No Blog 24th chapter
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言語の中で毎日生きている。

 最近再確認することがよくあったのだけど、僕は「言葉の重要性」というのを常に考えているし、それを信念のようにして生きてきた。


 この前、アネさんと話をしているときに、習い事の話題になった。うちは母子家庭だったんだが、亡き父親がこの子は大成するから色々なことを吸収させておかないと、と生前に言っていたらしく、母はそれに従って僕に色んな習い事をさせようとした。今から思えば、親バカだったんだろうけど。

 残念ながら、僕は本当に昔から飽き性の権化のような子供だった。親から薦められた習い事をことごとく途中やめにして呆れられていた。英会話、硬筆、習字、ピアノ、公文、水泳、陸上はすべて一、二ヶ月でやめた。唯一やり通したのはサッカーで、六年続けた甲斐あって県ナンバー1プレーヤーになることができた(自慢したい)。サッカーは習い事ではないと今でも思うから、やはり僕は習い事が嫌いなのかもしれない。


 ちなみに、親バカな父が何をもって大成すると誤信(今のところは能無し)したのかというと、文字の習得だったらしい。真ん中の姉はダウン症(知的障害)があり、母は彼女に掛かりっきりだったため、可哀想に思った父がまだよちよち歩きだった一歳の僕にひらがなを教えた。一日ですべて覚えてしまい、一週間後にはすべて書けるようになっていたという。残念ながら僕は当時の記憶がないので、自分のことなのに自分のことでないことのように思える。幼稚園の頃には自分の名前を漢字で書くことは普通にできていた記憶はあるし、他の子をバカにしていた記憶もある。


 前述の習い事の中で、英会話はただの飽きでやめたわけではない。まだ幼稚園児だったが、確たる信念のもとにやめた。


 姉(長女)はよく皮肉のように僕に「私が幼稚園のときなんて、英会話教室もなかったし、あんたが羨ましいわ」とよく言っていた。しかし、僕は深いジレンマを抱えていたしそのことでよくイライラしていた。
 姉には口喧嘩しても負かされる、むしろ僕は姉(長女)の言葉がよくわからないことがあった。姉は僕より11歳上だから当然のことだけど、嫌で仕方なかった。それと自分がまだ幼稚園児で、「言葉を知らないから弱いんだ」ということは明確に理解していた。


「まともに言葉も知らないのに、英語なんてやっても意味ないじゃないか。日本語もできないのに、これ以上に英語まで覚えなきゃいけないなんて嫌でしかたないね」

 思いっきり殴られた。

 思えば、あの頃は本当によく殴られていた。僕はどちらかというと落ち着きのない子供だったけど、いたずらをして怒られたことはほとんどない。よく口ごたえをしていた。それが子供っぽくなくマセていたから、姉には余計むかついたのだろう。



 僕が生きてきた24年間の中で、最初に言語を伴った記憶を持っているのは四歳の一月である。その日は父の葬式で、僕にとって初めて経験したな葬式でもあった。その日、僕は祖母の家(火事で本家は焼失し、祖母の家に引っ越していた)の庭でずっと座り込んでいた。父が死んだことはわかっていたし、人が死んだらもう会えないというのは"知って"いた。

 僕の前に二人のおばさんが立っていた。僕を見て、涙を浮かべていた。


「まだ四歳なんですって。お父さんが死んだこともわからないんだろうね。可哀想に」

「ほんと気の毒」


 僕は最初に話したおばさんの言葉はわかった。おばさんたちは僕が物事を(もちろんそんなに多くはないだろうけど)理解できるとは知らなかったのだろうということも、僕は"知っていた"。しかし、「キノドク」という言葉の意味がすぐに理解できず、そのことばかり考えていた。今から考えると、奇異なことだけど、大人がはなす言葉にはいつも感心していた。


