木村拓也 | ハーモニカ行政書士ナカミチ遺言相続成年後見 スペシャリストへの道

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ハーモニカを愛する自称情熱系行政書士の成長日記です。

こんにちは。


今日は、もうご存知だとは思いますがこの話題で。

中途半端に慌てて書くのは良くないと思い今日になりました。


昨年巨人を引退し、コーチに就任した野球界のキムタクこと

木村拓也さんが残念ながらくも膜下出血で亡くなりました。

37歳という若さで。


木村選手は、最後こそ巨人でしたが、僕の応援している

広島カープに長く在籍。

投手以外どこでも守れる器用さもさることながら、

ちょうど、カープにいたころスマップのキムタクが有名になり、

木村選手もカープのキムタクとして野球界ではメジャーな存在に。

僕の好きな機動力野球の申し子のような存在でした。


カープの中でもかなり好きな方の選手で、巨人に移籍して、

分厚い選手層の中で、埋もれてしまうのではと思っていましたが

引退直前まで一軍で大活躍していて、嬉しかったです。


引退すると聞いたとき「まだ早いだろう。」と思ったのですが、

本人は「小さい体で満身創痍」というような趣旨のことを会見で

言っていたので、今回の死を考えると、やはりかなり体に無理があったのかなと

思います。


未だに信じられないのですが、思ったことは三つ。


一つは、最後に倒れたのが長年在籍した広島の本拠地(しかも自宅も

今でも広島)ということ。


当時の広島市民球場ではなく、マツダスタジアムではありますが、

大好きな野球を一番長くやったチームの本拠地の、しかも本塁ベース付近

でノックをしていたときに倒れたというのは、なんだかそういう運命なのかなと。

わずか半年前にはこの球場で引退試合をやったことを考えるとほんとに信じられませんが。


最後に活躍した巨人の選手やファン、一緒にプレーしていた広島の選手や

ファンに見守られ、意識がなくなる前に最後に持っていたのがバットですから

若くして亡くなってしまったことはとても残念ですが、野球人生を最後まで

全うしたということなのかなと感じていますし、誤解を恐れず言えばそこに少しは

救われる部分があるのかなと思います。


二つ目は、彼のひたむきな努力。

キャッチャーとしてプロの世界に入ったものの、

うまくは行かず、しかもドラフト外という期待されない状況で

入りながら、生き残るために、どこのポジションでも守り、

どの打順でも打ち、さらにスイッチヒッターとして両打ちを習得し、

37歳まで首にもならずに活躍しつづけたのは、僕たちにも見習うべきところが

たくさんあります。


三つ目は、人間いつどうなるかわからないということ。

たびたび遺言のメリットには触れいていますし、自分が書いたということも

ブログで書きましたが、若くてもほんとに何が起きるかわからないのです。


だから、遺言を各年齢に早すぎるということは、ないんだとあらためて

痛感させられました。


家族も相当のショックのはずですが、そんな中相続手続きがややこしかったり

もめたりでは余計に辛いです。


木村家の場合。

相続人は、奥さんとお子さんたちだと思います。

お子さんは、未成年なので、遺産分割協議書にハンコを押せません。

で、普通は、代わりに親がやるわけですが、親も相続人の場合は

利益が相反するので、できません。

家庭裁判所に特別代理人を選任してもらわなければなりません。

だから、争いがなかっとしても遺言がないと手間がかなりかかってしまいます。


元々、若者向けの遺言セミナーとかをやろうとは考えていましたが、今回の件で

その気持ちが強固なものとなりました。


6月には開催する予定です。


未だに、木村拓也さんがなくなったのが信じられませんが、今日こうやって

生きているということがどれだけ尊いことかと感じています。


せっかく命を与えれているのですから、

木村さんのようにひたむきに生きて行きたいと思います。





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