この世の中では親友でさえ、あなたを裏切り、敵となる事がある。
愛情をかけて育てた我が子も深い親の愛を
すっかり忘れてしまうかもしれない。
あなたが心から信頼してる最も身近な愛する人も
その忠節を 翻すかもしれない。


富はいつか失われるかもしれない。
最も必要とする時に、あなたの手にあるとは限らない。
名声はたった一つの思慮に欠けた行為によって
瞬時に地に堕ちてしまうこともあるでしょう。


成功に輝いてるときは、ひざまずいて敬ってくれたものが
失敗の暗雲があなたの頭上をくもらせた途端に
豹変し、悪意の石つぶてを投げつけるかもしれない。


こんな利己的な世の中で決して裏切らない恩知らずでも不誠実でもない
絶対不変の唯一の友はあなたの犬なのです。


あなたの犬は、富める時も貧しき時も健やかなる時も病める時も
常にあなたを助ける。
冷たい風が吹きつけ、雪が激しく降る時も
主人のそばならば冷たい土の上で眠るだろう。
与えるべき食物が何一つなくても、手を差し伸べれば
キスしてくれ世間の荒波にもまれた傷や痛手を優しく舐めてくれるだろう。
犬は貧しい民の眠りを、まるで王子の眠りのごとく守ってくれる。


友が一人残らずあなたを見捨て立ち去っても、犬は見捨てはしない。
富を失い名誉が地に堕ちても、犬はあたかも日々天空を旅する
太陽のごとく、変わることなくあなたを愛する。


たとえ運命の力で友も住む家もない地の果てへ追いやられても
忠実な犬は共にある事以外何も望まず、あなたを危険から守り敵と戦う。
すべての終わりがきて、死があなたを抱き取り骸が冷たい土の下に葬られる時
人々が立ち去った墓の傍らには、前脚の間に頭を垂れた気高い犬がいる。
その目は悲しみにくもりながらも、油断なく辺りを見まわし
死者に対してさえも、忠実さと真実に満ちているのです。


※19世紀、アメリカ合衆国ミズーリ州で起きた、ある犬の射殺事件をめぐる裁判において、
上院議員ジョージ・ベストが行った弁護論の一部。

いなくなってしまったあの人、あのコにできることならもう1度会いたい。



って、よく言いますよね。

映画なんかでもあったり。。。





でも私は、大切な人やペットほど、亡くなってしまったら会いたくない。




だって、もし会えてしまったら、それは成仏できていない証拠だから。





私にとっては、全然嬉しくない能力ですが、視えてしまう。。



だからこそ私は、会いたくない。









よくあるお話と違って、現実は、亡くなった後に最後に1度だけのお別れの為に現れてくれるなんて事はほとんどないんです。


大抵、そのまま成仏せず彷徨ってます。





それを守護霊と呼ぶ人もいるかもしれません。






でも、そんな事は私は望めない。

だったら、次に新たな命として生まれ変わる準備をしてほしい。




そして、幸せになってほしい。。


私なんかのためにココにとどまらないで、未来へ進んでほしい。





あなたが私を想ってくれてるように


私もあなたの幸せを願ってるから。

安楽死と尊厳死、どちらも正しいことなのか正しくないことなのか私にはわかりません。



ただ、安楽死や尊厳死、賢明な治療、どれを選択したとしても結局は後悔してしまうのは、わかります。




大切なペットが治る見込みのない病で苦しんでいる。


そんな場面に直面して、冷静でなんていられません。



でも動物の場合、重い病が発覚してから、死に至るまでの期間が約1ヶ月~2ヶ月と非常に短期間です。




心の準備をする時間もなければ、冷静な判断を下すだけの時間もありません。



ただ、すごくすごく苦しんでいるのは、わかる。

そこで、安楽死や尊厳死、奇跡を願う回復のための治療という選択肢が出てきます。






まず、ここでその選択肢の内容についてですが、


1、安楽死:薬剤などを用いて安らかな死を迎えさせること。


2、尊厳死:死期を延ばすための治療は行わず自然死に任せること。


3、治療


となります。




もしかしたら、上記を見て、

安楽死、尊厳死はひどいことのように思えるかもしれません。




でも、本当は


安楽死とは、『苦痛を取るための最後の治療』で、


尊厳死は、『むやみに延命を続けるのではなく、自然死に近い死=尊厳のある死』


のことなんです。




どちらも苦痛を緩和させる治療は行います。




つまり、これら行為も治療と同様に



とても愛情があるからこそできることなんです。




その子のための最善の方法を必死に考えたけど、

でもその決断が本当に正しいのかわからなくなってしまう。



「あの時の決断は正しかったのか?」


と苦しんでしまうんです。




でも1つだけ言えるのは、

その決断は、精一杯の愛情からきたものであることは、間違いありません。



そして、もし自分が“その子”の立場で、大切な人が一所懸命、自分の事を考えて決めてくれたことなら、どんな結果であろうと


「ありがとう」


と思ってくれると、

勝手ながら私は、思っています。