2日目は福島県に南下し、会津若松の鶴ヶ城を見学した後、白虎隊の自刃した飯盛山に行った。

 白虎隊は、会津戦争に際して、会津藩が組織した16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。その構成は343名から成っていた。圧倒的な武力を持って進軍する官軍に対し、鶴ヶ城守備のため白虎隊も援軍として参戦した。当然のことながら、戦い慣れしていない少年兵達は撤退を余儀なくされ飯盛山に逃れ、2番隊の19名が悲劇のストーリーとなるのである。

 実際に登ってみると、19名の隊士の墓があり、白虎隊の忠誠心にイタリアのムッソリーニが感動して寄贈したという記念碑があった。その他、白虎隊を先頭の前線に向かわせた藩主松平容保が、後に詠んだ弔歌を刻んだ石碑や慰霊碑が建立されていた。彼等少年隊士が敵の捕虜となって縄にかけられる屈辱を味わうよりも、武士の本文として潔い死を選んだことを歴史の悲劇として讃えられていたのである。何かが欠けているように感じたのである。

 私には、犠牲になった少年隊士たちの忠義・忠誠心を、どこか美化しているように思えた。会津には什の教えがある。「ならぬことはならぬのです」の掟である。会津藩も伝統的に教育に力を注ぎ、学問所である日新館を創立して若者を育んだ。会津藩は、教育を注いで育てた多くの若者を戦いに招集し、失ったのである。

 それから時は流れ、時代は昭和になった。日本の国体を護るために、戦地に多くの若者が戦地に出陣をした。最高学府に学んでいる学徒でさえ、特攻隊兵士として海に散っていかされたのである。
国造りには健全な精神と知識を持った若者が必要である。戦争はいつか終わるものだ。たとえ負け戦であっても、残った若者に伝統を引き継ぎ、夢を託さなければならない。
15歳から20歳未満の予科練出身の少年航空兵の多くが、特攻隊として、その任務を全うし海に散っている。

 あってはならないことだが、もしも戦争が勃発したら、大人は少年に未来を託し、何があっても生き抜きなさいと教えなければならない。そんな思いをした旅だった。

 飯盛山に造りたい石碑がある。「この悲劇を繰り返さぬために、私たち大人は、二度と少年を戦場に送ることはしないと誓います。」と刻まれている石碑である。