東日本大地震の翌日からベトナムに出張し、20日の朝に成田に帰国しました。今回の地震は、日本橋の本社で遭遇しました。地震の前日京都に行き、当日は大阪からJALで帰京し、本社のオフィスに着いてしばらくしたら、あの大地震です。僕は阪神淡路大震災も大阪で体験しましたから、生涯で二度目の大地震遭遇でした。夕方帰宅の途に着いたのですが、バス、タクシー、地下鉄、JR等々全てが麻痺していて、結局人形町から目黒まで4時間掛けて歩いて帰りました。そして翌日の夕方の成田発の飛行機でベトナム出張の予定が決まっていました。まずは成田空港が正常に機能しているのか、JAL便は予定通り飛ぶのかが問題でした。翌朝のJALの案内は、予定通りにフライトするとの事でしたので、まずはどうやって成田までたどり着くかが問題でした。電車は動いていませんから車で行くしかありませんが、高速道路は不通ですから、一般道を利用するしかありません。大渋滞で目黒から成田まで5時間半も掛かりました。ようやく、遅れて出発のJAL便に飛び乗る事ができました。
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さて、予定通りにホーチミン市に着き、翌朝から仕事のミーティングが始まるのですが、いきなりミーティングの会場に新聞記者が押し掛けてきて、インタビューが始まりました。彼等の関心は、このような大災害の翌日、いくら約束が有るからといって、律儀にベトナムにやってきた日本人ビジネスマンの根性は理解できないと言うところです。上の新聞の写真を見て下さい。タイトルは「約束を守る日本人ビジネスマン」、1ヵ月以上前から決まっていた約束のスケジュールを守る為に、必死の思いでやってきた我々1行を称える内容です。そして次に下の新聞記事の写真を見て下さい。
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これは地方での予定を無事にこなして、ホーチミン市のシェラトンホテルに帰ってきた夜に、またもや新聞記者のインタビューを受けた時の記事です。ほぼ一面がインタビュー記事になっています。このインタビューでは、今回の訪越の多くのビジネス成果についても質問があったのですが、記事は全て地震関連の内容でした。彼等の質問の多くは日本人の災害時における秩序有る行動についてのものでした。何故日本人はこのような未曾有の災害時においても冷静に行動が出来るのか?何故日本人は避難所においても我れ先にと食料や寝具の奪い合いをしないのか?何故日本では暴動や略奪が起きないのか?何故日本人は自分より子供や年寄りに優先的に食料や水の配給を受けるようにする優しさが有るのか?何故日本人はベトナムのビジネスの約束を律儀に守ろうとしたのか?彼らから見ると、バスやタクシーを整然と並んで順番を待つ日本人の行動、食料や水の配給をきちんと順番で受け取り、奪い合いをしない日本人の行動、街中の商店や食料を暴動や略奪で奪い取ろうとしない日本人の秩序ある行動が理解できないようです。そして福島原発に決死の覚悟で残って保守に取り組んでいる東電の職員、決死の覚悟で放水に取り組んでいる自衛隊員や消防隊員の行為は賞賛に値するが、なぜその様な行動が取れるのか不思議で理解できないようでした。私は、それらの日本人の行動原則は、地域や企業、国家への忠誠心がなせるものだけでは無くて、むしろ自分の家族や、地域の隣人達への「愛」が行動力の源だと説明しました。話は日本の「武士道(Samurai Spirits)」から、「神風特攻隊(Kamikaze)」、更には「切腹(Harakiri)]にまで及び、自分の責任を重んじる日本人の精神構造、日本人の家族や地域社会への愛情を説明して、ようやく彼らは納得しました。
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そして、多くの新聞やテレビにこの模様が報道されました。ベトナム人の友人は、今回の報道は日本の総理大臣が訪越した時のニュースよりも扱いが大きかったと知らせてくれました。日本が今回の未曾有の災害で受けたダメージは計り知れませんが、ベトナムでも政府からの支援金、そして民間でも街頭募金や各種集会での募金活動が活発に行われています。多くのベトナム人は日本が大好きです。そして日本人を尊敬してくれています。今回のベトナム出張でも、行く先々で多くのベトナム人から慰めと、そしてどうすれば日本の友人を助けられるかと聞かれました。悲しみの中でも世界の友人達が日本の事を心配し、何とか手助けをしたいと思ってくれているのですから、それに答えて、私達も何とかこの危機を乗り越えなくてはなりません。明日の日本を信じて!!!

仕事の成果はまた次の更新で詳しくお伝えする積りです。

ではまた、被災地の皆さん、元気で、勇気をもって、この国難を乗り越えましょう。