たかが言葉、されど言葉。言葉の大切さをこの数ヶ月身にしみて感じる。研究計画書でそれほど意図せずに書いた言葉でボコボコに叩かれる姿や経験がこのところ多い。言葉の意味、背景などを理解した上で一語一語説いていく様はロッククライミングのようなスリリングさとモロさと、そして自体の進行の遅さを感じる。



ともあれ、僕は小さいころから言葉というものにかなりいじめられてきた。話すことが上手では決してない。この数年でようやく事前に考えたことや、自分の得意な分野のことはしっかりと議論できるようになったが、そうでないようなネタの議論では言いたいことがしっかりと言えない歯がゆさをいつも感じる。



頭の中で5人ぐらいが一つの事象について議論し、意見し、頭の中では整理ができているのだが、なかなか人に説明することができない。頭の中でその5人が一斉に一つのマイクを取り合って話をするような感じになる。言いたいことの3割も伝わらない。人のコミュニケーションにおいて口語の伝達比率は3割だと考えると1割も満たないぐらいの伝達力しかないことになる。非常に非効率極まりない。だから、こういう人種はノンバーバルでどう伝えるかが肝となってくる。不言実行あるのみである。



また、人によっても話しができるできないが変わってくる(ほぼ主観なので、相手はそうは感じていないかもしれないが)話方が極端に下手になるのがだいたいの傾向である。それでも話を聞いてくれる人がいるとすごくうれしい


ちなみに、以前書いたブログで携帯界のビックな人の件ですが、ニュースに流れていたのでオープンにするとDOCOMOの前執行役員でi-modeの立役者である夏野さんです。うちの教授がDOCOMO辞めるのを聞いて誘ったらしいです。こんな人にいろいろ突っ込まれるのは猪木に闘魂注入されるぐらいいたうれしいものはないです。まだ、本格的にうちの研究室に来ているわけではないけど、夏以降が楽しみ。
「僕の彼女はサイボーグ」をとりあえず見に行きたい。。ひさしぶりに授業をサボって見にいきたい。。。誰も一緒に行く人がいなさそうなので一人で行ってきます。っと書いておくと誰か反応するかと毎回思うのだが、こちらの思惑通りに行かないのが常である。


僕の中で一番古い友人は代々とび職をやっている家で彼も鳶職人であるのだが、昨日、彼の家にお邪魔しに行ったらはしご技のけいこをやっていた。6m30㎝の高さのはしごのうえで数々の技を行なう姿は粋である。彼らの賃金レベルは決して高いとはいえないが、仕事に誇りを持ち、文化を持ち、地域に貢献する姿は尊敬に値する。


やはり、誇りを持てる職業でなくてはと改めて思う。
I wish I were bird.


「もし私が鳥だったら、こんな現実世界から飛び出してやるのに」と昔意訳して先生にほめられたことがあります。まぁ、そうでなくてもドラえもんではないけど、「私の○○がもう少し××なら・・・」ってことはよく考えることだろう。最近やっていたCMで「私の鼻がもう少し高かったら」とかいろいろな女の子の「私の○○がもう少し××なら・・・」を集めた大塚美容外科のCMがあったな。確かにドラえもんよりも大塚美容外科の方がよりよい提案をしてくれるだろうな、。



久しぶりに研究室にお泊りです。昨日は担当の授業が21時に終わって、今日は9時から授業で発表のため帰るのがめんどくさいので居残っています。俗にうちの学校では残留といいます。台風の影響で外は雨と風の大合唱となっております。研究室にはソファーがあって、それをベッド代わりに寝たのですが、微妙に小さい。「うちの研究室のソファーがもう20センチ長かったら頭と腰が乗っけられるのに・・・」と思うわけです。



学部3年の時に残留したときに比べればはるかに楽な残留ですがね。あの時は12月ぐらいで外は雨。モノ作りの授業の最終発表のために残留したのですが、学事の御バカさんが冬で雨が降っているのに暖房を切りやがって、それはもう凍死しかねないほど凍えた覚えがあります。あの時に食べたカップヌードル(シーフード)は神の味だったな。。
うちの○領教授からいただいたお言葉です。まぁ、なんでそんな話になったかというと、昨日、今日と研究室の合宿に行ってきたわけです。前にも書いたが研究において選択と集中が重要で一つのことしか選べないわけです。なおかつ、愛がないといけないし、一途でないといけないとか、Boys be・・よろしくな感じなのが、うちらの研究です。


それ以外にもいろいろと学びがあったのだが、そのうち書くことにする。それとまだオープンになっていないですが、この夏から携帯業界の超ビックな人がうちの研究室に招聘教授として入ってくることになり合宿にも参加してくれました。僕の発表はばっさり皆様切られてました。。





M2の方々を見てこの1年気をつけなければならないことにやることを1つだけ決めるということである。これが思いのほか大変な意思決定が伴う。いろいろなことを知れば知るほど発想などは膨らむし、できることの選択肢も多くなる。しかし、修士という有限の時間の中でできることは一つだけであることを知っておかなくてはならない。特にうちの場合は教授がやっている研究をみんなでやるタイプでないので自由なだけに本人の意思決定力が試される。



僕自身はというと1年というリードタイムがあったこともあり、修士論文を書くためのリサーチクエスチョンはだいたいの方向で決まっていたりしている。しかし、昨日は思わぬ大きなチャンスがあった。しばらくは内容に関しては書けないが修士論文の方向性がかなりグラつくぐらいのチャンスである。おって進展があれば書いていきたいと思うが、うまくいったら非常にうれしい反面、折角、意思決定した事を覆すことになる。



