何故、生きたいか。
正直言って、膵臓がんに罹患するまで考えた事はありませんでした。
子供も孫もいないし、親は毒親で現在は接触を絶っているし、DV夫(元)から逃げた時に物だけでなく、居場所等がバレないように断腸の思いで人間関係も全てを捨てたから友達もいない。
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突然ですが。
二代目の男の子(キジトラの保護猫)は、とても甘えん坊でした。
膝の上に乗るし、抱っこも好き。
でも腎臓が悪くなり逝ってしまう数日前から もう食べるどころか、水さえ飲む事も出来ず、それでも何度か液体を吐きました。
ぐったりと横になっていると不安で、つい名前を呼ぶと「にゃぁ」と、か細い声で返事をしてくれました。
撫でられるのが好きだったので、撫でてあげると喜んで尻尾を動かしてくれました。
最期の日は朝から苦しそうに唸っていたので、バスタオルに包んで小さな声で名前を呼びつつ、私は何時間か抱いていました。
そのうち痙攣し始めて、ゴリに「抱いてあげて!」と言って渡したものの、すぐに返されてしまい…。
私は “どんなに好きだったか” “出会えて良かった” “いてくれたから幸せだったよ” と声をかけ続け、名前を呼び続けました。
大きく痙攣して、それが最期になりました。
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治療したものの苦しみの中 死なせてしまった事を悔い、私は寝室に引き篭もり食べる事も出来ずにいました。
今も写真や動画を見られないけれど、私の腕の中で見送れた事、ひとりで逝かせなかった事は良かったと思っています。
それから半年後くらいに、子猫の鳴き声を1日に何度も耳にするようになりました。
当時の私は自分で歩けていたので、ゴミを捨てる為にマンションのゴミ捨て場に行って簡単なロックを解除する “ガチャ” と言う音と同時に、子猫が「にゃぁにゃぁ」鳴きながら、足元に擦り寄って来ました。
触ろうとすると逃げたので、その時はそのまま自宅に戻りました。
その後も子猫の鳴き声はよく耳にして気になっていましたが、マンションの誰かが食べ物をあげていたようです。
(でもお嬢は、人間の食べ物に関心を示さないので、多分食べていなかったと思います)
マンションの人間がお弁当やパンを毎日置いていたので、前はそれほどいなかったカラスがたくさん集まって来る様になり「嫌だなぁ…」と思っていました。
ある日ゴミ捨てに行くと、何羽かのカラスが何かに集まっていました。
よく見るとあの子猫が狙われている!
私は慌てて、必死でカラスを追い払いました。
カラスは子猫を捕獲して食べます。成猫も食べると聞いた事もあります。
私は帰宅したゴリに、「あの子、大丈夫かな」と泣きそうになりながらこの話しをしました。
翌日、ゴリは仕事の帰りにホームセンターで猫用のトイレなど色々と買って来て、「あの子を保護しよう」と言いました。
翌朝、ゴリが買ってきたカリカリを少し袋に入れ、バスタオルを持ってゴミ捨て場に行き、わざと音を立てるとあの子猫が走って来ました。
カリカリを少しあげるとガツガツ食べたので、食べ終わるのと同時にバスタオルをそっとかけて抱き上げ、逃げようと暴れる猫をぎゅっと抱き締めて走って自宅に戻りました。
1日は隠れていましたが、トイレも一度で覚え、カリカリも食べ(ウェットや鰹節は拒否)ました。
その後、病院に連れて行くとお腹に虫がいただけで怪我も病気も無く安心しました。
猫のお嬢を私の腕の中で看取るまでは死にたくない。死ねない。
絶対に私がこの腕の中で看取る。
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抗がん剤の副作用の手足症候群が酷くなり、室内でも杖をついて歩く事にしました。
それでも足の裏に出来ているのだから、すごく痛い。
頭皮は自分で隅々まで確認出来ないので、ゴリに確認してもらったら酷くなっているよう。
手の痺れも強くなり、水ぶくれが増えている…。
脱毛も少しずつ増えていて、頭頂部周辺は頭皮が見えているし、ゴリにスマホで写真を撮ってもらったら赤い水ぶくれや発疹が丸見え。
「それくらいのことで泣き言を言うな」と叱られるかもしれないけれど、私にはとても辛い。
でも「生きたい理由」があるから耐える。
患者さんや、ご家族のブログを読む事が出来ます
私もとても参考にさせていただきました