ケニーのブログ

今日の東京はとても寒くて、一気に冬に逆戻り。でも三寒四温で春に向かっているのは間違いありませんし、本社の近くの新宿御苑の桜も開花したそうですよ(残念ながらまだ見ておりません)。

さて、前回はインドネシアのジャワ島のボロブドール遺跡のお話をしましたから、今日は地図で言えば少し上に上がって、タイはバンコクの北にあるアユタヤ王朝の遺跡のお話です。
アユタヤ王朝は、14世紀から18世紀に渡って、タイ中部に栄えた王朝です。チャオプラヤー河等に四方を囲まれた東西7km、南北4kmほどの街でした。
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この都は、当時は中国、日本、琉球、ペルシャ、ヨーロッパ等とも盛んに交易を行い、とても豊かな街でした。仏教信仰に篤い、代々の王が建てたたくさんの寺院のあとが残っています。
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17世紀には1,500人ほどの日本人が住む日本人街もあり、かの有名な山田長政も住んでいました。これらの日本人集団は早い話が傭兵部隊で、山田長政はその部隊を率いる隊長でした。
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日本人街の跡地にはこんな碑が建っていて、山田長政のお墓も有ります。現在、アユタヤ周辺にはたくさんの日本企業が進出していて、現代の日本人の進出は兵士ではなくて経済戦士と言うわけです。
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このように繁栄を続けたアユタヤ王朝も、18世紀の半ばには、ミャンマーから侵攻してきた軍勢に破れて滅亡し、華麗な街も、写真のように破壊しつくされてしまいます。

このように、歴史をみれば、どんなに繁栄をしても、永遠に続いた王朝や都はありません。必ず栄枯盛衰があるのです。

でもその繁栄の後が、後世の人達によって歴史のひとコマとして復元され、冒頭の写真のようにきれいな水上に浮かぶ宮殿として、往時を偲ぶことができます。

今のタイは、昨年の国際空港包囲事件のように、政情が安定せず、観光客も大幅に減っているようですね。微笑みの国と言われて、多くの外国人に親しまれたタイがそのような状態になっているのは残念ですが、政情が落ち着いたら、アユタヤは1日観光で充分まわれる街ですから、是非往時の栄華を偲びに行って見て下さい。

ではまた、次のたびのお話を楽しみにしてください。