「抱負」とするところなのだが、「負を抱える」というのが宜しくない気がしたので、あえて「豊富」としました。

さて、「豊富」というものは年始の最初に言う大法螺だと思うので、ここはあえて大法螺を書こうかと思います。

・宇宙人との交信
  ・宇宙人を交えたスベらない話をおこなう
  ・スカイツリーをスペースポートとする
・江戸川埋蔵金の発掘
  ・糸井重里を代わりに埋める
・グランドラインの制覇
  ・海賊王は俺はなる!
  ・やっぱりグラグラの実かな?
・第1次林内閣の発足
  ・日本武道館で各大臣をじゃんけん大会できめる
  ・対北朝鮮対策として、日本海側にガンダム100機を配置
  ・阿蘇山の中腹を空けて、マグマ熱発電所を作る。
  ・戦艦大和をサルベージして、北方領土の真ん中に世界一のカジノを作る
  ・各農家を株式会社化し、アジア諸国の土地を買占め、それぞれの農業技術を輸出する。「日本ブランド」の農業ブランドを構築する。安い労働賃金と豊富 な土壌があれば現状の日本の農作物よりも良い農作物を作れるはず。その上で海外マーケットに売った方が国際競争力がある気がする。
  

まぁ、こんなものです。小さい男ですみません。
mixiを一旦退会して3ヶ月。すぐ復帰して、見つけ出してくれた人か、リアルで付き合う人のみをマイミクにしている。思いの外、現代において、携帯のメモリーを消すのと、SNSのアカウントを消すことは、友人を亡くすには十分らしい。ドラマの電車男で、板の住人の一人が「緒戦は俺らはケーブル一本でつながっているだけだよな」と言っているシーンがあったのだが、もはや無線のつながりしかないようだ。


前と変わったこととして、日記を書く回数がめっきりなくなった。理由としては、誰も反応しないことに嫌気がさした(まぁ、反応しづらいと言う話もあるけど)わけだが、やはり、情報を発信する、明文化することは重要だと最近になって気付いた。


っということで、このブログで書き始めます。
倖田來未もカバーアルバムを出し、にわかにカバーづいている。良い曲自体が出ていないのだろう。男性歌手では徳永秀明が専売特許の如く、その地位を確立しているけど、女性歌手はJUJUになるのは間違いなさそうだ。ソニーのCMで流れるJUJUがカバーしたマイラバの「Hello Again」が秀逸。


ちょうど私が歌謡曲なるものの存在を知ったのが、小学校高学年頃にヒットしたこの曲はインパクトもあるし、思い出もある。だからかもしれないが、聞くたびにあの頃の感覚が蘇る。かなりバイアスが掛かっているが、あの頃は名曲が多い。


さて、羽田空港の国際ターミナルがオープンした。19都市との直通とのこと。思い入れはかなりある。もう、6年前のことになる。KING2004のケースに取り上げたのがまさに羽田空港国際ターミナル内のビジネスであるからだ。


平成20年になると国内、国際便それぞれの国内空港のキャパシティーを超えるとよそされており、成田だけでは日本の玄関口は狭すぎるとの予測がされていた。さらに、国策として観光誘致を積極的に行い、ビジットジャパンキャンペーンと銘打って年間1000万人の訪日外国人を招く施策がでていた。社会的な背景としてはそのようなところであった。


もう片方で、KINGという一ビジネスコンテストの体をした教育プログラムをやるにおいて、「大学生」というこれから社会に出る、これからの社会を担う人間が考えるべきはなんであるかを考えていた。また、この時、個人的背景として、同輩がOVALという国際ビジネスコンテストを立ち上げようとしていたこともあり、「国内(KING)にいようが、海外(OVAL)であろうが、どちらにしても日本人以外と接せなくてはならない。その時、真の国際人になる必要がある」と言う考えがあった。


「国際人とは何か?」と考えた時に僕は語学ができることではなく、自分の生まれた国のことを語れる人間であることのほうが重要だと信じていた。その思考から、「社会に出る前に、もう一度『日本』を再認識してもらおう」と言う想いがあり、確実に訪日外国人がいる場所で訪日外国人向けに日本をPRするようなビジネスプランを考えるものにした。


そんな自分で言うのもなんだがアツい想いがあったわけで、11月の半ばにこの羽田空港を見に行こうと思う。そうしたら、6年前の自分が思い描いていたものが現実となって会える気がする。



