0時にベットに入ってからひたすらイライラしてやっと寝たのは4時頃?
今までだったら、眠らないといけないと思っていたけど、最近はその時の感情が自然と鎮まるまで浸るようにしている。
負の感情が出てきたら、何かをすることで誤魔化して来たけど、今はただただ受け入れる。受け入れる。
原因は分かっている。父がDV。一番最古の記憶が父が出ていくときに、僕の手を取って連れて行こうとした時に、母がもう片方の手をつかんで、引っ張り合い。僕が怯えた顔で父を見たから、父は手を離して出て行った。
それからは家の中では、常に顔色を気にしていた。そして、家の中で貰えなかった愛情を外に求めに行った。
でも、周りは同じ子供。結局、上手くいかない事があるとすぐにふてくされていた。
次は、自分が有能であることで周りにアピールし注目を浴びようとした。勉強は出来た。けれど、中3の受験というプレッシャー、偏差値が高い高校に行かないといけないという強迫観念。そして、9月に病気が発症。
周りから笑われ、ついたあだ名はぷーさん。出来るだけ攻撃されないようにひたすら笑っていた。自分を守るために。高校は進学校に行けたので、いじめはなかったけど、揶揄される日々。守るために、ひたすら笑顔。
浪人時代は家浪という仮面をかぶった引きこもり。自分の体をひたすら傷つける日々。
それでも、大学には進学出来た。次に始めたのが、社会に対する復讐。
教授と論争、中学の同級生に地元で会った時はひたすら無表情で見続ける。何度殺してやろうと思ったことか。
それでも、ほんの少しずつ学校生活が楽しくなっていった。薬を飲みながらではあったが、勝手にガスが出ることはなく、緊張や恐怖心が高まった時に臭いと言われたが、その場に慣れていくことで、マシになっていった。
約2年半は待ち焦がれた学生生活。普通に授業を受け、サークルに入り、友だちと飲みに行き、バイトをしていた。うれしくて、うれしくてたまらなかった。常に自分を守りながらではあったが、それでも楽しかった。
だが、3回の秋学期に急に恐怖心が湧き上がり、再発。恐らく、就職活動の中で、また自分を有能にみせようという気持ちが高まっていたのと、一緒に住んでいた祖母の介護が重なったからだろう。
とりあえず、向精神薬+抗うつ薬を処方してもらい、単位を取ることだけに集中した。なんとか大学3回は乗り越えた。
しかし、4回に上がる頃には、ほとんど眠ることが出来ず、研究室にいっても臭いと言われ、精神的に耐えきれなくなり、休学。
ここで、初めての反抗期。23歳にして、初めての反抗期。家の壁を殴り穴をあけ、痛みを感じることで、現実逃避。ふすまを包丁で八つ裂きにし、卒業アルバムなどの自分の過去に関することを全て燃やし、親に八つ当たり。最後にやったのは扉をハンマーで粉々にした。親へのみせしめ、それに対する罪悪感。3カ月眠れなかった。何度も死のうと思った。けど、自分の今までの感情を言動で表現するうちに(表現の仕方は間違っていた)、少しずつ眠れるようになっていった。
このまま引きこもっていても仕方がないと思い、復学。再就職活動。臭いと言われることもあったが、生まれ変わるんだという思いで頑張った。結果、内定をもらい、なんとか卒業も出来た。
だが、卒論発表が終わると同時に、気持ちがスーと消えていった。
もういいんじゃないか?僕はここまで生きてきた。もう十分じゃないかと思った。死に場所を探しに行こうと考えた時、前から気になっていた、占い師の人に会いに行った。占いは20からたまに受けていたが、その方に、占いを受けても、お寺・神社にお参りに行っても、何一つ貴方は救われていない。心理学を受けなさいと言われ、まずは催眠療法を受けた。涙が止まらなかった。5歳の僕がずっと部屋の隅で、うずくまり少しも動かない。そうか、僕はこの時からずっと怖かったのかと分かった。全ては恐怖心。これが原因だと分かった。
それからは、アートセラピー・箱庭療法・カラーセラピーや無料相談を片っ端から受けまくり、少しずつ自分を受け入れられるようになっていっている。今度は曼荼羅アートを受けてみるつもり。
今までは、外に愛情を求め、愛情をもらうために、勉強・スポーツ・ピアノなどをやった。本も300冊以上読み、新聞も5社読み比べなどもしていた。自分が有能であると見せるために。占いに100回以上行った。寺で修行した。だが、どんどん自分の首が締まっていった。
だが、これからはそうじゃない。もっと素直に。自分の全てを受け入れていく。悪い状態の時も受け入れていく。これからは自分で自分を愛していく。居場所も作っていける。助けてと言える自分が、手を差し伸べてくれる誰かがいる。4月から大阪を離れ、東京で社会人。やっぱり、不安が大きいけれど、必ずいい方向に向
かうはずだ。もう自分を守る為の自己顕示も必要ない。入社式の時に、自分の症状のことを素直に打ち明けよう。