私的に、今日は一歳の誕生日。
私の戸籍上の誕生日は3月です。
今年の3月は、足の手術で入院していました。
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子供の頃から、私は誕生日を祝ってもらったことはありません。
生まれた事をずっと否定され続けていたので、祝ってもらえるはずもなくて。
毒母に
「その名前は、お父さん(毒父)も私(毒母)も名前も顔も知らない、親戚の知り合いがつけたのよ!そんな名前見たくもない!!」
と、事あるごとに怒りを、憎しみをぶつけられて生きてきました。
責任転嫁ではありませんが、私の性格が捻じ曲がっているのは、生まれ育った環境の影響が大きいのです。
だから自分の誕生日も名前も嫌いでしたし、今も大嫌いです。
そして自分自身も嫌い。
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昨年の今日、2022年6月30日に“亜全胃温存膵頭十二指腸切除術”を受けました。
突然決まったこの手術に向かって 日々追われている時に、毒母が大きなな障害になりました。
毒母のせいで時間的に精神的に私は追い詰められ、絶縁宣言をして縁を切りました。
私はこの手術によって生まれ変わったと思いたい。
この日を誕生日に決めました。
誰も祝ってくれなくていいんです。
マイナンバーカードも、運転免許証も誕生日は戸籍上の日。
病院で生年月日を聞かれると、戸籍上の生年月日を答えます。
だから、“正式な誕生日” は変わりません。
結局は逃れられないのだとしても、側から見て何も変わらなくても、ずっとずっと捨てたいと思っていたものを、消してしまいたいものを、“自分で排除する” ということは私にとって意味ある大きなことなのです。
ケーキもプレゼントもないけれど、満足度はとても高い。
自己満足だけど、私が満足してるんだからそれでいい。
でも私の思いを覚えていてくれて、おめでとうと言ってもらえてとても嬉しかったです。
誕生日に「おめでとう」と言われて嬉しかったのは、今日が生まれて初めて。
“普通の”と言うと語弊があるかもしれないけれど、これが普通の人の感覚なのかなと思いました。
素敵なプレゼントをありがとう。