無題
彼女が泣いて電話をかけたとき、僕は彼の横で眠りから覚めたところだった。意識ははっきりとしていたが、今日1日の間は治らないであろう無気力感が身体を汗に混ざって湿らせていた。ほこりにまみれたスピーカーからはVelvet Undergroundの『Sunday Morning』が流れていた。
彼女の泣き声は今まで聞いたことのある声の中で一番物悲しいものだった。電波に乗ってきた振動の波は僕の耳に伝わり神経に伝達されている…僕は目の前で彼女が泣いているところを見たことがなかった。
僕にとって彼女を理解することは不可能であったし、彼であろうとそれは出来るはずがなかった。しかし彼女の頭の中は空き巣に入られた後の部屋みたいにぐちゃぐちゃに乱れていることだけは間違いのないことだった。
無題
なんとも言い表せない真っ黒で巨大な物体がゆっくりと僕のところへやってきて、足の先から順番に僕にすっぽりと覆いかぶさった。もちろん心の中から、胃、脳みその前頭葉に至るまですべてにである。
昨晩はバンドのミーティングだった。キムチ鍋みたいな味の醤油ラーメンを食べながら、新曲についてああでもないこうでもないと言い合った。大した時間ではなかった。
僕は帰りの車の中で携帯を忘れてきてしまった。
僕の忘れ物癖にはひどいものがある。猿のほうがきっと僕より忘れ物をしないのではないかと疑うくらいだ。そのために僕は忘れ物をして不便な思いをすることには慣れているし、だいいちあんまり携帯を使わないから支障はきたさなかった。
だがそれは問題にしてはいない。携帯をなくす前からそれ以上の問題が現れだしてはいたものの、それをきっかけに明白なものとなった。
黒い物体は存在感を執拗に強調した。
僕はひどく取り乱した。
夜が夜だと受け入れるのが辛かった。
しかし現実的に僕は日曜日のどうしようもない憂鬱をパンパンに敷き詰めた終電に乗っていた。
僕は非現実的な人間なのだ。
家に帰り温かいレモネードを飲んだが、それは温かい液体が胃に流れ落ちただけだった。
涙がを流すのは簡単だ。でもそうするわけにはいかなかった。非現実的な人間であるからだ。
本を読んでもなにも頭には入らなかった。
3時すぎに睡眠を獲得することに成功した。27時間ぶりだった。
夢の中で僕は家出をした子供だった。電車で東京まで行き、昼は街をあてもなく歩き、夜は24時間営業のファミリーレストランで過ごした。3日目の晩に補導され家に帰された。
夜中の情報番組くらい面白みのない夢だった。こんな夢を見る自分自身も面白みのない人間だと思った。
朝になると黒い物体は僕の元から去っていた。
それからもう一度眠りについた。
