あなたが、友人とどこかへ行こう。と話をしていて、
同じ車に乗り込んだとしよう。
出発して、しばらく進んでいくと、友人の様子がおかしい。
「どうしたの?」
と、あなたが聞く。
「いや、なんか進んでいる方向、ちがわない?」
と、友人。
「え?こっちじゃないの?」
と、あなた。
ふたりの会話があいまいな状態で、目指す目的地が違っていた。
そこに起こっていたのは「お互いの勘違い」であって、友人があなたと違う目的地を選んでいて、
「あなたも同じところに行きたいはずだ。」
と、思いこんでしまっていたことは、認識の違いであって、それは「悪」ではない。
男女の関係において、このような「認識の違い」はよくある。
友達とどこかへ行こう、というような程度の『目的地のズレ』なら、すぐになんとかできる。
自分があきらめて、友達に付き合うか?
友達にあきらめてもらって、自分の行きたいところへ付き合ってもらうかすればいい。
でも、『人生の目的地』だとしたら、そうはいかない。
それがズレてしまったために、不毛な人生を歩みながら、軌道修正をすることさえできなくなってしまうことも少なくはないだろう。
その「認識の違い」を、「悪」としてしまうことで、二人の間に絶え間ない戦いが起こることは、二人が一緒になることの最大の不幸であろう。