 その後、霊柩車の助手席で姉の膝の上に乗せられていたときも、姉はずっと「もうお父さん帰ってこないんよ。帰ってこないんよ」と泣いていた。でも、僕はなんと答えていいのかわからなかった。僕は何かを応えたい。感情はこみ上げてくるのに、言葉を知らなくてなんて言えば姉は泣くのをやめてくれるだろうとずっと考えていた。この頃から、「言葉を知らないことはよくないし、弱いことだ」とずっと考えきた。


 そういえば、その年の初盆(僕は五歳になった)にもこっぴどく殴られた記憶がある。僕は祖母の家の離れにその姉と一緒に寝ていた。ある夜、姉は「お盆っていうのはね。亡くなった人が帰ってくるのよ。お父さんも帰ってくるのよ」と言った。


「そんなことは絶対ない。お父さんは死んだんだもん」と僕はすぐに答えた。


 激しく殴られた。僕が泣き出し、祖母も駆けつけたくらいだった。姉も泣いていた。なのに、僕はお盆の日も「やっぱ帰ってこないじゃん」としつこく姉に言い、姉を泣かした(殴られなかったけど心が痛んだ)。今度は母に怒られた。「帰ってくる」っていっても見えないもので、あんたはまだ子供なんだから素直にお姉ちゃんの言うことを聞けばいいの。

 このときは、言葉にはいろんな意味があって僕の知らないことはたくさんあるんだな、ということを思った。これも強く記憶している。



 といった具合に、僕は物心つくころからずっと「言葉の大切さ、むずかしさ」というのを意識して毎日を生きてきた。だから、英会話なんてものは、少なくとも子供の自分には必要ないと言っていた。

 そして、今の僕も強く意識しながら生きている。「文は人なり」「口は災いのもと」とか、言葉にまつわる色々な諺や箴言があるけど、これほど大きなものはない。人を喜ばすのも、傷つけるのも、いや、そもそも頭で物を考える行為自体にすべて言葉が作用する。


 僕は意識的に、言語の置き換えを行う。自分が抱いた感情をすべて頭の中で言語化してから、アウトプット(外部行為)をしている。僕はよく「よく説明できるね」とか「説明が上手い」と言われるけど(自慢のようだけど)、言われるたびに生きがいのようなものを感じる。なにかを褒められること自体にはたいした感慨はないけど、言葉にまつわることで褒められると本当に嬉しい。


「文章が上手」「(ナンパ等)口説くの巧い」「手紙に感じる」「説明がわかりやすい」などなど、いっぱいあるけど、やはり文章(文字として記されたもの)関連を褒められるのが一番うれしい。文章というのは相手とのやりとりは基本的にない(手紙等は除く)。書いている内容の補足説明の必要性を意識しづらい(会話なら相手の表情で説明の伝達具合を計ることができる)。

 もちろん、ひと括りに文章と言っても、対象を意識する必要はある。内容の専門性、読者層などをその都度かんがえながら書かなければならないし、そもそもそういう類の文章は必要性があった上で且つそれに応えるために書き始めるから、そのポイントにおける齟齬は起きにくい。



 ちなみに、僕が書くこのブログは、何かの(具体的な)必要性があって書いているわけではないし、誰かに向けられたものではない。あえて言うとすれば、やはり自分自身だろうか。まあそれでも極力むずかしい言葉をつかわないでおこうとしているから(本当に自分オンリーなら、独自の日本語的ノブトウ語を用いて書き殴ればよい)、これを読む不特定多数の人に通じる内容にしようと心がけているのだろう。
自らの内省を外部行為としておこなっているわけだけど、これを読んでなにかを感じる人がいればいいなとぼんやりと思う。


 さて、これを読んでいる読者のみなさんには、どれだけ伝わったでしょうか。「まあたいしたことないね」と思われる方もたくさんいるでしょう。間違いないでしょう。とはいえ、僕もまだ未発達の成長段階なので、足らない部分は目をつぶっていただきたいなと思います。


(終り)



