無限の命、、、2 | フォゲットミーノットのブログ

フォゲットミーノットのブログ

ブログの説明を入力します。

〈妙法蓮華経如来寿量品第十六〉より~



仏教においては、様々な仏尊が信仰の対象になっていますが、それらはすべて、永遠無限の「久遠実成の本仏」が現われた権(かり)の姿であります。
ここでは、本仏への「信仰の統一」が説かれています。



(現代語訳)

皆さん、無限の過去から生き続けてきたその間においては、私はたとえば燃燈仏などのことを説きましたし、また、それらの仏がお亡くなりになったことも言いました。


しかしそれらはすべて、皆を教え導くための方便として、そう言っただけなのです。


皆さん、もしある衆生が私の所へやって来た場合には、私は、仏眼をもってその人の信根や他の諸根が鋭いか鈍いか見分け、その人にもっとも相応しいと思える導き方の手段によって、それぞれに違った仏の名前や寿命の長短について説いたり、仏が再びこの世に現われてはまた去るであろうなどとも言ってみたりしました。


また、相手に応じた教え方によって、たいへんに奥深い真理を説いて、よく衆生に大きな喜びを与えもしました。


皆さん、如来とは、多くの衆生がまだ徳が薄く心の垢が多いために、低い教えだけで満足しようとしているのを見ては、その人にも分かるように、私は若くして出家した後に仏の無上の悟りを得たのだと説いてあげたのです。


しかし実際には、私が成仏してより無限の時間を経ているというのは、今お話した通りなのです。


ただ、相手に応じた方法で衆生を教化して仏道に入らせようとして、そのような説き方をしたまでなのです。


皆さん、如来が説く教えというのはすべて、衆生を迷いから救い出すためのものなのです。


ある時には仏の本体について説くこともあれば、ある時には他の姿で現われた場合について説くこともあるし、ある時には仏の姿でこの世に現われることもあれば、ある時には、他の姿で現われることもあるし、ある時には直接的に救いを示すこともあれば、ある時には間接的に救いを示すこともあるのです。


このように様々な教え方をするのですが、それらはすべて真実であって嘘や偽りなどではないのです。


なぜならばそれは、如来ははっきりと三界の本当の相を見通すことができるからです。


すべての変化するものごとは、その奥にある本質においては、消え去ったり現われたりするものではなく、また、この世に存在するとか滅びるとかいうものではないのです。


すべてのものごとは、確かな実在と見るべきものではなく、かといって虚空と見るべきものでもなく、また、普遍的な存在と見るべきものではなく、かといって変化のみにとらわれて見るべきものでもないのです。


このように如来は、三界に住んでいる人間の見かたを超えており、ものごとの本当の相を明らかに見きわめて見誤ることがないのです。


ところが、諸の衆生には、さまざまな性質があり、さまざまな欲望があり、さまざまに違った行いをしており、さまざまの考え方を持ち、ものごとを自分のものさしではかっている。


私は、そういう衆生にそれぞれに、善いことをする根本を養わせようと思うので、過去の事例を持ち出したり、譬え話をしたり、適正な言葉を使ったりして、様々に真理を説いてきたのです。


そして、そのような仏としての活動を、いまだかつて少しも休んだことがないのです。


このように、私が仏に成ったのは無限の過去からであり、これから先の寿命もまた無限であり、そして、常にこの世に存在していて滅するということはないのです。






Android携帯からの投稿