ついこの間、新年を迎えたと思っていたら、あっという間に3月になってしまいましたね。今年は暖冬で、あと20日もすれば、東京の桜が開花するそうです。今日の東京は久し振りの快晴で、すっきり晴れた青空に太陽が燦々と輝いています。

太陽が燦々と言えば、やはりフロリダの太陽の輝きは格別です。私がアメリカで一番永く滞在していたのがフロリダですが、そのフロリダのタンパベイエリア、そのタンパからサンドキーに掛けられた長い橋でタンパ湾を渡ったところにある、クリアウォーターと言う街にあるのが、入江の白い女王と謳われた「ベルビュービルトモアリゾート」と言う100年を超える歴史を持つリゾートホテルです。私はこのホテルの買収から、改装、再建と言う大きなプロジェクトに5年近く関わったので、このリゾートエリアにはアメリカでも一際強い思い入れがあります。

このリゾートホテルのお話をする前に、このタンパベイエリアと言う地域の歴史を少し振り返ってみましょう。タンパベイエリアは最近、大リーグのキャンプ地として日本でも紹介される機会が増えて、特に松井選手の所属するニューヨークヤンキースの冬季キャンプの開催地として、日本からも多くの取材陣が押しかけて一気に有名になりましたが、私が滞在していた頃はまだ日本人にはなじみのない所でした。アメリカの開拓の歴史では、フロリダに進出したのは、1835年クリアウォーター港を見下ろす丘の上に、アメリカ合衆国陸軍がハリソン砦を築いたのが始まりと言われております。その頃はネイティブアメリカン(いわゆるインディアン)トコバカン族が住む未開の地でした。グレゴリーペック主演の有名な映画「仔鹿物語」の原作の舞台がこの辺りと言われています。開拓農民のグレゴリーペックとその息子が、ある日森で拾った仔鹿を連れて帰り、友達のいない息子のペットとして飼育を始める所から物語りは始まるのですが、興味のある人は、アマゾンかTSUTAYAで是非探して観て下さい。当時のフロリダの風景が実に良く描かれています。その後、開発は進み、フロリダの鉄道王と言われたヘンリー・B・プラントが1888年にフロリダに鉄道を引きます。その後1897年に、プラント氏が自分の引いた鉄道の終着地のクリアウォーターのベルエアーの海に面した地に木造4階建ての巨大なホテルを建設したのが、ベルビュービルトモアリゾートの始まりです。まさにフロリダの歴史そのものと言ったリゾートホテルです。
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写真のホテルがこのリゾートホテルですが、この建物は全て木造で、4階建てになっていて、現存し、使われている木造建築では世界最大といわれています。

このホテルの売却の話を聞いたのが、1993頃の事です。日本はその頃バブルの真っ盛り、アメリカで良いホテルの投資案件は無いかと物色し、各地を歩いていた私に情報が伝わり、直ぐに見に行きました。まずこのベイエリアの美しさに目を奪われました。特にクリアウォーターから隣のセントピータースバーグに至るメキシコ湾岸には、有名なリゾートホテルが軒を連ね、アメリカでも有数な避寒地として多くの人が訪れる事を知りました。しかしベルビュービルトモアリゾートは、歴史がありながら、オーナーが高齢である事と、資金不足から改修が出来ずに、付近の近代的なリゾートホテルに押されて、経営難に陥っていました。第二次大戦中は米軍に接収され、ヨーロッパ戦線や太平洋戦線に送られる新人兵士の訓練宿舎に当てられ、米軍の総司令部も置かれていたのだそうです。ホテルと地続きの湾には船着場があり、ホテルに隣接してきれいなゴルフ場を持つ素晴らしいホテルなのですが、築100年近い木造建築はあちこちに傷みが進み、全長2kmを超える館内の廊下もギシギシ音がするほどでしたが、建物を支える巨大な柱は私の腕では抱えきれないほど巨大な木の一本柱で、それらが何本も通っている様は、何とも壮観でした。後に改修でテラスレストランを増設するときに、ホテルのかつての玄関脇を掘ったら、100年前にプラント氏がホテルの為に引き込んだ鉄道のレールが発掘されて、昔ホテルを訪れる滞在客が鉄道で直接ホテルの玄関まで送られていた事が分かりました。

さて無事に買収交渉が成立し、ホテルの経営に乗り出すわけですが、それからが大変です。アメリカは表立って人種差別はしない国に変わりましたが、やはり黒人や東洋人に対する人種差別は根強く残っています。アメリカの歴史遺産とも言われる高級リゾートホテルを日本企業が買収したわけですから、とりわけ人種差別の強い南部フロリダのマスコミは大騒ぎでした。嫌がらせでホテルに掲げた日章旗を夜中に引きずり落とされて焼かれたり、ゴルフ場のグリーンにガソリンを撒かれて燃やされたりと言った嫌がらせが続きました。しかし根気強くマスコミと接触し、後世に残さなければならない歴史的な建物を修復する意義、そして決して一日本企業の私有財産として所有するのではなく、世界市民の共有財産として次の世代に引き継いで行くと伝えているうちに、少しづつ理解が広がり、修復が終わって創業100年祭を1997年に開催した時には、多くの地元有志や、ワシントンから政府要人にも来てもらえました。約25億円の費用と2年の歳月を掛けてこのホテルを昔の姿に修復し、近代的な設備を併せ持つアメリカでも有数のリゾートホテルとして復活させました。100年祭の記念イベントは大変なお祭りで、ホテルを全て開放し、全米クラシックカー協会の協力で全米各地からT型フォードを始めとする様々なクラシックカーの名車が集結し、デモンストレーション走行を行う様はまさに圧巻でした。それを称えられて当事のフォード大統領(パパフォードの方ですよ)にホワイトハウスでの晩餐会に招いていただきました。タキシードに正装し、緊張してホワイトハウスを訪れたのは良い思い出になりました。気さくで陽気なテキサス母ちゃんの大統領夫人と握手した時の、その握力の強さには、さすがテキサスのお母さんと妙な感心をしました。

さて、このホテルを巡る思い出話はたくさんあるので、また続編を書きますが、皆さんフロリダに行く機会が有ったら、是非このリゾートホテルを訪ねてみてください。極上のリゾートライフが楽しめる事を請合いますよ。

では続編をお楽しみに!!!