 以上の文章は、書き換えなしで書いたものである。誤字や変換ミスは当然直したけど、内容や文章の前後、接続語等は一切いじっていない。頭からずっと書き下ろしてきた。


(いま書き終えたばかりだけど)客観的に読んでみると、修正のない文章というのはやはり主旨がわかりにくいね。たとえば、「具体的に現在のノブトウがどう言語を意識しているか示されていない」「現在の捉え方に到る過去のエピソードは冗長であるが、そのわりに言語の重要性についての例示がないから掴みどころがわかりにくい」などの反省(他者からいうと批判)が出るね。『言語の大切さ』についてはちょくちょく語っていくから、完成文はまたの機会に。



 やはり文章を作り上げるのは難しい。もちろん、会話は会話で即答性や臨機応変さが求められるから、別のむずかしさがあるのだけれども。


 ただ文章というのは嘘をつかないといつも思う。これは間違いない。「文は人なり」とはよく言ったものだ。自意識過剰な人は読者の目を気にせず自分の言いたいことだけを書きたくるし、虚栄心のある人は内に隠した自慢さを謙虚さも隠しながら(姑息にも)相手に伝えようとする。前者は男によくいるタイプで(僕はその典型タイプ)、後者は女に多いね。


 ちなみに後者の場合、「自分の欠点を書いたようで、実は自慢話になっている」パターンだと断言できる。
「言えるところでは言えるけど、わたしって結構優柔不断なところあるなあと思う。最近、美容院にいったんだけど、カットを決めれないままいたら、『堀北真希にすごく似てるね』って言われて、いつのまにかショートにされてたんだよね。わたしって、ほんと優柔不断で嫌になるわ」


 みたいな感じの文章ね。あとは論旨がずれてるタイプ。


「女が言うかわいいと男が言うかわいいって違うよね。わたしはどちらかというと同性に褒められることの方が嬉しいんだけど、なぜかいつも言われるのは男からなんだよね」


 こういうの平気で言うバカオンナって周りでいませんか? mixiでこういう日記書く人がいるんだけど、いつも突っ込みたくなる(言わないけど)。こういうのは文章に限らず、会話でも言えるけど、やはりあえて文章にするってことに「文は人なり」の本意が投影されていると思う。


 文章は本当に恐ろしいです。鋭い人が見れば、何でも見透かされてしまう。僕ももっと達観した文章を目指したいと思います。


 前述した『言語の大切さ』については、あまり哲学的な述語(専門用語)などを使わないで、自分の肌レベルで染み付いていることのみを述べていこうと思う。また時間があるときに、連載していきます。

狂犬ではないですが……

 書き忘れていた。狂犬について。


 僕は十代の頃はけっこう荒っぽくて、暴力には必ず暴力で返す人間だったから、いつの間にか「狂犬」と呼ばれるようになった。本当に不名誉なことだけど、久々に呼ばれると懐かしくも思う。気性が荒いというより、手口が残忍だったからかもしれない。


 中学のとき、テニス部の遠征の岐路、高校生にカツアゲされたことがあった。こっちは中学生だから、僕以外は金を出した。僕は金を出した後、相手が後ろを向いた際に、襲い掛かった。ラケットがボロンボロン(ちなみにその時のラケットの名前はYONEXのBORON)になるまで相手の後頭部を殴って、さらに相手の持ち金をいただいたことがある。これはかなり有名な話になってしまった。


 僕としては向こうから脅してきたわけだし、手間賃くらいもらってもいいだろうということだったが、他の人は理解されなかった。それにテニスラケットを買いなおさないといけないわけだし。


 Mは高校も一緒だったから帰りはよく一緒に帰った。、帰りに関西とか商大附とかの"頭のライトな高校生"に絡まれたときは、徹底的にヤッた気がする。僕は手口は卑怯なので、金を出して相手が安心した瞬間に後頭部を石で殴るとかを平気でしていた。けど、Mは口が軽いし、尾ひれをつける癖があるから、すごく醜悪な像を他人に伝えている恐れがある。


 でも、いつも思うんだが、差し迫った暴力には暴力で対抗しないとどうしようもないんじゃないかな。どうだろう。僕は日常的に自分から人を脅したりカツアゲをしたことはない。一度もない。たしかに手口は卑怯かもしれないけど、弱い奴を脅おうと思ったこともない。


