“蒔いていない種を刈り取る”という話
スピリチュアルな話や、真理の話のなかで
「蒔いた種を刈り取る」
という言葉があります。
あのエドガー・ケイシーもこのようなことを言っているのですが、 これを否定したり、反対したいわけではないのです。
今日の記事の題名に“蒔いていない種を刈り取る”と書いています。
とっても“逆説的”です(笑)。
僕がいつも大切にしているのは“反対からも考えてみる”ということ。
で、喩え話なんですが・・・。
あなたがガーデニングが好きで、庭にいろいろな花を植えたとしましょう。 朝顔の種やヒマワリの種(ごめんなさい、洒落た花の名前、思いつかないんで:苦笑) とか…。
蒔いた種が芽を出して、大きく育ってきたら、“草むしり”するでしょ?
種を蒔く前に、花壇の土を作って、まあ、花壇は畑じゃないから 耕したりはしないのかもしれないけど、あなたは自分が蒔いた種はわかるよね?
「あ、朝顔が芽を出した!」とか、
「ひまわりの双葉が開いた!」とか。
ここまで書いて、勘のいい人なら、ケイシーをはじめ、スピリチュアルで よく言われている、
“蒔いた種を刈り取る”と、“蒔いていない種を刈り取る”って、
同じことを言っているって、気付いてもらえると思うんだけど・・・。
ダメ?無理かな?(笑)
えっとね、「蒔いた種」つまり、あなたが花壇に植えた朝顔やひまわりは、
“あなたが自分で「これは私がしたことです。」と、分かっていること”
意識の光が当たっているものごとのことなんだよね。
でね、僕が言う「蒔いていない種」というのは、あなたが自分で意識できない部分、 潜在意識とか、無意識とかの部分
“なんとなく”やっちゃってることとか、そんなものが蒔いていない種で、育ってくると、花壇のたとえで言うと『雑草』になっちゃうわけです。
だから、“蒔いていない種を刈り取る”って言う表現をしたんですね。
よく言われる「蒔いた種を刈り取る」と言う言葉には、 自分が意識できなくて、知らないうちに“蒔いてしまっている種”なんだけれど、それも含まれている表現なんだ。
そして、それも確実に成長して姿を見せる。
意識と潜在意識、という分け方をしていないから、全部「蒔いた種」なんですよ。
自分がわかっているものだったらいい。
でも、「これは僕が、わたしが蒔いたんじゃない!」と、 思うようなもの(雑草)を一生懸命草むしりして、抜いていかないと、 自分がいつかその花を見たいと思って蒔いた種がきちんと育たなくなってしまう。
自分の蒔いた種が、なかなか芽が出ないから、といって、 蒔いた種を、また掘り起こしちゃったりするんだよね、知らないとやっちゃう。
それより、大事な栄養を 雑草に取られてしまわないように、きちんと“草むしり”をしなきゃ。
手入れしない花壇は、最後には何を植えたのかわからない草ぼうぼうの状態になるものだから。
“蒔いた種”なら自分でわかる。
“蒔いていない種”のほうこそ、しっかりと摘み取っていこうね。
人から、「あなたの花壇に雑草が生えているよ。」
と、言われて、
『私の花壇には、ひまわりしか植えてません(怒)。』
なんて言っているうちに、草ぼうぼうになっちゃうから。
でも、あなたに言われたくないよーってのはあるのでね、実際気持ちはわかります。
だけど、あなたにとっての大切な人から言われたのだとしたら?
せっかく教えてくれたんだから、良いとか悪いとかジャッジしないで素直に捉えてみたらどうかな?
「あ、ホントだ。
こんなところにも雑草があった。
教えてくれてありがとうね♪」
って、言えたらいいよね^^
もしね、大切な人からの助言なのに耳を傾けられないのだとしたら自分では気がつかないうちに、自分のことだけを大切にしているかもしれませんよ。
『自分を大事にする』ことの大切さをよくお話していますが、相手だけを大事にしても、自分だけを大事にしても、やっぱりどこかでバランスが崩れてくるんだよね。
“自分と同じように”相手のことを大事にしようとするなら、まず、自分を、というのが順序の道理だし。
それにね、大切な人からの助言なら、愛を持って聞いてみようかな?と言う気持ちになるでしょう?
このお話の内容恋愛に例えても同じです
お互いが『教えてくれてありがとう』ってなれると最高だよね。
身近にいればいるほどに本人より先に撒いてない種がわかるし、雑草が見えやすいものだから。
大好きだからこそ、大事だからこそ、
「もっとこうしたら良いのに」って、思うし見えるんだよね。
お互いがそうなると、喧嘩してもどんなにムカついてもそこにはしっかり互いへの愛があることを覚えていられるから、どんなことがあっても幸せですよね。
So be it.
そうでありますように。