すでに季節も10月となりまして、10月とは不思議なもので、まだ2ヶ月もあるのにすでに気分は年末モードになってしまうわけです。そんな季節と相成りましたが、私はと言えばあいも変わらず、ふわふわした状態でおります。就職活動もして、いくつかお声がけももらったのですが、まだ定職には着いておりません。


そんな私ですが、一つ変わったことといえば、実家を離れて一人暮らしをはじめます。安定収入がない状態ではありませんが、実家暮らしに限界を感じてきたわけです。っとはいえ、実家に程近い飯田橋の近く(江戸川橋あたりですが)にコストパフォーマンスの良い物件があったので、そこでとりあえず生活を始めます。


先日、ツイッターを見ていたら、ある友人のツイットに目が行った内容を要約すると「ある友人に注意され、目が醒めた」とのこと。たぶん、彼の周りの多くの人が過去に彼に対して同じ事を言っていたんではないかと思う。ただ、彼には届かなかった。同じ言葉であってもAさんの言葉とBさんの言葉では「重み」が違ってくる。


言葉というのはベクトルを持っているものだと思うわけです。同じ強さの同じ性質の言葉であっても、そのベクトルの方向性が違っていたら相手に作用しない。それが分かっていたからこそ、僕はたぶん分かっていても言えなかったのだろうと思う。


気付かせてくれる「誰か」がいるって事はすごく重要だと思うわけです。
ここ最近、総務省を中心にNTTvs他の通信業者という構図で、光回線を全国に敷くまでの話が進んでいる。その時に良く出る単語が「光の道」だ。NTTの 持っている巨大なインフラの権利を別会社に移し、それを通信業者が平等に使う方向に議論しているようである(実のところあまり、よくわかっていないのだ が)


ブロードバンド環境を広げる議論は先端を行っている人には非常に重要であるのはわかっているのだが、一方で使う人のITリテラシーが情報格差をよ り一層広げている現実もある。環境が均一化できてもそれを使用する人の能力が追い付かないと無用の長物である。


10年後ぐらいに調べてほしいのだが、ググれる人とのググれない人の所得格差がどのくらいあるのかが目下の関心どころ。人の記憶なんてたかが知れ ているので、その時にいかに外部記憶を有効活用できる能力を持っているかは重要であると思う。


別段、特に大きな能力差でなくて、意識の差であるはずなんだけど、人のパフォーマンスやアウトプットが相当さがついてくる。これからの世の中が 「知らない」ことで差がでるわけでなく、「知ろうとしない」「知り方を知らない」ことが差を生むのだったら、良い世の中のような気がする。


久しぶりにやや真面目な文章でごめんなさい
先日、9時ごろ地元の友人と地元をうろついていたら、その友人の父親に誘われる形でうちの地元の行政の人と飲むことになった。地域の出張所の所長とかにな る人とかがいていろいろと話を聞くのだが、良い人たちであった。「地域の人たちの率直な意見が聞きたいので色々言ってください」と言われたので、ひさしぶ りにSっ気が出てしまったのだが、お祝いの席だったので言葉を飲み込んだ。


うちの地元の行政は行政専門の先生お墨付きなほど最悪の行政で、学部のころは縁があって、いろいろと行政周りのことをやったことがある。区とかか わりの深いインキュベーションセンターで半年ほど働いていたのだが、その時に、インキュベーションセンターを軸にした神田界隈の街づくりの施策について を、同じ建物の中にある街づくりの財団法に依頼された。


彼らの決まり文句は「いろいろ提案してよ。何でもやるよ」と言われたので、お金ももらっていたので、いろいろ提案するのだが、ことごとく「できな い、やれない、権限がない」のオンパレード。それでも彼らは提案してほしいと言っていたのを思い出す。


結局、一人一人の想いだったり人間性が良い人であっても、組織としては社会に何のアウトプットが出せないばかりか、税金を使うだけ無駄な存在と なってしまっている。まさに、組織憎んで、人を憎まず状態なんだけど、だからと言って、組織を大きく変えるために、犠牲になるのはこの人たちだったりす る。


組織を潰すにしても再生するにしても、組織の再構築前後の関連する人々のライフプランまで視野に入れないと結局のところは彼らが大ダメージを食ら う。そんなのを無視してやってしまうことも選択肢としては正しいと思うし、マクロ的な視点で言えば合理的である。しかし、ミクロの視野で見れば、組織が悪 なだけに、良い人たちが苦しむというのはそれはそれで間違っている気がする。
先日、ボストンのソーシャルアントレプレナーカンファレンスに行った時の雑感をアップします。


