駆け出しではないエンジニアの方々には、過去に色んな「よろこびの瞬間」の体験があると思います。
例えば私自身の思い出だと、
- 提案したシステムの顧客評価がとても良かった時
- システム開発が超絶上手く回ってパーフェクトに本番稼働を迎えられた時
- トラブってるチームのフォローでメンバーから感謝された時
- PJ解散時に自チームのメンバーから凄く評価してたと言われた時
- 顧客の無茶な要望を現実解に落とし込んで実装して顧客と社内両方から労われた時
思い返せば大なり小なりたくさんの喜びに溢れてたな思います。
ただ、これらって「それをやってる間」には中々得られない気持ちだと思うんですよね。
それは、評価ってやはり「キチンと終わる事」が前提条件としてあるからでしょう。
まあ、途中途中のトラブルや問題を解決した時にも感謝されたり労われたりしますし、
それももちろんとってもとっても嬉しい事ですけれど。
SIer傘下の大型案件では、プロジェクト期間は1年を超えるものがほとんどです。
その間に、要件定義から設計、開発・構築、単体・結合・システム全体のテストを経て最後の最後、システム本番稼働日(前日~当日開始時刻直前まで)に準備・作業・確認を行います。
これらそれぞれのステップの中では、様々な課題・問題が噴出します。
- 要件の認識にズレがあった
- 実装予定の仕組みが想定通りに動作しなかった
- 運用面の見落としがあって追加費用(製造や物品購入)が必要になった
- 重要部分の担当者が病んで居なくなった(!)
- チームメンバーのスキル不足で業務が上手く回らなかった
- もっというとチームリーダーにチームを回す能力がなかった
- コア部分の機能を実装する為のパスワードが記録されておらず、誰も知らなかった
途中からちょっと思い出話が挟まってしまいましたが、本当に「そんな事ある??」っていうようなビックリする事が起こります。割と高頻度で。
これらの「苦労」に彩られてるからこそ、達成した時の喜びが大きいのではないでしょうか。
苦労したからこそ報われた事を感じられるんだろうし、苦労しなくても結果が出せたら嬉しい人も、苦労しないまま逃げ切れる程甘やかな人間社会ではありませんし。上には常に上が居るので。
苦労は買ってでもしろ、的な言葉は疎んじられ老害扱いされてしまう昨今ですが、何にも苦労せずに達成出来るような事はいわば「当たり前」の事であって、特段の喜びなぞ得られるものではありません。
2歳で一人で着替えられたら褒められますが、20歳で一人で着替えられても、ね?
のっけから「苦労をしてやるぞ!」と意気込む必要はなくて、ただ目の前の仕事に対して真摯に向き合っていれば、悩んだり考えたりと自ずから色んな苦労をする事になると思います。
”真摯に仕事に向き合う”とはどういう事か、人それぞれの解があるでしょう。
個人的には、よかれと思う事やあるべきと思う事から目を背けなければ十分だと考えています。
席を譲った方がいいかなと思った時、やればよかったと後悔しないように。その程度の話。