、磨き続けていかなければいけないと、改めて思い起こす良い一日となりました。







翌2日は、先にもふれた同級生10人の飲み会。



当初のメンバーは(A銀行のKATSUO・U貯のHIROSHI・歯科医のKOUSEI・市役所のKUNIKO・私)と、いかにも私以外はキチッとした感じの5人..でも実は、皆らしからぬタイプでとても愉快、性格も明るく素敵な人達。



その5人の定期的な集まりに、夫婦で花屋を営むKYOKOが加わり



そして、前回、つい最近まで連日報道されていた八ッ場ダム問題の渦中にある、川原湯温泉の開祖の旅館「高田屋」を継ぐTOYODA君・フリーで輸入アバレル販売業をこなすKENJI・自衛隊出身サラリーマン課長のKIHARA君・先日転職先の決まったKOYAMA君の4人が加わり



今回、広告デザイン会社を経営するSHIGEOが加わって、気付けば、宇野クラスのメンバーは11人に増えていました☆



かつて長い時間を共有したメンバーは、ある程度それぞれの性格も理解していて、時が経っても、会えば当時のままの雰囲気に戻れるのが嬉しい。



でも、その時の経過の中で、それぞれが様々に生きてきた事もおのずと知る事になり、愉しくもあるけれど、切なく感じたり、考えさせられる事もあります。





今回は、その内の一つだけ、TOYODA君の決断を...



実家である、川原湯温泉の老舗旅館「高田屋」を来月11月25日をもって長期休業とする事に決めたそうです。



江戸時代から続けてきた歴史の重み、時代を越えて多くの人々を癒し愛されてきた旅館でした。



美しい自然に囲まれた、おだやかで静かな温泉地に、ダム建設問題が浮上してから既に50年も経過し、その間、彼の御祖父様もお父様も人生の全てをかけて守り続けてきた家業、それを自分の代で休業と決断せざるをえなかった事に、どれほどの苦悩があったかは、想像することさえできません。



TOYODA君は昔から、いつでも誰に対しても笑顔を向け、接することのできる人でした。それは今も全く変わらず、大きな人だと感じます。





それに比べ、私はなんて未熟、小さいなぁと思い、些細な事に振り回されている自分がなんだか情けなく思え、もう一度、周りの人間関係含め、全てを見直そう..という気持ちが生まれました。





歴史が閉じられる前に、私も一度ゆっくり温泉に浸かりに行きたいと思っているところです。

それに、高田屋にある砂塩酵素風呂は、自然治癒力を向上させ、あらゆる疾患や美容に効果的といわれていて、日帰りでもOKなのです。(もし興味のある方は、高田屋のHPをご覧になって見て下さい)



ダムに沈む 川原湯温泉開祖の旅館 江戸年間創業 『高田屋』






そして、これからの時期、なんと言っても吾妻峡の紅葉はとても美しいので、おそらく今月下旬辺りから見頃ではないかと想像し、その頃行けたらいいなぁ..なんて思っています。





TOYODA君に限らず、19才から社長業をこなす心優しき独り者KENJIの苦悩と海外エピソード、SHIGEOを活かす歳の差奥様とのライフスタイル、小さくても素敵な花屋を守り続けるKYOKOとその夫...他それぞれ



類は友を呼ぶといいいますが、元々カラーの強い人間ばかり、とにかく生き方もドラマチックで色鮮やか。

書く気になったら本が一冊出来てしまいそうです。



でも、私が感じる全員の共通点というのがあります。

それは、なぜか皆、声がキレイで透り、生命力を感じさせる張りがあるのです、そしてもちろん笑顔が最高だという点です☆







ブログも、マメに書けばいいものをたまにしか書かないから、一度にあれこれ長くなってしまうのですよね....



誰かに言われてしまいそうな気もしますので

今回はこの辺で..._(._.)_





更新しなくてもペタして下さっている方、いつもありがとうございます(^-^)



過ごしやすい季節になりましたが、朝夕の温度差に風邪などひかぬよう気をつけて、短い秋を満喫して下さいネ☆



それではまた(^-^)/

ご無沙汰しておりましたキラキラ
7月のブログ..

とは言っても、もう8月がそこまで...


