素朴な疑問?、、、 | フォゲットミーノットのブログ

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先日、親戚のおばさんの一周忌法要に、姑と行かせていただきました。


夫の実家は本家です。
舅の父の妹に当たる叔母さんが、すぐ近くに分家をし、所帯をもたれました。


男ばかり五人の子宝に恵まれましたが、長男が30代で亡くなり、次男のおじさんが跡取りされました。もう一人の子供も赤ちゃんの時に亡くなりました。


跡取りのおじさんは、50代ぐらいで脳梗塞になり、長い間不自由な生活をされていましたが、数年前に亡くなりました。


跡取りのおじさん夫婦には、三人の子供があります。
二女は近隣に嫁がれましたが、長男も長女も家を出られ所帯を持たれています。
二人共子供には恵まれなく、田舎の実家には帰る気はない、、、家もいらない、、、とのことで、
おばさんは長い間一人暮らしをされていました。


夫の実家である本家で生まれたおばあちゃんは、百歳前まで元気でよく歩いて本家まで来られていました。
私の娘が小さい時、よく遊びに来られるそのおばあちゃんにいけずをして、“柿・栗・豆ばあちゃんが来る!!”と言って、家の玄関や勝手口などの戸に鍵をかけ、中に入れないようにしたこともあったとか、、、


私は本家の若い嫁ではありましたが、新宅のおばあちゃんであるし、かわいいおばあちゃんにしか印象はなかったですが、新宅のおばさんは、姑になるこのおばあちゃんが大嫌いで、同じ空間で空気を吸うだけでもストレスが溜まると言われていたこともあります。


私の姑に、おばあちゃんの悪口をしょっちゅう言われるそんなおばさんでしたので、当然ご先祖のこともちゃんとお祀りができなく、菩提心の薄い、仏さまに遠い人でした。


おばさんがそんな方だったので、子供らも同じように菩提心が薄く、一人暮らしをされていたおばさんが昨年亡くなってからは、空き家になってしまいました。


おばあちゃんの代にその土地に家を構えてから、三代で絶えてしまった家になります。


本家では、姑が法華経で毎日ご供養していますので、新宅のご先祖六名のお方も過去帳に記載してご供養はさせていただいています。


しかしながら、本来はその家の子孫がご供養するのが、ご先祖や親は一番喜ばれるんだと思いますね。






法要は地元のお寺でありました。親族13人だけのこじんまりとした場でした。


私もこれから105歳の祖母を含め、五人の親を見送らないといけないので、しっかりとこの仏事の行事ごとも経験させていただこうと思いながら、進行を見つめていました。


お坊さんが、

「これから故人の一周忌法要の読経をさせていただきます。」

と言われた時に、長男さんが、

「おばあさんの十三年も、一緒にお願いしていたはずですが、、、」

と言われました。

どうやらお坊さんが勘違いされていたようで、

「申し訳ありませんでした。こちらで塔婆を書いてご供養しておきます。」

と言われました。


お寺では、30分程の短い読経と焼香をし終了。
その後車で移動し、お墓参りして終了。
お坊さんは、その後お葬式があるとのことで、慌てて帰られました。

再び車で移動し、近くの飲食店でお昼のお弁当をご馳走になりました。


親族が一堂に会う機会もめったにないことです。
私は昔はおとなしく人見知りするタイプでしたが、今はいい歳したおばさんなので、誰とでもお喋りしますし、血縁関係はなくとも全然大丈夫です。
夫でなく、姑と私が出席を依頼されたことも、「私でいいんやろか、、、?」とも思いましたが、「まっ、いいっか、、、。おつきあいも大事やしな、、、」

と思いながら、いろんな会話の中で交流を深めました。



長男さんは、今年から東京の会社に赴任されていますが、神奈川から丸の内のビルに通勤されているとか、、、


法事当日、奥さんと共に朝一番の飛行機で伊丹まで飛ばれ、レンタカーで大阪の叔父さん二人を乗せてお寺まで直行されたそうです。


また、会社には関西人も多く、「関西弁バンバン飛び交ってるわ!」


「憧れの東京はどうや、、、?」と伯母さんが尋ねられたら、

「便利は便利やけど、とにかく人が多過ぎる、、、
お店に行列つくるし、待つのが平気。エスカレーターでも立ったまま動かない、関西人はいらちが多いから考えられへん、、、」

などとお話されていました。


(私なら都会暮らし絶対無理やわ、、、)


なんて思いながら、楽しく聞いていました。


それから、亡くなったおばあちゃんの話になり、おばあちゃんは生前お寺で戒名をもらわれていたそうですが、亡くなってから新たに戒名がつけられたそうです。


お寺での読経の時にも、おばあちゃんの十三回忌の塔婆が忘れられておりました。




人間なので、忘れたり、間違いやうっかりは誰でもあります。
お坊さんの悪口を言いたいのではなく、所詮たくさんある檀家の一軒です。



正法の法華経は、自らの先祖は自らの手で供養し、自らの過去の罪悪を罪滅ぼしする、、、ということを教えられています。


昔は字も読めなかった大衆も多かったし、僧侶に先祖のご供養を煩わせていた時代もありましたが、今はほとんどの方が義務教育を受けるので、お経を読むことは気持ちがあればできる行為です。

いろんな宗教があるので強制はできませんが、仏さまの教えは仏になれる教えです。特に真の法華経は先祖成仏、因縁成仏、女人成仏、畜身成仏、、、悪を善に変えることのできる素晴らしい教えです。


お葬式やお盆や法事などの仏事はお坊さんにお世話になっても、日頃のご供養は、血の繋がった子孫から真心のこもった追善供養を受けられることが、どんなにかご先祖は喜ばれることと思いますね。


真の法華経は、亡くなった方に分け隔てなく院号の法名をつけられると聞きます。

何故なら、すべての方に成仏していただきたい思いからです。



しかしながら、お寺さんにつけていただく戒名にはランクがあります。
お礼も額が違います。




それって、お商売になっていないの、、、?
素朴な疑問ですね、、、


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