先日、駅で電車を待っている時のこと。

後からキリッとした初老の紳士が、ハッキリした丁寧な口調で『前の方々、二列になってもらえませんか』と。

そうだよな。と思って聞いていたが…そのジェントルマン、傘で前方の人達を指図していた…。

傘は雨の時に空に向かってさすものであって、指示をするのに人をさすものではないのですが…。


そして、到着した電車に乗り込むと、両手に荷物を持ったお婆様がダッシュで二人掛けシートに座り、横に荷物をドカッと置いた。
電車は満員御礼。シニア向けの専用シートは空席…。

お婆様…貴女が元気なのは分かるけど…中年サラリーマンは疲れてるのです…。

昭和初期世代は色々な意味で元気だなと思っていると…お二人とも同じ駅で下車…しかも御近所さん…。どう見てもあの人達の方が元気だな…あの人達の年金を俺達が支えているのか…。自分の事は自分でやっても良いのでは…。

何となく虚しさを感じて足下を見ると、子供の頃以来久し振りにみる大きなナメクジの悠然と歩く姿。

『おいお前、小さな事を考えていないで、もっとでかく生きてみろよ!』とでも言っているようだった。

新人類と言われた私達も既に中年世代に突入…高齢者パワーに負けてられないか…。


 先日、叔父の葬儀に参列してきた。葬儀では親戚が久し振りに顔を会わせる事になったのだが、この歳になると親戚一同が集まるのは葬儀くらいしかないとは、どこか寂しい気分になる。

 私の親類の葬儀は、お通夜では徹夜で飲み明かすのが常である。みんなで大いに飲んで思い出話をする。傍から見れば「たんなる飲み会か?」と思われる景色だが、まぁこれも飲兵衛血統のなせる業だろう。私の葬儀の時も涙なんかはいらないから大いに飲んで盛り上がって欲しいと願っている。

 お通夜、告別式と無事に終え、火葬場へ言ったときのこと。まず、建物の立派さに驚かされ、どこか高級ホテルのようなラウンジと旅館のような家族待合室に驚かされ、到着から集骨までの完璧なシステム化に驚かされと、驚きっぱなしだった。ラウンジにはマッサージチェアまで完備されていた。
 集骨までかなりの時間があったので、ラウンジで休んでいると、横のテーブルの上に位牌と骨箱が置かれていた。周りに人はいない…。始めはそれ程気にならなかったが、30分が過ぎ、1時間が過ぎ…。そのテーブルに人が戻ってくる気配はなかった…。

 ふと数年前に読んだ記事が脳裏をよぎった。経済的理由などから遺骨受け取り拒否が増加しているという。また、遺骨を放置して帰ってしまうケースもあるらしい。確かに今の日本では納骨するにもかなりの金額がかかってしまい、墓や納骨堂の用意が必要ならば尚更である。

 そんな事を考えているうちに集骨の準備が出来たとの館内アナウンスが流れた。この辺のシステムも凄いのかどうか…。そのテーブルをみると、まだ位牌と骨箱がそのまま。かれこれ1時間半は経っている…人が戻ってくる気配は全くない…。少し後ろ髪をひかれながらも集骨に向かった。

 育児放棄…介護放棄…遺骨放棄…生まれてから老いてまで、さらに死してなお放棄されてしまう時代なのだろうか…。あの骨箱が放棄では無かったことを切に願っている…。

 先週あたりから冬の訪れを知らせる雪虫が…。

 もう雪が降るんだなぁ、と季節の変わり目を感じていたのもつかの間、天気予報では明日から雪だるまマークがちらほら出始めた。来週には積雪になるとのこと。


 毎年この時期になると妻が必ずいう言葉がある。

 「今朝冬の匂いがしたよ。もう直ぐ雪が降るね」。

 

 妻と出会うまで「冬の匂い」というものを意識したことも感じたこともなかった。春の匂い、夏の匂い、秋の匂いは何となく分かるのだが、この「冬の匂い」だけは未だに分からない。


 妻にどんな匂いか尋ねても「空気感がね。うーん言葉ではうまく表現できないんだけど、『冬の匂い』なんだよね」。全くもってピンとこない。妻はそんな私が不思議らしい。


 様々な曲名や歌詞にも「冬の匂い」というフレーズが出てくる。例えば、中島美嘉の『雪の華』では「風が冷たくなって冬の匂いがした」、河口恭吾の『冬の匂い』では「冬の匂いを見つけた朝は今でも胸がざわつく』などなど。この「冬の匂い」なるものは、何処となく人を切ない気持ちにさせるものらしい。


 「冬の匂い」は今年もしたのだろうか。妻が言ってこないということはまだなのだろうか。それとも私に言っても仕方が無いと思われたのか。


 「冬の匂い」かぁ。どんな匂いなのだろう…感じてみたいものだ…。


 と、センチメンタルになっている場合ではない。早く車のタイヤを交換しなければ…。