今日は長い長いくだらない話しです。
「ただのワガママだ」と不快な気持ちになると思いますので、スルーしてください。
11日から始まったゴリの夏季休暇は、昨日で終了。
本日から“日常”が戻って来ました
ゴリはお出かけが大好きで、休みの日は毎日どこかに出かけたい人。
基本的に無計画で、思いつくままの行き当たりばったり
行き先を内緒にしたがるものの、「行ったら“定休日”」はつきものです。
私は足が不自由な事もあり、元々お出かけが苦手です。
以前はゴリに説き伏せられて、あちらこちらに出かけていました。
でも車椅子移動しか出来なくなってからは、車椅子で行ける場所も限られるし、優先マークの駐車場はまず空いていないので車椅子の出し入れは無理だし、何より疲れるので更にお出かけは苦手です
そして今はまだ術後一月半ほどなので身体も辛く、更にお出かけは最低限にしたいと思っています。
【我が家の夏季休暇】
11日→“全粒粉100%食パン”を買いにいつものお店へ、ランチ(外食)、ニトリ、スーパーへ
12日→私の診察の後、隣県の産地市場へ(ランチ&食品買い物)、薬を取りに薬局へ
13日→“台風の影響で自宅で過ごす”はずが、下着が欲しいと言い出して3軒まわる
14日→午前中に説得され、午後から用は無いもののショッピングモールへ
15日→ゴリは趣味の写真撮影の為、早朝に出かけて日付が変わる頃に帰宅
16日→最終日は家でゆっくりするはずが、ホームセンターや100均へ行くと断固譲らない
“エスワンタイホウ”2週目の私は、幸いにも現時点では副作用で脱毛したり、嘔吐したり、下痢に悩まされる事はありません。
食事も自宅で用意したものなら以前の半分くらい、外食なら一人前の半分近くは食べることが出来ます。
なので見た目は「元気そう」なのでしょうが、鳩尾の右の“膵管チューブ”“胆管チューブ”が入っていた辺りは今でも痛む時があるし(規則性無し)、食事はよーーーく噛んで食べないと苦しくなるし、お腹が張ったり痛くなったりするし、飲食後ではないのに息をするようにゲップが止まらない時が多々あるし、倦怠感は酷いし、異常な眠気が辛いし、お臍の上辺りの手術の傷に触れると結構な痛みを感じるし(常に痛くは無い)、便秘で苦しいし(酸化マグネシウム服用中)、便が出ても毎回苦しんでほんの少しずつ一日に何度もになるし…
副作用が重い方からすると大したことがないかも知れないけれど、本人とっては嫌な事や辛い事がキリが無いくらいあります
だから毎日あちこちに、それも夕方まで出かけるのは辛いです。そしてコロナもとても怖い
丁寧に説明しても、“お出かけテンション”が上がっているゴリには通じません
「助手席に乗ってれば着くから」「車椅子に座ってればいいから」
私は洗濯や掃除もしたいし、その後は身体を休めたい。家でゆっくりしたい。お嬢と横になっていたい。
「ひとりで行って欲しい」と言うと「絶対に一緒に行きたい」と譲りません。
結局は、いつも押し切られてしまいます。
車椅子を押してくれる人がいて、出かけられるのはとても有り難く幸せな事です。
でも今回ばかりは耐えられませんでした。
14日は疲れがたまって朝から食事もほとんど食べられなかったので
私「疲れ過ぎて今日はほとんど食べられなかったし、明日は家でゆっくりしたいから、せっかくだけど一人で行ってくれる?」
ゴリ「えー?!一緒に行こうよー。車に乗ってるだけで着くし、2時間かからないよ。美味しいもの食べよう!」
私「今日食べられないのに、明日遠出して食べられるはずないよ。お願い、休ませて。」
ゴリ「そんなに心配しなくても大丈夫だって!」
私「どうして大丈夫って言えるの?私が大丈夫じゃないのに。」
ゴリ「わかった。今はダメでも明日の朝には元気だから行こうよ。」
ここまで反論するとか断るとか、私にとっては余程のことです