 それに喧嘩っていうのは試合と違うから、何してもいいと思うんだけど。金的を狙う(相手が男なら当然)、後ろから絞め落とす(よくある)、後ろから石で殴る、ベルトで殴る(そのためにいつもバックルがでかくすぐに抜けやすいベルトを選ぶ習慣がいまだにある)。先に手を出した方が悪い。僕は望んでもいない。


 まあ殺されたり殺したら問題だろうけど、そうならない限りはいいと思うんだよね。(言い訳と思われるけど)僕が徹底的に相手の意識が飛ぶまでやるのはお互いのためだというスタンスがある。相手の顔を覚えていたら、仕返し合戦になって暴力に暴力を重ねることになる。それは僕にも相手方にも良くない。もしかしたらバックが絡むかもしれない。それなら、相手には悪いけど、少しの間だけ眠ってもらいたいというのが僕の希望だ。


 と、こんなことを書いても理解されないからやめときます。でも、暴力は良くない。自分から手を出すって人間は相手を選んで攻撃するよね。本当に卑怯だ。僕はそんなに腕力もないし、格闘技をやってたこともないから、頭を働かすしかない。

旧友とエクササイズをして酒を飲んだ

 岡山に出て勉強していると、16時過ぎに友人Mから連絡が入った。Mは地元の友人でこの春まで北海道大学に通っていた。今は地元に帰って家業を継ぐために修行中である。そういえば理学部化学科に通っていたのに、土建屋を継ぐのはどうも奇異に見えるけど、まあ大学が必ずしも職業に直結していないのだからいいのかな。


 四月に予備校の帰りに寄って以来だったから、三ヶ月ぶりだった。


「おい、狂犬、最近ランニングしているらしいな。体育館でバドミントンでもしようで」 ※狂犬と呼ばれている理由は後述


 僕はこの時点で驚きだった。聞くところによると、ツレの間では僕のランニングは有名らしい。「ノブトウは最近ランニングに励んでいるらしいで。あの人もようわからん人やなあ」みたく言われているらしい。


 そういえば町内を走っているわけだから、まあ僕の顔を見た人間もいるだろう。それでもそんなしょうもない情報が行き渡るなんて、なんて平和な町だろう(町外の人からは野蛮な場所と言われるけど)。むしろ僕がいまだに衆目の注意に値する人間なのだろう(という自意識過剰な勘違い)。


 そんなこんなで町の体育館でバドミントンをしていると、Mに連絡が入った。同じ町内の友人Yが仕事終りで暇しているらしいから、来たいということだった。驚くべきことにYは僕らの町役場の職員となっていた。Yに会ったのは五年ぶり。いやー、五年も経つといろいろな変化があるね。ミニ同窓会のようだ。


 それから終電で岡山に出向いた。「ぼくでん」で飲み食いした後、行きつけのバーでウイスキー祭り。Mはススキのでバーテンダーをしていたから結構くわしい。一方、Yはバーで飲むことも初めてだった。


僕「なに? お前、公務員のくせにバーに来たことがねえだと。そんなんで一般市民の生活に携わる仕事ができんのかよ? まずスピリタスいけ」


公務員Y「お、おう。よくわからんけど、飲んでみるわ」


M「見ただけで寒気がするね」 Mは過去に罰ゲームで一気飲みを強制され、救急車を呼んだらしい。


 のっけからスピリタスを飲ませた。ご存知の方はいると思うが、スピリタスは世界で最もアルコール度数が高い酒である。96%。煙草などの火気は消しておかないと危ない(本当に)。ちなみにフィンランドでは危険ということで販売が禁止されているらしい(Mからの情報)。


 とはいえ、Yは二口でダウンした。「おら飲めよ公務員。和気町民の頼みごともきけんのか」と僕らはいじり倒すが、「無理なものは無理」と言い張り、不肖・酒に強いノブトウが引き継いだ。



