セピア色のフォトアルバム

セピア色のフォトアルバム

セピア色の風景 懐かしい笑顔 あの頃の思い出 私の宝物を 鮮やかに彩りながら 綴ります 

思い出のアルバム


写真の中に収められた 一瞬


その一瞬が 美しく輝きます


誰にでもきっとある 


ごく普通の日常のなかの 輝きです




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---------- 具沢山で、ちょっぴり塩からいお味噌汁は-------
----------愛する人を思う気持ちだったのですね--------


私が小学校になると、工場の片隅の自宅から、一軒家に引っ越しをした。
その家には立派なキッチンがあった。
もともと料理が好きだった母は、料理を習いに行ったり、
新聞の片隅の料理記事を切り抜いたりして、家族へ毎日おいしい料理を作ってくれた。

ケーキ、パンも手作りで、特にピロシキはみんな大好きだった。

父も母の作る料理が大好きだが、どちらかというと、パンよりご飯、
洋食より和食が好きな人なので、父だけ一品、魚の煮付けが多かったり、
野菜サラダが嫌いな父の為に、煮野菜にしたりと、工夫されていた。
子供中心のメニューだけではなかった食卓は
父の存在の大きさを、自然と感じることが出来た。

「男子厨房に入らず」ではないが、父は趣味の釣りで釣った魚を捌く時以外は、
台所には入らなかった。
もちろん料理など出来るはずもない。

料理に手抜きをしたくない母は、炊きたて、作り立てを出してくれた。
毎日、必ず早起きして、朝食の支度をした

私が、高校生になると、兄たちは大学進学で県外へ出てしまい、
家にいるのは父と母と私だけになっていた。
私は毎朝7時に家を出たが、その頃の母は何故か朝、起きてこなかった。
すこし不思議に感じたが、朝食を食べずに出る事も多かった私は、特に何も考えなかった

そのうち、父が朝早くに台所に立つようになった。
みそ汁を作る為だ。
冷蔵庫の中の野菜を切る。ゴロゴロと不揃いで、不格好。
それを鍋の中に入れて煮る。粉末ダシを入れて、味噌を溶く

「まり、味噌汁出来てるから、食べて行きなさい」
初めて見たときは、煮物かなと思った。具が多く汁が少ないのだ
それでも、一所懸命作ってくれた味噌汁、全部食べた
「おいしかった!行ってきます」
父は次の日も、また次の日も、私が学校の日は毎日作ってくれた
時にはバスに乗り遅れそうで、
「今日は時間ない!」とせっかくの味噌汁を食べずに行く事もあった
「作ってくれたのに、おとうちゃん、ごめん」と言えずに

父の味噌汁は、その後も上達する事はなかった
ゴロゴロの具と、塩辛いスープ
でも、その味噌汁はとてもお腹いっぱいになった


最近になって、あの頃の父の味噌汁を、ふと思い出した
そして、今になって気づいた事がある

父の味噌汁は、私の為だとばかり思っていた
それもあるけど、もっと大きな意味があったんだね

その当時の年齢を考えると、母は更年期だったはず
朝起きられなかったのは、きっとそのせい・・・・・

父の味噌汁は、だれよりも、母への労りと、さりげない愛情だったんだね
「まりの朝ご飯は、私が作るから、お前は寝ていなさい」
そんなやり取りがあったのか、なかったのかはわからないけど
母への優しさが、あの味噌汁だったんだね

なんでも器用な父だったが、料理の腕だけは、上達しなかった
唯一作れたのは、味噌汁だけ
父が、厨房に入らなかったのは、私と同じく、母の料理が好きだったから
そういうやり取りをみてきた私は、本当の優しさって、さりげないものなんだと感じる