どうもこっちに来てからソーシャルという言葉に違和感を感じてならない。全体としてソーシャルはソーシャルイシュウと同意語として使われているらしい。そ のため、ソーシャルデザインとしたときに社会問題に対しての解決策という見方が大半のほうだ。


僕自身のソーシャルデザインの定義としては、「社会をデザインする」という意味で使っている。新しい価値を創造することもソーシャルデザインだと 思うのだが、思うように理解されない。また、かなり行政的な役割をやっていないといけないのも一般的な見方らしい。ニューマーケットを創造するやつもソー シャルデザイナーと言っていいじゃないかと思う。



ソーシャルビジネスとした時に、どこの人もビジネスのメインドメインを一般的な意味でのソーシャルな分野にしがちであるが、そんな事などしても貧 乏人が貧乏人に与えるサービスなどたかが知れいていると思っている。それよりも既存のビックビジネスの中で彼らの役割を作ってあげたほうがよっぽど効果的 だと思う。


手前みそな話なので、書くのがやや恥ずかしいが、誇りと思っているので書くが、どこよりも自分の家の会社は社会起業家的だと思う。うちの会社は紙 の卸売り業をやっていて、会社のビジネスモデルは非常にシンプルで、紙を仕入れて、断裁してお客さんに送る。これ以外にも実際は不動産業があったりする。



これだけ書くとまったくどこにでもある中小企業であるが、うちが違うのは、倉庫においての配送、断裁などの作業を経済的な理由で大学に進学できな かった子たちに、昼間内で働く代わりに、夜間大学に通う仕組みを作っている。もちろん、学費もタダだし、住むところも提供している。(我が家の横が実は寮 になっている)だいたい、卒業するころには100~200万円ぐらいの貯金をして卒業することになっている。


奨学金を得て卒業すると500万円の借金を持って卒業することになる。それを考えると100万円を持っているとやれることの選択肢が広がる。少な くとも心のゆとりが持てる。そのおかげかは知らないけど、卒業生の中には弁護士になった人間もいる。昨今は奨学金を返さないやからもいるらしい。少なくと も彼らには世の中のトップにはなってほしくないし、なるようだったら、全力で奈落の底に落としてやりたいぐらいの腹立たしさを覚える。



このモデルは会社にもメリットがあって、一つはやってもらう仕事というのは基本的に肉体労働系が多い。そのため、若い労働力の循環が必要。二つ目 はリクルーティングが楽。基本的に大学を卒業したら、うちもやめてもらう流れになっている。ただ、いる人秀な人財はリクルーティングしている。何かの資料 で大卒を採用するのにかかる費用が一人あたり600万円らしいので、それを考えると安く、さらには確実に優秀な人を採用できる。 かなり美しい形でビジネスモデルの中にソーシャルな仕組みを入れていると思っている。



こんな感じでビックビジネスをしていないうちでもこんな感じの仕組みを考えて導入しているんだから、MBAとかで大企業のトップになる方々は大企 業の中でこんな仕組みを考えるほうがよっぽど社会のためになると思う。



そういうわけで、社会起業家になりたければ実家を継ぐのが一番らしい。よく安直に「林は実家を継げばいいよね」とかいうけど、上記のことを理解 し、これらをうまく運営する責任を持つ立場になるわけで、ただ継げばいいわけでなく、大将としての役割を負わないといけないわけである。それがどれだけ大 変かつ責任が大きいかまで理解して言っている人間はいないだろう。



僕自身が継ぐかどうかは今のところ言及しない。どうなるかわからんからなぁ~
暇と言うわけではないのだが、暇だ。朝から色々やってきたのだが、PC先生が頑張らないと何もできないので・・・・今までは雑感は【雑感】タグ(っぽい)を付けていたのだが、新たに【社会考察】も作ってみた。


国内の二輪車の生産がピーク時の1割を切っているらしい。自動車産業でさえ国内では喘いでいるこの時世だから、二輪車なんてもっとだろうなと思う。実際に僕自身、車も興味なければ、バイクも興味がない。


その理由は色々あると思う。その一つが移動ツールとして見た時に、バイクって一人しか乗れないし、危ないしで、合理的な移動ツールにはなり得なくなっている。もう1つは、自由の象徴としてのイメージ像がすでにバイクにはない。