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 瓶には約三分の一残っていたが、ご覧の通り、全部飲み干した。記念に瓶ももらった。

 その後も僕とMは"公務員ネタ"で、Yをいじり倒した。会計のときも「おい、ボーナス出たそうだな。町は赤字財政なのになあ。よく貰えるわ。恥ずかしくないのか、公務員。一般企業ならありえんぞ。よし、これは市民貢献だと思って、おごれ」など。もちろん割り勘したけど。


 帰りは、山富士のラーメンを食って(食後のラーメンっておっさんだね)、いつものようにハマジを呼んで帰った。もっと色々書きたいが、また今度にしよう。


返し忘れたもの

 この日は片付けをしていたわけだが、厚紙でできた黒い箱が出てきた。なんだろうと思って箱を開けると、サックスのマウスピースだった。


 遡ること一年半前。当時の僕の音楽的ブームはフュージョンで、日本のアーティストの「DIMENSION」にはまっていた。今でもテレビ(スポーツニュースのオープニング等)で頻繁に流れるから、名前は知らなくても音楽を聴いた人は多いはず。そのDIMENSIONのサックスに惚れて僕もサックスがしたくなり、友人からアルトサックスを借りた。フュージョンっぽいのがいいから、メタルのマウスピースまで借りた。


 だいぶ飽きてしまい、情熱がまたギターに戻ったころにサックスをその友人に返した。ちなみに後から聞いた話では、ヘッドとマウスピースはわざわざ音楽仲間(Aさん)に頼んで、僕のために用意してくれたものだった。


 返した後、「マウスピースが入ってない。高いマウスピースだから失くしたのなら弁償してくれとAさんが怒っている」といきなり言われた。僕はマウスピースをケースに入れた記憶があったため(もちろん勘違いだったけど)、探しもせず「ちゃんと入れた」と答えた。


 そのときにものすごく腹が立った覚えがある。というのが、「マウスピースが見当たらないんだけど、もしかしたら入れ忘れてないかな? もう一度さがしてくれない?」みたいに言われたらすぐに探していたのだが(今さら言うと言い訳かもしれないけど)、いきなりあんな物の言い方をされたものだから、僕の中では強請りや言いがかりと捉えてしまった。だから、無視してとにかく入れたと言った。


 そして今回見つかったわけだけど、本当に申し訳なく思う。人はこうして勘違いの下に、他人を害するのだろう。故意でなくても誤認(もしくはそれに起立した言動)によって害することがあるということは重々承知しているのだが、やはり僕のミスの原因はそこだったのだ。この先も無意識のうちに人を害したり、傷つけたりしてしまうことがあると思うとつらくなる。そして傷つけたあとではとり戻せないものも必ずあるだろう。


 冷静さを失った言動には必ず落とし穴がある。本人は気付かない。ゆえに事態が深刻化する。とりあえず僕に出来ることは常に平静で考えることだ。もっと徹底していきたいと思う。


 二日後に、詫び状を添えてエクスパックで送り返した。詫び状には五時間かかった。でも改めて考えると、たった五時間なんだな。Aさんは一年以上も待っていたのに。

メタフォリック・オールドマン(ヒー,イズ,ア,ラーメンショップマスター)

 中途半端な時間に焼きウインナーだけを食っていたため、無性にラーメンが食いたかった。予備校に出かけたが、着いてから気付いた。そう、今日はぼっけゑラーメンのお休みの日だった。というわけで、ひっさびさに天神そばに行った。


 ラーメンが運ばれてきて、まずアネさんが胡椒をかけた。僕も食おうと橋を割り口をつける。

 まだ二口くらいしか食ってないときに、店主のオヤジが来て「これ(辛子)を入れたら、うめえんじゃけえ」と言われ、僕は(当然ながら自分の手で)パッパッとかけた。


 するとオヤジ「いやいや、全然たらんわ。これかけても辛うねえから、もっと入れんと」と言い、ビンを手に持つ。そして……


だっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっ


 見る見る真っ赤か!びっくりしたねえ。ほんと。目の前で香辛料をふられたのなんて、ステーキハウスの鉄板付きカウンターぐらいしかないなあ。


 たしかに辛くなかった。美味かった。うん、けど怖かった。辛子を振りつづけるオヤジの神の腕は、まるで永久機関のように一定の動作を継続していてし、僕も(きっとアネさんも)永遠の時を刻むように感じた。これは誇張ではなく、実感として抱いた感想。


