ぴよちゃんを病院にのこし、
私だけが退院になりました。

術日から5日目(本当は6日目に退院予定)でした。
ぴよ兄が1ヶ月私と離れ、精神的に限界との連絡があり急いでチューブを外し痛みをこらえて無理やり歩きやっとこさ
1日前倒し退院の許可がおりました!

それでも、退院の日は歩くとふらつき
私の両親に迎えに来てもらいましたが正直無理して元気なふりをしていました。

前回のお話にもありましたが、
私の退院の手続きが終わると小児科の先生から急遽話があると言われました。

ご主人も呼んでください。と言われましたが、
仕事中だしいきなり言われても無理なので、代わりに私の両親に同席してもらいました。

先生方も10人ほど集まって個室で説明が始まりました。
内容は、遺伝子検査をしたい、そこにはいろんなリスクがあるということでした。
リスクとは、色々分かってしまうがゆえの受け止める側のリスクです。

話を聞いて、即決で検査を依頼し同意書にサインしました。

ぴよちゃんの病気の症状や、もしこの病気だったら治療方法がない等、現実を改めて受け止めるのが正直辛かったです。

涙もでないまま車に乗りボーッとしていました。
帰り道、母に『明日から面会に行くのに用意できてる?出来ることをとにかくやっていこう!』と、言われてこれから必要なものを揃えるため西●屋に寄りました。

すると、私の携帯に義母から着信
『今どこにおんの?退院したんやったら私に一番に挨拶に来るのが普通ちゃいますか?私1ヶ月も自宅あけてたんよ常識ないんとちゃう』
とその他にも色々いきなり怒鳴られました。

『急遽ぴよちゃんの事で先生から説明があり、退院したあと病院出るのに時間がかかりました。今すぐ行きます。』と伝えて自宅に向かいました。

※義母には緊急入院の翌日より旦那とぴよ兄の食事等の面倒をみてもらっていました。
途中何度も私からも私の母からもご自宅にもどってもらって身体休めてくださいとお伝えするも『主人(義父)の顔を見たくない。主人がいたら昼寝すらできないから、ここ(私の自宅)にいる方が昼寝もできていい』と言われてました。

自宅(私の)に到着するなり、私の両親と私を並んで座らせ、怒鳴りだしました。
まずは、ぴよちゃんの病気の説明をさせてくださいと父(私の)が言い、10分弱私の代わりに話してくれましたが、義母は理解できてない様子で『そうですか。』で終わり、すごい勢いで私の子育てについて批判をはじめました。

①ぴよ兄のために点滴止めて1日でも早く帰ってきなさい。
②ぴよ兄がお漏らししたパンツを見て『汚い』と言ったのは、私が普段から汚いと言ってるから。
③ビデオ通話していてもあなた(私)に興味を示さないのは、普段から話を聞いてあげてないからでしょ! 等々
※ぴよ兄は誰に対してもビデオ通話はあまり興味なくはじめの5分程度で飽きてしまいます。3歳なのでそんなもんかと、、


色々言い出して止まらないので、父が止めました。
すると、義母は父(私の)に対しても怒鳴り出しました。。

体力的にも限界だったので私からは何も話しませんでしたが、帰り際に1ヶ月間の感謝を伝えました。
しかし、目も合わせず『思ってもないくせに』と言って帰っていかれました。

この時、私は義母の言動に凄く悲しくなりました。
主人は長男、その息子でぴよ兄は大事だが、私やぴよちゃんはどうでもいいのだと。。
点滴を止めたら私たち2人の命はなかったのに。
子供を健康に産めなかった事がそんなにいけないことなのかと落ち込みました。
義母の立場から見たら私は不良品の女で被害者は義母や主人なんだと言う思いが伝わってきましたがその通りだとその時思いました。

その夜、私の実家にぴよ兄と共に移動し、主人も駆けつけてくれました。
そして、起こった出来事を父から説明しましたが、主人には
理解してもらえず私の両親と主人の間にも亀裂が入りました。

後日、主人も義母との生活がストレスで疲れきっていたと言われました。
義母は恐らく認知症が出てきており、主人の兄弟から以前に相談があったものの私も主人も軽く考えていました。
そして、本人(義母)が自覚しておらず主人もそれを伝える勇気がないと言われました。

主人の弱さを目の当たりにしてしまい、自分が強くなりぴよちゃんやぴよ兄を守っていかないといけないと改めて決意しました。

あ、でも違うんです。誤解のないよう補足ですが、
主人も私と同じく辛い状況で、それでも主人なりに慣れない育児や私への気遣いをしてくれて、本当に頑張ってくれてます。今も…

そんな主人とは改めて互いの弱さを認めて支え合って頑張ろう!と愛を再確認できました。
主人との関係が結婚前より良くなり、これはぴよちゃんのおかげだと感謝しています!