先週、驚いた事に、ある男性から、個人的なお誘いを頂きました..少々戸惑い、友達にも相談...そして、丁寧にお断り致しました。


今月は、会いたくて会えなかった二人が、ようやく会うことのできた七夕の月...


なんだか久しぶりに、男と女について、少し考えさせられました...


月初めに観た映画からも...
「イルマーレ」The Lake House...



7月に入って最初の日曜日、久しぶりに何も考えずにただボーッとしていた時..


なぜだかふと、この「イルマーレ」の映像が頭に浮かび...


それと同時に、ポール・マッカートニーのあの曲、ピアノの音が耳の奥で静かに流れはじめました....This Never Happend Before...私のとても好きな曲のひとつ...


とりあえずこの曲だけでも聴きたいと思い、You Tubeで検索...するとやはりThe Lake Houseのカットが..どうしても観たくなって、すぐさまDVDを探しにTSUTAYAへ


この映画を最初に観たのは、たしか3年前、仕事で香港に向かう飛行機の中でした...


私は、前席シートの背に埋め込まれた小さな画面を食い入る様に見つめ、周囲も気にせず、時には涙を指で拭ったりしながら、すっかりその世界に入り込み...


サンドラ・ブロックとキアヌ・リーヴスが演じるケイトとアレックス...

ある建築家によって建てられた湖畔の家...

ふたりを繋ぐ手紙...


それぞれ、決して器用とは言えない生き方だけれど、二人の素直さが愛おしい、切なくて優しいストーリー


映画でもドラマでも(TVを殆ど観ないので、私はほぼ映画ですが)主人公の性格や生き方、状況設定などが、自分に近いと感じたりすると、より興味深く見入ってしまうもの...

(そういえば、先日、私とは色んなとこが逆のタイプの美人のひろのお姉さんは、セックス・アンド・ザ・シティーをより興味深く見入ったらしく、ハマったと言ってました)

初めてこの「イルマーレ」を観た時の私も、まさにハマった感じだったと思います...


ケイトの性格や行動、物事の捉え方が、自分にとても似ている気がしたから...

そして、惹かれる相手の人間性までも...


その頃は、アレックスの様な素敵な存在こそ、現れてはいなかったけれど...

私自身の状況といえば...


突然与えられた責任の重い仕事と、周囲の期待に押し潰されそうになりながら、とにもかくにも前に進むしかなく、悩む余裕すら与えてもらえなかった時期...


一人の時間といえば、眠っている時と、出張で移動する際の乗り物の中くらい..


休みなんて有ってないようなもので、引っ切り無しに携帯が鳴り、睡眠時間は平均4時間といったところ


美容院に行く時間すらもったいなくて、当時気に入っていたきつめのウェービーロングは、気付けばゆるいウェーブとなり、腰近くまで伸び放題なありさま..


こんなんじゃダメッ!と、バッサリとショートボブにし、気分を変えて出勤すれば「おっ!いよいよ気合い入ったって感じか!」と、呑気な上司にまた引きずり降ろされ...


友達に連絡をもらっても、会う気力すら持てなくて


誰にというわけでもなく、お願いだから解放してッ!!と、しょっちゅう心の中で叫びながら、あくまで平静を装っていました...


常に人に囲まれてもいました。感謝すべきことなのですが..


でも、むしろその数が増える程に、なぜか孤独感が増していく..


抜け出す事のできない場所をさらに奥へと進んで行ってしまっている様な...



一人になりたいと思う反面、時折とてつもない淋しさに襲われる...



そんな時、なぜか私を支えたいと言ってくれる人が現れ、自信もあり押しの強い人で、正直少し傾きそうにも...


けれど明らかに、そこには弱気になっている自分がいるだけで


周りからどんなに素敵な人だと言われても、実際に私から相手に求めたいものが何も浮かばない..



私が本当に求めたいものは、無理をせず、自然体で、同じ様に必要としあえる人...


それに、友達いわく、私は管理される位で調度いい?ので、相手からの電話やメールは、極端な話し毎日でも平気なのだけど、自分からが決してまめではないから、それでも私の事をちゃんと信じていてくれる人...



結局のところ、その人とは、お互いに本物ではなかったということなのでしょう...