 あまりに驚いたため、「元から振っておかないんですか?」と素朴な疑問をぶつけてみた。「いんやー、見た目が怖かろう」


 おっしゃるとおりでございました。


 その後あらかた食いおわって、アネさんと少しシリアスな話をしていたら、隣のカウンター席でオヤジが自分で作ったラーメン(まかない?)を食い始めた。そして、いきなり


「あっ!」


 と急に言う。それに続く言葉はない……。そして僕らが食い終わるころには、その自分で作ったラーメンを食べ残してどこかに消えていった。


 たしかに僕はあのオヤジの顔を覚えているから店主だとわかるけど、初めて行ってあんな感じだったら、「どこかのおっさんが紛れ込んで気まぐれにお客のラーメンを真っ赤かにして、女房に頼まれた用事を思い出して家に帰って行ったとさ。ちゃんちゃん」みたく思ったかもしれない。寓話的な邂逅。


 おもしろい。実におもしろいですね。村上春樹の小説にある言葉でいうなら、「まさにラーメン屋のオヤジという風なラーメン屋のオヤジが僕の記憶を通り抜けた。しかし彼はいったいなんだったのだろう。それでも彼は僕に何かを残していった。それは地獄から湧きでたマグマだった。とてもメタフォリックな存在として彼は存在していた」といったところだろうか。

Pain is invitable.Suffering is option.

 さて、またブログを毎日かいていこうか。今月はいってから、一人で人のいないところで考えたいことが多くて、加えてブログで内省を開陳したくないという気持も多少なりともあった。こう毎日あることや思うことを書くと、それが過剰にすぎるとまるで日常を切り売りしてるような感覚を抱くときが少なからずある。


 まあ24年間で築いたものなんてほとんどないに等しくて、築いたと感じたものはすべては砂上のお遊戯で、時間という大きく恒久的な流れに埋没していった気がする。きっとこの先も変わらないのだろう。長いものに巻かれる人生を羨むとともにそれを自然に拒否してきたという自負もある。これの是非は今もわからないし、きっといつか価値が決められるものでもない。すべてはそこにあったという過去の記憶が付随したものになるだろう。


 最近どうも家から出るのが億劫で、今日もとても嫌だった。今日はバイトがある予定だったんだが、生徒が体調不良で休んで急になくなった。今は個人授業だから、その子が休んだらなくなっちゃうんだよね。いつわかったのか知らないけれど、もっと早く教えて欲しかった。今日のバイト代はどうなったのかはしらないけども、無駄に外出するのは本当に面倒だ。


 ただのバイトだし、それも向こうから頼まれたもので、さらに生活費をまかなう基盤でもないから、心穏やかにこなしたいものだ。とか考えると、僕はわがままなのだろうな。別にいつでもやめていいと考えているから気楽なものだけど、これが組織の正社員だとどうしようもないよね。絶対無理だな。本当に都市社会で生きたくない。そこに自分を存在させたくない。もし搾取ありきの仕事に就かなければならないのなら、潔く死を選べる。自信がある。


 明日からはまた平穏な一週間がはじまる。勉強と読書とランニング。これら以外に何を求めよう。移動や外で摂る食事の手間は、これらに比べたら本当に無駄な時間に思える。


 そういえば、最近のランニングにはよくイライラさせられる。もう右足の痛みが慢性化してしまって、連続で6キロ、休憩いれて10キロしか走れなくなっている。常にイライラする。おもいっきり何十キロも走って、ぶっ壊してやろうかと思うときがある。でも、痛みはオプションではないし(ちなみに苦しみはオプションだ)、本当に壊れて走れなくなったら、求めるべきものがなくなる。精神の毒素の排出も困難になる。

