ナグです。
今日は8月2日ですね。
今日からちょうど12年前の暑い夏の日、プリマリアと現実の物理的世界で初めて会ったのが8月2日でした。
東京から、飛行機で会いに来た彼女の存在がなければ、その事実がなければ、今こうして、このようなブログを書いている僕もいなかったわけです。
そういう意味では、今日は個人的に”記念日”の扱いなのです。
『スピリチュアルの歩き方』というテーマで、昨日からブログを再び書き始めています。
昨日お話したのは、
・数年前から、「情報」というものの質が大きく変わってきている
・宇宙や霊的な世界の”基本法則”は、一貫しているからこそ、信頼がおける
・あなたが触れた情報が、真実か否か?それを知る方法がある
・それは新しい考え方や在り方を日常に適用してみること
でした。
「情報」というものは、発信される以上、”受信されること”を目的に発信されています。
そして、そのほとんどは、受け手である「わたしたち」に、このように受け取ってほしい。という意図があります。明らかにされている意図もあれば、暗示や洗脳のように隠された意図、というものもあります。
あとは、発信者本人は純粋に「それが真実である」と信じて発信しているのだけれど、個人的な体験と普遍的な法則をはき違えているもの、つまり単なる持論の展開であることもあります。
今日は、メッセージや情報を受け取る側であるわたしたちは、どのようにそれを受け止めればよいのか?ということについて、書いてみます。
昨日のブログにも少し書いていますが、明らかに自分には必要ではない、と感じる情報は関心を持つこともないし、気になることもありません。基本的にスルーです(笑)。
人間の脳の仕組みとして、入ってくる情報は処理する必要がありますから、極力入力される情報を制限しようとします。
車好きの人は、通りを走る車の車種やメーカー、年式とかいろいろなことに気付きますが、興味のない人には、「全部車じゃん。」っていう感じです。
つまり、関心のある情報は入ってきやすいけれど、関心の薄いものはキャッチしにくい。ということです。
このところが、実は一つの落とし穴で、わたしたちが受け取りやすい情報、キャッチしやすい情報は、
『わたしが、そうである。』と認めているもの正しい情報として受け取りやすい。
ということが前提にあります。
スピリチュアル好きな人は、そういう情報を求めますし、そういった情報に反応しやすい。
現実主義の人は、事実や根拠を大切にするし、そういったものが提示されている情報に価値を置きますよね?
新しい情報に触れるとき、この”自分が認めているものに反応する”という前提があり、そのことに気付いていることって、実はとても大切なのです。
そうでなければ、自分が納得するものだけを「正しい情報」として取り入れ、”今までの自分”をより強化してしまう傾向になっていきます。「年を取ってくると、頭が固くなる。」と言われることもありますが、それは、積み上げてきた体験や経験から、「自分にとってこれが正しい。」というものが非常に限定的になってしまった結果でもあるのです。
一方で、子供たちは、魂的な傾向があるにせよ、今の人生での体験、経験が少ないので、どのような情報でも素直に受け入れやすいところがあります。(だからこそ、子供たちがどんな情報に触れているのか、子供たちにどんな情報を与えているのか?がひとりひとりのこれからの人生に大きな影響があるのです。)
何か気になる情報に触れたときに、二つの極としては、完全に拒絶と感じるか、今までの経験から全面的に納得できるか、があるでしょう。
その間のもので、「ちょっと気になる」という感じで、
「これって大切なことのような気がするけど、なんかストンと腑に落ちないな・・・。」
という、微妙な違和感が残るものには、特に注意を払ってみてください。
”腑に落ちない”部分にこそ、自分自身が自分の内面をみるときのポイントがあるものです。
あなたを新しい体験や世界に連れ出してくれる新しい情報は、
あなたがすでに「知っていること」ではないはずです。
未知の体験は、ワクワクするものだったり、何か不思議な感じや神秘的な感じを与えてくれると同時に、”今までの自分でいいじゃない”という思いも刺激します。
それは、疑いや恐怖という感情で、あなたに新たな変化へ進まないように、とブレーキをかけてくるのです。
そこで、一つの提案があります。
新しい情報に触れたとき、そして何か直感的に「これってすごいよね?!」みたいな、何か自分にとって素敵なモノやコトが、その先にあると予感するとき、この言葉を頭の片隅に置いておいてください。
『答え合わせは後でする。』
情報を受け取るとき、新しい情報に触れるとき、覚えておいてほしいことは
『人はそれが正しいと自分が信じている情報を受け取ろうとする。』
これを知っておいたうえで、うまく疑いを味方につけながら、”体験”することを目指してみてください。
喜ばしい体験をするにせよ、失敗と感じ、痛みを伴う体験になるにせよ、その”結果”から得られるものは、あなたにとって、単に「頭の中で考えたこと」ではない、深い意味のあることになるし、あなたにとってまぎれもない答えとして、体験的にあなたの中に残るものとなるはずです。