いつだったか、あるデザイナーに「仕事柄、出会いも、そういう誘いも結構あるだろうに、意外と見た目と違ってかたいよね~」と

あるフォトグラファーには「実はめっちゃ純粋だよね~」と

そんな風に冗談まじりに言われた事もあるけれど....


本来は、私も大人の付き合いのできる普通の女だし、ただかたい訳でもない


強いて言うなら、本能というか..自分が本気になれるもの以外、それほど必要ないかなぁ..そんな感じです。


もちろん自分の尺度でしかないけれど、どうせ時間を共有するなら、感性の合う、本質的にいいと思える男性が望ましい..とは思っています。


それに、自分がもしも男性だとしたら、明るく素直で、やはり、自分をきちんと持っている女性を選ぶような気がします...



男と女の間を繋ぐ、言葉の必要性も考えてみました...



私は、一人心に置いたら、誰が何と言おうと相手を信じようとするし、自分から裏切る様な事はしないタイプ..

ただ、それでも「私のこと信じてくれてない気がする..」そんな思いに、何度か悩まされた経験があります。


誰しも恋愛において、相手の心にあるのは、自分だけだと信じたい


でも、何らかのすれ違いや、言葉の解釈の違いなどで、いざそこに自信が持てなくなると、人は疑心暗鬼にかられ、不安になる事もある...


けれどそこで、余計なプライドが邪魔してしまうと、素直に確認できずに終り、そこから今度は猜疑心ばかりが働く様になり...
更に、言葉も失われていく


どちらかといえば、男性側に多い気がします、なぜなら、こういう場合、おおよそ女は黙っていられないと思うから...


もったいないと思う...



確かに、私自信も自分の気持ちを言葉にするのが上手とは言えないし、足りない方だと友達にもよく言われます..

けれど、思った事は言うし、聞かれればちゃんと素直に応える方だと思うのです。


言葉にして聞いてくれたら、おそらく安心するであろう言葉を、すぐに返せると思うのに...

聞かれなければ、返すことさえできない...


何が不安なのか、辛いのか、悲しいのか、恐いのか..何が気にくわないのか、どうして欲しいのか..


ただ素直に、本音を言葉にするだけ

例えちょっとした喧嘩になったとしても、理解し合おうという気があれば、それだけで、幸せな時間を取り戻す事もできると思うのに...



男も女も、付き合いが長くなってくると有りがちな、言わなくてもそこは気付いてよ..というところ...


言われなくても気付くべきところはあると思います。でも全て気付けたら..言葉なんて必要なくなる。


言葉はただの文字列じゃない..そこにかかる声(手紙なら文字の雰囲気)、話し方、籠められた気持ち、それらも一部の要素となって、相手を好きになり、信頼が生まれたということ...


余程の絆でもない限り、言葉が少なくなれば、そこも同時に薄まっていく可能性も否めないと思うのです。


だからこそ、言葉は惜しみなく与えあうべきものだと...



男にとっても女にとっても、プライドは時として、とても重要ではありますね..

けれど、自分の心に正直に、素直に負の部分も認めた上で、思いやりを持って、ちゃんと言葉を通して向き合う事ができたら...


きっともっと幸せになれる気がするのです...



前回「イルマーレ」を観た時は、職業こそ違えど、私はケイトという人物に、なんとなく近いものを感じ、その生き方に自分を重ねました。


でも今回は、あの頃とは仕事の状況、人間関係も変わったせいか、少し違う角度から観ている自分がいました...

そして奇跡というものについても...


私みたいなロマンティストでない限り、奇跡なんてものはそうそう起こるものではないと、言いたくなる人もいるだろうけど...



私も普段はあまり考えたりしませんが..

今現在、世界には、68億何千万人という人間が生きているわけで、その中でたった一人にめぐり逢うという事そのものも、ある意味、奇跡なのではないかと...


それに、本当に必要としあう者の間には、意外と小さな奇跡が幾度となく起きていたりするのでは..と思うのです...



映画は、時に本物の気付きを与えてくれたりします。


たまには男と女について、真剣に考えてみるのも大事だなぁって感じました。



次回は、どんなテーマになるかわからないけれど...
また感じたままを素直に....



それではまた...キラキラ


暑さ厳しい毎日ですが
皆様もどうぞご自愛あってお過ごし下さいネ(^-^)/