 新たな利便性には新たな不便が伴うというが、新たな生きがいには新たな生きにくさが付随するらしい。まいったね。

転換の時期に来たようだが、どうしたものか

 午前11時20分からランニング。佐伯ダムまで10キロを約1時間。帰っておばさんの店でただ飯。助かる。帰ってからシャワーを浴びてから、プラトン『国家』を読む。これは訳がまずまずである。俺ならもっとマシな日本語訳にするがな。まあ元が英語じゃないから、文句は言えまい。


 さて、今日で法律の勉強をせずに9日目である。そろそろ再開するか。勉強なんてしたくなければしないし、したければすればいい。落ちたら落ちた。受かったら受かった。無理して勉強する価値は少なくとも俺にはないようだ。何事も楽しんでやりたいものだね。まあ法学なんて哲学や文学やAVに比べたら、本当にくだらないものだけど、仕方ないところではある。


 いよいよ食えなくなったら弁護士でもしなくてはいけなくなるだろうから、司法試験には受かっておく必要はやはりあるようだ。この腐敗し過度の都市化した社会の中で生きていくのは辛い。全く意を別にした人間どもと同じコミュニティで生きることに一抹の希望があろうか。一体何のために。暇つぶしにしては人生は長すぎるだろう。きっと俺が変わっているだろうことはわかる。ただ言いたいことも言えず、それが当然受けいるべき社会性だとかウダウダほざいて、隠れてコップ酒をあおる人間に価値はない。それに順ずる人間がいかに多いことか。しょうもない。俺ならさっさと自殺してるね。おそらく彼らには生きるだけの価値をおける何があるのだろう。俺にはない。かといって、力を持つ側にもなりたくない。


 とりあえず、距離を置き、理不尽な要求もされず、こちらからもせず、おいしい物と食べてぼけーっと本を読みながら暮らしたい。しかし、たったこれだけのことも前述の社会の道理からすれば、困難なことである。適応or海外移住or自殺or出家があるとすれば、順位で並べれば移住、出家、自殺、適応だろうか。こんな社会に適応しろという方が理不尽ではある。ただ多くの人はそれができるらしい。となれば、彼らから金だけを引っ張って、かつ距離を置ける態勢を整えなければならない。

さて、明日の午後から「その作業」を始めようではないか。

集中力のなさ

 今日も早起き。家から出るのがおっくうである。雨も降っている。ずっと哲学の本を読んでいる。あらためて入門書を読んだ。

 竹田青嗣の『哲学ってなんだ』『哲学入門』『現代思想の冒険』を読む。入門書とはいえ、三冊も一気に読むと目が疲れるね。

 そういえば、俺はどうも集中力がないようで、何時間机についても本を休みなく読んでも精神的な疲れは一切ない。煙草だけ吸っていれば全く問題ない。疲れるくらいの集中力をつけなければいけないようだ。


 そういえば緊張感もないと言われるな。緊張したように見せかけるのは5秒もあればできるが、緊張という観念が自己に発生しにくい。まあいいけど。緊張して良いことなんて一つもなさそうだし、昔から羨ましがられるからには「緊張しないこと」はきっと良いことなんだろうと思う。よくわからん。

 三冊を読み終えてから、村上春樹『遠い太鼓』を読んだ。今日はよく本を読んだ。

哲学するおにぎり

倉庫の移動

おにぎりを作る。茶碗飯と同じ成分なのに、なぜ味が違うのだろうか。改めて気になる。おそらく脱構築などの手法で突き止めるのは難しいであろう。むしろ、おにぎりに哲学を絡めるのは難しいと思う。


おにぎりが気になり、「現象学」をあらためて読む。自己了解さえも済んでないが、おにぎりはおにぎりである。結局はおにぎりなのだ。

哲学再開

ランニング。これから読む哲学書をリストアップ。
晩に彼女と電話。村上春樹を薦める。
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