2001年世界水泳福岡大会の取材をした。
日程表と毎日の原稿が見当たらないので、鮮明な記憶を頼りにつづる。
 

まず大会の話題はイアン・ソープだった
メディアはほぼ彼一色で 、日本選手が奮わないこともあり、メディア集団はソープとともに塊で移動していた。
 

おそらく最終日の最終レースに近かったと思う。
ソープの競技がすべて終わり、メディアは総括原稿を作っている頃だった。
男子1500mフリー決勝。大会取材のエピローグとして見ておいた方がいいと思った。
レースが進むにつれ、ある選手の一人旅が始まった。
会場の公式アナウンスとともに数少ない観客がざわめき始め、選手がゴールした瞬間、掲示板にワールドレコードが灯った。それも驚異的な記録という解説が会場に響いた。
 

オーストラリアのグラント・ハケットが歴史を塗り替えた瞬間だった。
彼はそのまま控室へ姿を消した。
何分程の時間は憶えていない。記者向けに会見が行われるという情報が耳に入った。
予定の会見場へ入ると、20人を超える外国人記者が席を埋め外国のカメラが取り囲んでいた。
世界の水泳界を揺るがす一大事件の空気が漂う。
見回すと日本のメディアは筆者を含めおそらく三名、カメラはなかった。
 

世界が興奮した理由はこうだ。
1992年。オーストラリアのキーレン・パーキンスが14分48秒40の世界新記録を出し、その後も2度更新、94年に14分41秒66まで自ら更新した。
当時はツービート・キックが主流で、歩くように泳ぐ、と表現される選手が短距離を含め世界に君臨していた。
そして2001年福岡大会、グラント・ハケットはシックスビートとフォービートを交えて滑るように泳ぎ、14分34秒56という驚異的な世界新記録を打ち立たてのだった。
スキルの革新、実際は揺り戻しでもあるのだが、ハケットの泳ぎによって世界の水泳が大きく変革する、そんな予感を世界のスポーツ記者が感じ取り会見場へ押し寄せたのだ。

 

恥ずかしながらこの事実を知らないまま、質疑を聞くうちに、世界の水泳記者が何より優先してこの会場へ足を運び、本人の言葉を発信する責務があることを知った。
以前から決まっていたスター選手を詳細に伝えることが役割と思っている日本のメディアに対し、現在最高のスター選手は誰かを発信している世界のメディアに、日本のスポーツジャーナリズムの未成熟を恥じた。
 

今年の世界水泳はテレビ観戦だが、ポジティブオーバーアクションのレポーターが日本選手の頑張りを連呼することは容易に想像できる。おそらく音を消し、好きな音楽を流しながらレースを見るだろう。
 

前回福岡大会から20年以上経った今も、スポーツの現実を客観的に、そして偉業にのみ気持ちの高ぶりを含めて伝えるジャーナリズムが、日本に育っていない。そんな現実を目の当たりにするだろう。
それは、筆者をはじめベテランが若い記者を育ててこなかった報いでもある。
それ以前に、我々がスポーツジャーナリストとして世界に恥じないスキルと知識を身につけてこなかったのが原因だろう。
 

今大会で、誰でもいい、一度で良い。歴史を目撃したい。

 

 

(ネットより転載)