これ以上は言葉が出なくて、リビングを出て寝室に行き(22時前)横になったものの、一睡も出来ませんでした。
ゴリは23時に寝室に来て、すぐにイビキをかきはじめました。
翌朝5時前、ゴリは寝たフリをしている私に小さく声を掛けましたが、私はどうしたらいいかわからず、そのまま寝たフリをしました。
こういうところが、自分は本当にダメな人間だと思います
ゴリが朝食を済ませ、出かける支度をしている気配を感じながら、私はベッドで息を潜めていました。
“バタン”とドアを閉めて、“ガチャ”っと鍵を閉める音が聞こえ、私はノロノロと寝室から出てリビングへ。
ソファに座ると「にゃー」と、ちゅ〜るが欲しくて寄って来たお嬢の頭を撫でてキッチンへ行くと、いつもは食べた後の食器はシンクに置いたままなのに、綺麗に片付けられていました。
あんな態度しか取れなかったこと、見送りもしなかったこと、少し後ろめたさはあるものの、正直言って「今日は身体を休められる」とホッとした気持ちが大きかったのが事実です。
この日はゆっくりと過ごし、少し食事もとれました。
いつも一人で出かける時は、LINEで何かと連絡してくるゴリですが、この日は連絡はありませんでした。
帰宅時間が分からなかったのもあり、日付けが変わる頃に帰宅したゴリを迎える事も無く、私は23時には寝室に逃げ込んでいました
「私は誰とも一緒に居られないのかも」などとネガティブ全開の中、1時頃に寝室に来ていつものようにすぐにイビキをかき始めたゴリを羨ましく思いつつ、私はまた朝まで長い時間を遣り過ごしました。
翌朝、5時過ぎにリビングに行きボーっとしていると、6時半にゴリが起きて来て何事も無かったように「おはよ」と言ったので「おはよう」と答えて朝食の支度を始めました。
でも顔を見る事が出来なくて、何を話していいかわからなくて、ゴリもやっぱりいつもと違うし、ビミョーな空気
ゴリはとても優しいひとです。
発言も行動もゴリとしては“相手の事を思って”なのです。
そして私は、自分が置かれている環境、状況が、とてもありがたいと分かっています。
でも何もかも従っていられないし、自分を守らなくちゃいけない。
その“やり方”が下手というか、こんな歳になっても上手くいく方法がわからない…
子供の頃から感情を表現する事も、自由に発言をする事も許されなかったので、私はそう言う事が苦手です。
虐待による痛みで泣くと更に痛めつけられるので、押し入れに隠れて声を殺して泣くしかありませんでした。泣いた事がバレるとまた痛めつけられるので、泣くのは短時間だけ。
今でもよく泣きますが、ひとりでタオルに顔を埋めて声を殺して泣く事しか出来ません。
「自分は色々なものが欠落しているな」と、いつも思います
残り少ない人生だから、もう少しだけでもまともな人になりたい。
最後まで読んで下さった方、くだらない話しでごめんなさい。
私は日記を書いた事も無いので、こう言う事は今まで“自分の中”に置いておくしか出来ませんでした。
実は、7月末くらいにここでブログを作りました。
ブログの名前も今と違うし、家族の事もまだ書いてなくて、ただプロフに「膵臓がんでステージ2b」と書いただけで投稿も一つもしていませんでした。
何もわからなくて(今もわかっていない)、コメントやメッセージを受け付ける設定だったので、思い出したくも無い言葉を浴びせられました。
ただ怖くて怖くて、そのままブログは削除しました。
それなのにまた懲りもせずに始めたのは、他の方の多くのブログに救われた事と、何よりも「残したかった」からです。
でもやっぱり怖くてコメントは受け付けられません。
私はダメな人間なので、また愚痴を書いたり、いいこともそうでないことも、病気の事以外に色々と書くと思います。
冒頭で「スルーしてください」と書きますので、お許しください。