小学校に入った1年生の最初の時期は、幼稚園時代と相変わらず、敬遠されてた。

デブで暗くて、そしてある時ワンピースを着ていったときは周りから嘲笑されていた。ひまわりのワンピース。

その時、どういう着こなしで行ったかは覚えてないが、変だったのかもしれない。


そこから徐々に一緒に遊んでくれるお友達もできたが、少しやんちゃ系の子達で、門限があるから帰るというと「は?もう絶交だから」と言ったり、2年生のときに、小学生だけで焚き火をやると言っていて、私は帰ってしまったのだが、後に学校から怒られた彼女たちから、先に帰ったことを恨まれたりした。


3年生のとき、転校生の子がクラスに来た時。

みんなが手を繋いでいたので、私もその子と手を繋いだら思いっきり拒否された記憶がある。

今思うとその子にとっては仲良くしたくないタイプの子からあまりコミュニケーションを取っていない子から急に手を繋がれたのだから、恐怖だったのかもしれない。

私も、人との関わり方がよく分かっていなかった時期だったのだと思うけど、今でもその事実を覚えてるくらいにはショッキングな経験だったのだと思う。


他にもトラブルもあったし、やはりいじめられそうな兆候があったり、いじめっ子男子に目をつけられた友達と一緒にいたらクラスの大半からシカトされるなどの辛い経験もした。


ただ、全く友達がいなくて暗い小学校時代を送っていたわけではなく、楽しいことももちろんあったし、あったからこそ記憶が幼稚園の時より多少はっきりしている。


その状況は間違えなく父親が作ってくれたのだ。



うちの父は大企業に勤め、30代で既に課長にまでなっていた。自信に満ち溢れていたし、社交性もあり、何と言ってもマジック(手品)をアマチュアプロとしてショーができるほどの腕前だった。

特別授業枠で私の学年生徒に向けたマジックショーをしたくらいだ。

そして、そんな父が企画と沢山の食べ物を作ってご馳走してくれる誕生日会を6年間、私達三兄妹全員に開催してくれていた。


この誕生日会にいじめっ子を招待したことで、いじめられることはなかったのだ。

逆に、これがあったのに何度もいじめられそうな兆候が出てきた私は、ある意味相当な問題があるのかもしれない。

多分暗くてオドオドしていてコミニュケーション能力が劣っていたにも関わらず、少し調子に乗ってしまうことがある私は嫌われていたのかもしれない。



また、兄も大きな存在だったとも思う。

兄は2つ離れているが、兄が6年生のときに、生徒会長と近しい役職についており、度々登壇していた。そのことも、私にとっては大きな誇りと安心感に繋がっていた。



ただ。


学校のことをつらつら書いたが、正直辛かったのは家庭の問題なのだ。


家族間に、問題があって、小学生の時から徐々に歪み始めたのだ。