さて、もうすでに5月の半ば、、くしゃみをすればすぐにでも夏になってしまうような気がする。今年の夏はどうなるのだろうかと毎年のようにあぐねる。今のところ家族で1泊2日で伊豆に旅行に行くという定番コースは決まっている。それ以外にも海に行きたいし、今年こそは花火を見に行きたい。しかし、ここで問題なのは時間でもお金でもなく、行く相手がいないということである。

月曜日と木曜日は遅くまで大学にいることになっていて、帰りの電車は寝ることが多い。最近は友人からもらったモンスターハンターをやっていたりするので起きていることが多い。一昨日はとなりに新入社員が2人ほど座っていて世間話を横耳で聞いていた。



新入社員A 「おれ独り暮らし始めたから飯ツクルのがめんどくさい。Bは実家でいいよな」

新入社員B 「実家って行っても小さい頃から母親いないし、かわりねーよ」

新入社員A 「それはすまんこと言ってしまったな」

新入社員B 「死んだわけじゃないからね~。ただ、精神病で6歳の頃にリストカットしてそのまま病院おくりになったけだから」

新入社員A 「・・・・・・・・・・・・・・」



死んでるよりつらくないっすかね。。


昨日は1年ぶりに会う面々と食事→ボーリング→ビリヤード→カラオケ→クラブ?と最後だけガラに合わない所に行ってきたけど、全体的に非常に楽しかった。クラブなんて、間違っても一人や友達(行く友達もいないが)ともいかないからな。。まぁ、テンションが高かったせいか帰ってきてからジョギングをしたのだが、さすがに帰ってシャワー浴びたら落ちました。。


友人のサイトにてやっていたので試しにやってみました。

一位 皆藤愛子
二位 井上真央
三位 愛内里奈

皆藤愛子に関しては寒くて布団から出たくない冬の朝に「もう少し寝たいな」と思いつつもテレビを見ると皆藤愛子が出てて「あいこのあいことば」とかやってて、「皆藤愛子だって朝早くからがんばってるんだから、僕もがんばらなくっちゃ★」とかいう朝からイタイタしい起き方をしているので、むろん、一位であるのは大当たりである。井上真央も二位に置くかは知らないが、まぁ、あっていると言ってもいいだろう。しかし、愛内里奈は謎だな。


そんなことはともかく、今日クラブに行って思ったのはクラブの常連みたいな子とは付き合えないなと思ってしまうわけです(もちろん、向こうもまたしかりでしょうが)非常に育ちがよくて、ちょっと天然かかってて、髪は真っ黒とは言わないが、黒めで、ナチュラルメイクが好みである。


っと思うようにしていたが実はそれほど重要なことでない。むしろ本当に望んでいることの本質から考えればどうでもいいことである。僕が人に求める本質はレミオロメンから引用するならば1億人の中からさらに仮面をかぶって隠れている自分の正体を見つけ出してくれるような存在がいて欲しいということである。ある種の自己催眠に近い形で作られた自分ではどうしもないようなメンタルブロックを壊してくれる誰かであり、それに対して救いの手を差し伸べてくれる人が欲しいわけである。


今日は非常に暑い日である。明日提出の課題を今日出されることさえなければ、リンリンなき上野動物園にでも行って、美術館にでも行きたい気分であった。大学院もようやくなれてきた。大学を通い始めて5年目(うち一年ニート)にして学生らしいキャンパスライフを今になって送っている。


大学院は学生の人数が少ないので授業では教授や他の学生と議論が活発&課題がやや重めである。少ないからこそ友達もできやすい。また、研究室があるので学生がたむろしやすいので授業以外でも議論する場がある。現時点で大学院で何しているかというと学生の頃にやっていたケースメソッドを勉強している。一応、本研究はあるがうちの研究室はケースがメインなので夏までにビジネススクールでも通じるケース教材を作成することになりそう。


それはさておき、今日改めて心がけないといけないと思うことを書き留めることにする。数年前から心がけていることとして、自分が今の友人関係や、友人に対する考え方というのは、自分が友人に対して思われていることだと思うようにしている。「まったく、つかえねーやつらばかりだ」と思えば、周りから自分はそう思われているし、「すごく感謝している」と思えば相手にも感謝されているのだと思う(こっちの方は思いたいだけですが)


「情けは人のためならず」や「因果応報」とか、「他人の振り見て我が振りなおせ」ではないが、自分自身を考え直す機会を作るようにしようと改めて今日思いました。
過ぎたるは、なお及ばざるが如し」とあるが、今回の長野での聖火リレーは「過ぎたるは及ばざるよりタチが悪い」であると思う。正直、昨日はテレビを見ていて非常に気分がよろしくなかった。まさに見苦しいという言葉が当てはまる。チベット問題などに関してチベット、中国政府ともに国際世論に訴えかけたいのはよくわかる。世界的に見ても非常に重要な問題であるのは間違いない。


しかし、そろそろ度が過ぎるのではないか。世界各国で聖火リレーの妨害工作をしたりしているのを見て、最初は応援していたのだが、だんだん同情の念がなくなってきた。最近は中国人とチベット人が世界中荒らしまわっているようにしか見えない。人権問題以上に中国人、チベット人の民度が非常に低いように思えてくる。例えるなら、お隣さんの子供と親が自分の家に来て、子供と親が児童虐待に関してケンカしているようである。家に帰ってやれといいたい。


長野のでも参加した中国人とチベット人は早々に国外追放して欲しいと思う。そうでないと、折角日本で一所懸命に働くすばらしい中国やチベットの方々の顔に泥を塗ることになると思う。