公共交通もうもないし、自動車もそれほど普及していない時代においてのバイクは魔法の箒みたいなものだと思うんですよ。その上、仮面ライダーとか があったおかげで、バイク→カッコいいっていうのがあったと思う。その仮面ライダーも電車とかにのっちゃうし、イケメンだし(関係ないか)。もうライダー じゃなくて、仮面イケメンでいいじゃないとか思うわけです。


要は移動合理性も、ブランドとしての価値もなくなってきているのがバイク産業でして、国内に目を向けなければ世界的な需要はまだまだあるのだが(ネパールのカトマンズはほぼ日本の50ccバイクだった)


国内で勝負しようと思うと、移動ツールメーカーとしてのバイク屋さんであるというアイデンティティでは存在していられなくなってきている。そうすると、やめるかアイデンティティを再定義するかしかない。


実はそこで一番立ちまわっているのが、ハーレーダビットソンジャパン。少なくとも一昨年までは23期の増収増益。うちの親父と思っているおっさん がいるんだけど、その人の伝手でこの会社の人と話をしたんだけど、ここはバイクメーカーとしての存在意義をかなり前に捨てている。


ハーレーなんて平均の価格帯が300万円ぐらいなんですよ。軽くそこそこいい車なら買えてしまう価格。その上、超スピードがでるわけじゃないし、エコな感じもない。移動ツールとしてはどうしようもないわけなんだけど。


それに対して彼らは「自分たちは人生を楽しむためのツールを提供するイベント屋」としている。実際に彼らはイベントを年50回(ほぼ毎週)やっている。バイクは人生を楽しむためのツールとしてバイクを売っているわけです。


収益モデルとして「モノを売る」と言うことをしているわけだけど、提供価値の観点が他の同業他社(彼ら自身バイクメーカーとは思っていないから違うのかもしれないが)と大きく違う。


衰退産業においては自分たちが「何屋さん」であることが、社会に貢献できるのか、また、自分たちが生き抜けるかを考える肝になる気がするが、まぁ、大企業のおっさん方じゃその辺は無理だろうな。。


人も企業もそうだけど、自分が「何者」or「何屋さん」かということを定義できないと世に何かを発信することはできない。ベンチャー企業で自分たちが「何屋か」を定義しないでやっている会社で成功しているところをあまり知らない。やっぱり重要なんだと思う。
2009年、僕らは僕らがたむろしている研究室の部屋番号からK-307というグループを作りました。僕らのコンセプトはくだらなさと革新性と核心性を持ち合わせたものを世に示すことを掲げました。



そして、その第1弾が「萌えるゴミぶくろ」。「萌えるゴミぶくろ」と言うくだらなさとその中に寄付の仕組みと地域PRの要素を盛り込みました。



その結果、テレビ局4局、新聞社3紙、主要ポータルサイト5サイトに掲載されました。多くの話題を世に知らしめることができました。いろいろとビジネスとしては反省点は残りましたが・・・・



さて、2010年、僕らは「萌えるゴミぶくろ」に続く、第二弾を発表します。その名は「Magic bubbles」。今回も非常にくだらない。本当にくだらない。だが、面白い!と男子ならば間違いなく、この良さが分かってくれると確信してます。


今回は企画元は僕でなくJK研の学部生です。2月下旬にリリース予定です。ぜひとも、今からI-Phoneもしくはipodtouchを買っておいてください。ではまたご連絡します。ちなみに僕に買ったのを見せてくれた方には返金いたします。


ちなみに僕は才能は無駄遣いすることで醸成され、ネットワークが広がっていくと思っています。僕らのゆるいグループは参加フリーなので、参加したい人はどうぞ。
お久しぶりです。

修論を無事に提出いたしました。評価が怖いです。
久しぶりに長文をmixi日記に書いたので、転載します。ご意見いただけるとありがたいです。


日本のITがグローバル展開できない理由に関して色々前から考えたが、ちょっとまとまったので長くなりますが書きます。かなり検討違いのことも書いていると思いますので、できればご意見をいただけるとありがたいです。


さて、日本のITがグローバルな感じが弱いイメージがあるけど、実際にそうとも言えるし、そうでないとも言える。少なくともGoogleや Amazonとか日本以外でも受けるわかりやすくてでかいITビジネスがないのも事実。しかし、ソニーやらパナソニックやらのグローバル企業があるのも事 実なので、単純にグローバル企業ができない国とも思えない。


