スピリチュアルなことに取り組んでいると、
当たり前なんだけれど、“スピリチュアルなこと”に
関心を持っている人たちの縁がつながっていく。
そのなかには、“先生”と呼ばれるような人たちや
“まったく何も知らないんです。”と、まるで自分が
「知らなくて恥ずかしい」
というような人もいる。
僕は、自分が“知らない”ということを知っていて、
それに対して、一向に悪びれていない、罪悪感のようなものや
劣等感のようなものを持っていない、子供のような純粋さを
持っている人って、素晴らしいと思う。
知っているから、すごい!なんて、これっぽっちも思わない。
ただ、純粋に、こどもが自然の神秘に触れた時に口する
「すごいなぁ~」
という驚嘆のような感動だけを、純粋に持つ人たちって、
絶対、神様を尊敬できる人だし、神様に信じてもらえる人に
なっていくだろうと思う。
『自分はより高いレベルで
スピリチュアルな真理を理解していて、
自分はとても霊性の高い人間だ。』
な~んて、思っている“センセイ”の話は、
僕はあまり「すごいなぁ」なんて驚嘆することはないんだよね。
“知っている”
と思っている人って、その人にとって新鮮で、
新しい“知らないこと”が入っていかないんだよね。
“知らない”ってことは、決して罪ではないと思う。
“知ろうとしない”ことのほうが罪かもね。
『自分が知っていることなんて、ほんのひとかけらで
むしろ、知らないことがほとんどすべてを作っているんだ。』
そう思えた時、自分は知らないでいるけれど、
この世界や自分の置かれている環境が、
見事なくらい調和していることに
驚嘆と感謝を覚えるだろう。と、僕は思うのです。