“知らない”ことは罪か? | 過去生ツインソウル・メソッド®︎&ツインソウル・ヒーリング®︎ Primaria☆Stone

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“魂のメッセージ”を読み解く過去生ツインソウル・メソッド®︎、“魂の絆”を深めていくツインソウル・ヒーリング®︎のナグ&プリマリア【Primaria☆Stone】

スピリチュアルなことに取り組んでいると、

当たり前なんだけれど、“スピリチュアルなこと”に

関心を持っている人たちの縁がつながっていく。



そのなかには、“先生”と呼ばれるような人たちや

“まったく何も知らないんです。”と、まるで自分が

「知らなくて恥ずかしい」

というような人もいる。


僕は、自分が“知らない”ということを知っていて、

それに対して、一向に悪びれていない、罪悪感のようなものや

劣等感のようなものを持っていない、子供のような純粋さを

持っている人って、素晴らしいと思う。


知っているから、すごい!なんて、これっぽっちも思わない。

ただ、純粋に、こどもが自然の神秘に触れた時に口する

「すごいなぁ~」

という驚嘆のような感動だけを、純粋に持つ人たちって、

絶対、神様を尊敬できる人だし、神様に信じてもらえる人に

なっていくだろうと思う。



『自分はより高いレベルで

 スピリチュアルな真理を理解していて、

 自分はとても霊性の高い人間だ。』



な~んて、思っている“センセイ”の話は、

僕はあまり「すごいなぁ」なんて驚嘆することはないんだよね。



“知っている”



と思っている人って、その人にとって新鮮で、

新しい“知らないこと”が入っていかないんだよね。


“知らない”ってことは、決して罪ではないと思う。

“知ろうとしない”ことのほうが罪かもね。

『自分が知っていることなんて、ほんのひとかけらで

 むしろ、知らないことがほとんどすべてを作っているんだ。』



そう思えた時、自分は知らないでいるけれど、

この世界や自分の置かれている環境が、

見事なくらい調和していることに

驚嘆と感謝を覚えるだろう。と、僕は思うのです。