そこで前から肌感覚であった日本のITビジネスと海外のITビジネスの違いを勇気をもって明文化する。2つの切り口から話をする。1つはITビジネスをサービスとモノづくりと分けた話、2つ目はそこからとりうる戦略の違いの話。



最初に、ITビジネスと言われるけど、それってなんなの?って話になるけど、ITビジネスをそのまま日本語にすると情報技術商売となる。必ずしも インターネットを主軸にしたビジネスでなく、IBMとかオラクルとかサンとかのようなサーバなどのモノを作っているITビジネスもある。しかし、それらの 企業もICT(information & Communication Technoligy)とか自称していて、やっぱりネットやんって話になってい る。それによりITの誤解を生む温床になっているけど、実質的にインターネットに関連するビジネスが現在においては正しいと思われる。


ちなみにICTの日本語約が情報通信技術としているのだが、日本語約が本当の意味ならば、英訳はSIT(Synchronous Information Technology)もしくはITT(Information Transfer Technology)が良いかと思うし、英訳が本当の意味であるならば日本語は情報意思疎通技術と化の方が正しい気がする。(正しい 気がするがなんかへん)



そんな感じなのでITとインターネットが一般には混同されやすい。その中でITビジネスとした時に、ITモノづくりビジネスとITサービスビジネスの2つに分類できると思う。ITモノづくりビジネスは上記のIBMとか、ITサービスは楽天とかになるのかな。。



ITサービスとITモノづくりの違いはなんなの?と言う話になるが、これもまたややこしくて、ITビジネス、特にインターネット上のビジネスにな るとサービスなのかモノづくりなのかの境界がエラク曖昧になる気がする。ブログを最初に始めたやつはITモノづくり企業であるが、それに続くブログポータ ルサイトはITサービス屋さん。ライブドアはITモノづくり屋さんっぽいけど、アメブロ(CA)はITサービス屋さんの気がする。


ここまで書いて、ITサービスとITモノづくりがほぼ似ているものであるのはわかったけど、それが何?って話になる。しかし、このサービスなのか、モノづくりなのかを認識することが戦略を考える上で重要。


モノづくりというのはかなり暴力的な言い方だけど、その製品、商品が良ければ世の中に価値を提供できるわけです。基本的にその製品ありきでビジネスモデルとかを考えればいいし、相手がメリットを感じられるようにカスタマイズしていけば、世界に出ていけるわけです。


ところが、ITサービスは商品そのものよりもそのサービスが成り立つための環境づくりが重要となってくる。そのために、ITサービスの場合はより深く、より大きく考える必要がある。特に世界に出るとなると、相当考え込まれた環境づくりが重要になる。


これらを踏まえた上で、日本と海外特にシリコンバレーのITビジネスが何が違うのかをかんがえてみると、日本場合、ITビジネス=サービスが主、 シリコンバレーではIT=形なきモノづくりである。このへんは3年前にアントレプレナーのカンファレンスに出てた時に日米のIT起業家のディスカッション を聞いていた時に話がかみ合っていない当たりで感じたこと。営業さんと技術屋さんが話をしている感じでネタが同じなのにプロトコルが会っていない感じがし た。



だからこそ、海外のIT企業はグローバル展開がしやすいわけです。だって、技術ベースだし、さらに目に見えなくて、形がないから限界費用が限りなくゼロ&インターネット上ですぐに流通可能なわけです。



日本の場合はサービスなので同じ戦略ではうまくいかないし、ITバブルの影響のせいか、日本におけるITビジネスしている人のリテラシーの低さの せいか知らないが、ITビジネス→ITサービス→簡単にできるビジネスと言う考えになっている。ITサービスはかなりサービス環境を考え込まんとあかん し、その範囲を広くしたいならばそれ相応に考えないといけない。そもそも国を超えたITサービスと言うのは価値観の違いから本当に難しいことだと思う。そ んなんでITサービスやっているうちはグローバル展開は難しいよね。っていう話です。


結論はモノづくりのキモはグローバリゼーションだけど、サービスのキモはローカライゼーション。それはITでも変わらなくて、だからこそITサービスやっているうちは日本のITビジネスを自称する企業ではグローバル化は難しい。。


これだけ書くと、自分でも書いてて迷子になっているので、すこしずつ後で書きなおします。