前回のブログで「アメリカ国章」のお話をしましたが、国章は英語で「Great Seal」と言い、「国璽」(こくじ)として使用されます。国璽とは国家元首が国家の公文書に押す印鑑(印章)の事で、元々は中国で皇帝が使用する印章を表す言葉でした。アメリカでは国章の白頭鷲のデザインされている表面が国璽として使用されており、この国璽は国務長官が保管しているそうです。では日本の国璽はどんなものが使われているかご存知ですか。下の写真が現在も使われている日本の国璽です。通常は天皇陛下の御名と国璽がセットで使われます。この日本の国璽は1874年(明示7年)に大日本帝国憲法の下で制作された金印です。ですから国璽に書かれている文字は「大日本國璽」(ダイニッポンコクジ)と読めますよね。実は第二次大戦後の新憲法の下で、この国璽に関する法令が廃止され、現状の法律の下では正式な日本の国璽は存在しません。しかし、その廃止後も慣例的に勲記や褒状にはこの国璽が使用されています。戦前は法令により内務省がこの国璽の保管管理をしておりましたが、戦後の現在は宮内庁侍従職が保管管理をしているそうです。
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さて、国章や国璽に関するうんちくはこの位にしておいて、表題の米国ドルに関する続きのお話ですが、皆さんは下の写真の人物が誰か分りますか。写真をひと目見て直ぐにアメリカ第37代大統領である、リチャード・ニクソンだと分った人は、それなりにアメリカ近代史に詳しい人ですね。何故米国ドルのお話にニクソン大統領の写真が出てくるか直ぐに分った人は、更にアメリカ近代史に通じた人だと思います。

このニクソン大統領と言う人は、アメリカ近代史の中でも、特筆すべき幾つかの有名な出来事に関与した人物です。まず第一にウォーターゲート事件で任期途中で大統領職を辞任してしまいました。アメリカの歴代大統領で任期途中で自ら辞任した大統領はこの人だけです。

次にベトナム戦争を止めさせて駐留アメリカ軍をベトナムから撤退させた大統領です。

そして、日本の佐藤栄作総理との話し合いで、「米軍が駐留し続ける事を条件」に沖縄を日本に返還した大統領です。戦勝国が勝ち取った領土を、無償で負けた国に返還すると言う例は、古来の歴史にも殆ど有りません。ロシアは未だに占領した日本の北方領土を返還しませんよね。その時の約束が現在の普天間基地問題の解決を難しくしている訳です。

そして次にアメリカ大統領として戦後初めて中華人民共和国を電撃的に訪問し、米中国交回復の道を開いた大統領です。しかしこれらの事績は直接米国ドルの話とは関係ありませんよね。

最後にニクソン大統領の事績でご紹介するのが、「ニクソンショック」として後世まで語り継がれる事になった出来事です。

1971年8月15日、ニクソン大統領はアメリカ議会に何も承認を求めずに、突然に米国ドルの「金との兌換制度」を廃止してしまったのです。1944年のプレトンウッズ合意に基づく、米国ドルを国際基軸通貨とする原点となっていた「米国ドルの金兌換制度」を突然に廃止してしまった大統領なのです。

第二次大戦後、アメリカは同盟国の戦後復興や、朝鮮戦争、ベトナム戦争の戦費等で、大量にドルが流失し、既にアメリカの国庫にはドルと金の兌換に応じるだけの金の保有量が無くなっていたのです。そこでニクソン大統領は、米国ドルを求めに応じて金と交換できる「金兌換制度」を廃止してしまい、米国ドルは只の紙切れに印刷された紙幣になってしまったのです。

プレトンウッズ合意で「1オンスの金が35ドル」と言う固定相場が定着していたIMF体制だったのですが、突然の金兌換制度の廃止宣言で、世界の経済界は大混乱に陥りました。

そこで1971年12月にワシントンDCのスミソニアン博物館に各国の蔵相が集まり、何とか米国ドルの国際基軸通貨としてのポジションを維持し、固定相場制を維持する為の国際会議が開かれ、「スミソニアン合意」を無理やり採決し、暫定的に米国ドルの相場を、「金1オンス=38ドル」に切り下げ、日本の円も「1ドル=360円を1ドル=308円」と16.8%も切り上げさせられてしまいました。この事件が有名な「ニクソンショック」です。
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しかし、この緊急暫定合意的なスミソニアン体制も、米国ドルに対する信任の低下から長続きする事は出来ず、1973年に入ると、各国が「米国ドルと自国通貨」の為替レートを変動相場制に移行する事を宣言し、日本は当時の田中角栄総理が1973年2月に変動相場制への移行を宣言し、その後のプラザ合意(1885年)等を経て、昨日現在は1ドル=88円台と円の対ドル為替レートは上がり続けてきました。

今回は少し、米国ドルの戦後の歴史を振り返ってみました。

では、また次回のお話を楽しみに。