mixiからの転載 私が人生です。ということ。 | 過去生ツインソウル・メソッド®︎&ツインソウル・ヒーリング®︎ Primaria☆Stone

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“魂のメッセージ”を読み解く過去生ツインソウル・メソッド®︎、“魂の絆”を深めていくツインソウル・ヒーリング®︎のナグ&プリマリア【Primaria☆Stone】

スピリチュアルな事柄を探求すると、必ず潜在意識にたどり着く。

 ちょうど妻が日記に書いているので、『スピリチュアルな理解を深めるために』と題して書いてきた日記をこの日記で一応の区切りをつけたいと思う。

 昨年11月の父の死や、どのように表現して行けばよいのか思いあぐねていたところで、更新の頻度も間隔が開くばかりでした。内容的に時期尚早か?と感じながら書いていたところもあるので、今度からもっと分かりやすく、平易な文章で“潜在意識とスピリチュアル”について、書いていこうと考えている次第です。

で、中途半端なままで止まっていた『スピリチュアルな理解を深めるために』と題したシリーズ。16回目まで書いていました。

“所有”という概念について スピリチュアルな理解を深めるために -16-
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1879766930&owner_id=5274207

この日記に一度目を通してくだされば、今日の日記もわかりやすくなるかと思います。

“私”と“人生”の関係は?という問題提起だけして終わっていたので、その先を書いていきたいと思います。

“所有”の場合、以下の図のように、私という存在の「外側」に対象物があります。

$本当はスピリチュアル~ツインソウル夫婦の散文~

しかし、“私”と“人生”の関係を考えた時、言葉のトリックのせいで正しく認識できないところがあるのです。上の図のように一枚の上の真ん中に円を描き、それが“私”であるとするなら、“人生”はどこに書きこむのが妥当でしょうか?

$本当はスピリチュアル~ツインソウル夫婦の散文~

あなたが“あなたの人生”を体験することは可能だけれど、他人の人生を体験することはできない。つまり、“人生”という言葉を“個人的”に適応した場合、「私の人生」以外に無いのです。

「人が生きること、その中で起こる様々な出来事」という象徴的、一般的な意味において、使った場合には、“別の意味の言葉”になってしまいます。

“私”という存在が、過去に体験、経験してきたことや、これから死に至るまで体験、経験していくこと、そのすべてをまとめたものを『人生』というのでしょう。そう考えると上の図には、このように書き込むことができると思います。

$本当はスピリチュアル~ツインソウル夫婦の散文~

私の行動や、考えることや、そのすべてが人生の結果であり、また同時に原因なのです。

私=人生であるから、私の考えや行動や口にする言葉は「私の人生を表明すること」なんです。
もし、“私”と“車”のように、“人生”を描いたら、その人生を所有するのは誰でしょうか?おそらく、しっくりこない、どこか違和感のようなものを感じるはずです。

こう考えた時、次の疑問が出てくるはずです。

~この紙に描いた円が私であり、
   同時に人生であるなら、
  それでは、その円の外にあるものは一体何なんだろうか?~

という疑問です。

私の人生を表明すること、言葉を変えると、“表現”です。

表現をするためには、そのための場所が必要になります。
あなたが何者であるか?を示すには、示す対象が必要になります。

円の外側はすべて「機会」です。

私(人生)を表現するために与えられている「機会」である。と捉えた時、私が話す言葉、考えること、行う行動は、すべて、『私の人生がどのようなものであるのか?』という意思表明なのです。

こう捉える事が出来た時、神様というか、創造主というか、言葉はどうでもいいのだけれど、大いなる何かが、どんな時でも私に「機会」(チャンス)を与えてくれていることに気付けるはずです。すべての時間が「機会」です。その大いなる存在は常に問いかけと機会を与えてくれるのです。

「さあ、この“機会”にあなたはどんな人生を表現しますか?」と。

どんなに落ち込んでいても、どんなに素敵な出来事に出会っても、常に等しく、毎瞬毎瞬、問いかけ続けてくれている、その大いなる意志や大いなる愛のようなものを感じることができるのではないでしょうか?決して、

『キミは失格だから、機会は与えないよ。』

とは、言わないのです。この世界のどこにいる人にも、“機会”を与えられない人はいない、ということになります。

$本当はスピリチュアル~ツインソウル夫婦の散文~

そして同時にこの問いかけ、違う言葉で書くなら

『あなたはどんなあなたを創造しますか?』

と言う問いを断ることはできません。

「ごめんなさい、今ちょっと落ち込んでいるので後にしてください。」とか、
「考えるのは面倒なんで、今はパスさせてください。」とか、

そんなことができないのです。

瞬間、瞬間が『自分の人生とはこうである。』という意思表明で、私たちには何を選んでもよいという自由が与えられているのです。もちろん、『パスする』ということも選べますが、それはつまり、自分の意志を表明するという自由を、人生を創造するという最高の力を、あなた以外の何かに譲る、ということになっていくのです。




これだけ、素晴らしい機会が与えられている。だとしたら、自分の人生を最高のものにするために、『表現する』という私(たち)に与えられた力を全力で使っていきたいと思いませんか?

もちろん、時々は感情にのまれて、『すべての時は“機会”である』ということを忘れてしまうこともあるでしょう。書いている僕も、常にそれができるわけではないし、忘れてしまっていることのほうが多いです。

でも、一日を振り返るとき、自分はどれだけ、与えられた機会に私の人生を“表現”しただろうか?と、問いかけてみる。そんな習慣を身に着けることができたら、どれだけ素晴らしい人生になることでしょう。



“私が人生です。

 私の思い、言葉、行動はすべて私=人生の表現です。

 そして、私が出会う出来事のすべては、その表現のための場、『機会』です。

 そして、私が出会う人々はすべて、その機会を届けてくれるプレゼンターです。

 私はその“機会”(チャンス)を受け取り、私を表現します。”




※ この文末の文章は、そのままアファメーションに使えると思います。
  潜在意識まで落とし込むことができたなら、確実に人生が変わる言葉です。
  なにかささやかな幸せを感じたとき、ゆったりとリラックスしているとき  
  または、どうしても赦せない、感謝できないというとき。

  この言葉を繰り返し、口にして思いめぐらしてみてください。


~最後に~
このシリーズはちょっと、難しかったかな?と反省しています(笑)。
次回(っていつか分かりませんが)からは、もう少し楽しく、そして神秘的な雰囲気や“楽しいスピ系”の話を交えながら、潜在意識「思いの力、創造の力」について書いてみたいと思っています。

長文拝読、ありがとうございました♪(ナグ☆)