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仕事を終えて疲れ切った彼が
玄関先で「籍入れるか」と言って間もなく
同じ名字になり幸せに浸っていたのですが。
つい数日前父親から突然メールが届きました。
「大事な話があるから今夜電話していい?」
という文で私は何となく察してしまいました。
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予定より早めの夕方頃に電話がかかってきて
「落ち着いて聞いて欲しいんだ」と言い
続けて「癌が再発した」と告白されました。
悪性リンパ腫、ステージⅣということでした。
6年ほど前に悪性リンパ腫になっていて
その時には闘病の末、奇跡的に命が助かりました。
家族全員で喜んでいたあの後すぐに、
体の中で少しずつ大きくなっていた様です。
私は気持ちは冷静であったはずなのに、
涙が止まりませんでした。
本当に苦しいのは父親であるはずなのに、
父親は電話越しで慰めてくれました。
父親は病気を治すと意気込んでくれていましたが
「こっちに帰ってきて欲しい」と、
いつもは人にお願いはしないのに、
泣きそうな声で私に頼んできました。
父親は昔からプライドが高く滅多に弱音は吐かず
娘の私にも何かを頼むことはありませんでした。
でも今回は、旦那と一緒に帰ってきて欲しい、と
何度も何度も私に訴えていました。
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すぐに決断ができなかった私は
彼と話し合ってみるねと伝えて電話を切りました。
その後すぐに旦那に状況を伝えました。
実はというと今現在住んでいる場所は
彼がずっと住みたいと言っていた場所で
お仕事場の人もいい人なので
私自身も彼の幸せの為に離れ難いんです。
彼のその時には頭を抱えていました。
ですが父親が入院する日に合わせて
休みをとってその時に話をしてくれるという事で
義母のほうにも話をしてくれていました。
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ただ少しして義母の方から彼に電話が。
隣にいた私に会話は筒抜けでした。
「あなたがそこまでする必要があるん?」
という衝撃的なものでした。
私は勝手に地元に帰ることを歓迎してくれると
思い込んでいたので頭の中が真っ白になりました。
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それからの事はあまりよく覚えていませんが
彼と何度か話し合い、
「俺とあんたの父親は家族になったんだから
    あんたのしたいように悔いが残らない決断をして。
    あんたが地元に帰る、それに着いてきて欲しい、
    そういえば俺は着いていくよ」と言ってくれ、
私にたくさんの時間をくれました。
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私の家庭は少し複雑です。
幼稚園に入る前に私は父と2人になりました。
母親がいない環境ではありましたが
そんな時間を少しも寂しいと感じさせない程
父親は私の傍にずっといてくれました。
幼稚園の時には近くの横断歩道まで送り届けて
手作りの弁当を渡し道路を渡り終えるまで
手を振ってくれていました、それも毎日です。
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ただ養っていくのにもお金がかかる為、
父親はできるだけ稼げる仕事を転々としました。
夜勤がある仕事に変わった時には
私一人でも平気なように料理を教えてくれました。
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私が小学校で熱を出した時には
運搬の仕事でしたがすぐに迎えに来てくれました。
その時にすぐに駆けつけられない仕事なんて
私の為にならないと転職をしました。
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思春期に入った頃、私は友達と遊ぶ事が増え
父親が一人の時間が増えていました。
それでも父親は1人で出歩くことは無く
一緒に楽しく過ごしてくれました。
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ある日突然私が家に帰ると女性がいて、
私は慌てて家を出ましたが、
一時して家に帰るとその人はいませんでした。
ただいつもより多く食器が洗われていました。
いつの間にか同棲を始めていたその女性と
あまりいい関係にはなれないまま時間は経ち
父親の病気が発覚しました。悪性リンパ腫です。
その時私は反抗期で、その事には無関心でした。
父親の病状を知らぬままなんとなく
病院に顔を出した時に、
父親に優しく接している看護師を見て、
夢がなかった私は看護師になる決意をしました。
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ほぼ治る可能性はないと言われた父親の容態は
みるみる回復をして無事完治をしました。
そしてすぐに私に2人のきょうだいが。
その頃には家族は円満で本当に幸せでした。
私も無事看護師の資格をとり夢が叶いました。
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そしてもう私が家にいる必要は無いなと思い、
家を出て今に至るのですが、
父親の病気の事が発覚し色々な事を思い返して
私は彼と離れ父親が入院している期間だけ
地元に帰ることにしました。家族の為です。
ただ彼の仕事の事もあり彼のご両親は、
私が家族の近くに引っ越したいという意見には
反対のようなので説得をして、
その次の日に父親のお見舞いに2人で行く予定です。
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どんな結果になったとしても、
悔いが残らないように行動しろと
旦那が背中を押してくれたので、
今日から大切なものの為に頑張っていきます。
これから経過となんの変哲もない日常の事も
書いていきますので見守って下さると嬉しいです。
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