誕生日は、ブラックデーだった。
生まれてこなければ…と思う時が多かった。
今年もこの言葉が頭を過ぎった。
実は、数日前から、クリアリングを始めた。
過去の言葉、自分を縛っていたであろう言葉を構文にして、吹き送りを始めた。
祓い、鎮魂をしていて、確かに祓われた。
だが、何かが足りなかった。
明確さ。具体的さ。これだった。
抽象と具体。
抽象的に祓いが進んでいき、感情に揺さぶられることが少なくなってきた。
ただ…具体的な祓いが無かったのだ。
クリアリングを始めて分かったのは、心が楽になったことだ。
散らかった部屋では、探し物が見つかりにくい。
ただ、整理された部屋では、探し物は容易だ。
散らかった部屋に自分が居るのか、整理整頓された部屋に自分が居るのかでは、メンタルの差が確かに出る。
脳内で、構文にして発信するのと、紙に書き出して構文にしていくのでは訳が違う。
アナログなやり方ではあるが、紙に書き出すと、自分から鬱滞している気持ちを切り出していくから、客観視ができる位置に自分がいるのである。
紙に書き出すことが祓いである。
自分の頭の中だけで、済ませれば解決できない。
※自己内対話が熟成されていれば違うと思われる
他人にシェアして、他人からの意見をいただく、また自分が目に見える形で、自分から切り出していくと祓いに繋がる。
日本語は、神の言葉である。
一音一音が神の音色である。
構文にして書き出すだけでも、それなりの力がある。そう感じた今日。